豊作を占う「御火試・粥試」神事が今も!阿射加神社小阿坂 元伊勢巡礼 ことの葉綴り 八七〇
急がず、平らかでありますように!
こんにちは。最近、「ことの葉綴り」に向かう時間が不定期で(苦笑)、今日はお昼の隙間時間に向かいます。
そして、今日は一粒万倍日なので、早朝にお参りはしてきました(^^)
大雨も警戒が必要ですし、猛暑も続いています。体調にも皆さんお気をつけてくださいね。
明日七月二十日(水)の暦は、六曜は、「先負」で、午後が吉。あらゆることに平静を心がけたい日。急がず過ごしましょう。十二直は「平」で、物事が平らか平等円満になる日。お祝いごと、地固め、建築、引越し、旅行などすべて障りなし。二十八宿は「参」で、婚礼、縁談、お祝いごと、旅行、物の仕入れ、取引をスタートさせるのによい日です。
元伊勢ご巡幸旅の続きへ
今から、約二千年前、倭姫命さまが天照大御神さまのお鎮まりになる宮処を求めて、ご巡幸された「元伊勢巡幸地」を訪ねての旅の続きに入ります。
今回の旅で巡ったのは、
愛知県一宮市「酒見(さかみ)神社」さん。
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三重県桑名市多度町「野志里(のじり)神社」さん。
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三重県亀山市の「布気皇舘太(ふけこうたつだい)神社」さんと、「忍山(おしやま)神社」さん。
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三重県津市「加良比乃神社(からひの)神社」さん。
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三重県松阪市「阿射加神社(大阿坂)」さん。
もう一つの阿射加神社(小阿坂)さん
倭姫命さまが、荒ぶる神、伊豆速布留神を、もてなし和らげ鎮め、お宮を建ててお祀りしたところとされるのが「阿射加神社(大阿坂)」さん。
この、阿射加(あ・ざ・か)は、道開きの神さま、猿田毘古大神さまの故郷でもあり、この阿邪訶」の海で比良夫貝に挟まれて亡くなられたとされるところです。
今は、山の麓ですが……。
そして、次に、もう一つの「阿射加神社(小阿坂)」さんへ。
大阿坂からは、約1㎞ほど。
樹々に囲まれた参道の小さな石の太鼓橋を渡ると、広々とした境内の広場にでます。
はき清められた小石の広場。
この中央には、ご神事で火を焚いたあとが残っています。
その先に、石段があり、その上に拝殿とご本殿の清浄なご神域です。
こちらも、ご祭神は、猿田彦大神さまと、伊豆速布留神さま。
そして、境内には、伊勢の国入ってからは、倭姫命さまをお支えし、荒ぶる神を鎮めお宮をつくることにも尽力した、大若子命さまをお祀りする大若子神社もご鎮座されていました。
倭姫命さまを支えた大若子命のご神事が今も!
こちらの、神社では、毎年1月14日に、大若子神社さんの祭祀で、「御火試」「粥試」のご神事が執り行われているそうです。
「御火試」は、夜、境内では大どんとの火が焚かれ、1~12月と月数を書いた十二本板に、囲炉裏の火で焼いた樫の木の先を押して、その色で月の天候を占うご神事。
「粥試」は、小豆粥に、竹の管を入れて、その管に入ってきたお米と小豆の数や量で、稲の作柄の吉凶を占うもので、松阪市無形民俗文化財に指定されています。
もう一つ、同じ日には、どんと焼きを焚きながら、着物姿の子どもたちが、豊作を祈り、神さまへ感謝する「小阿坂」かんこ踊り」も舞われるそうです。
今も、大若子命さまが、“ご活躍”されているのですね(^^)
とても、氏子さんや、地元の皆さんが、ご神事を大切に守り伝承されている……そんな聖域であることを、ひしひしと感じられる神社でした!!
そして、荒ぶる神を、無事に和らげお鎮めになられた倭姫命さまは、喜びから「嬉しい~!」と、叫ばれます。
そして、その地は「うれし(嬉野町)」と名付けれました。
現在の三重県松阪市嬉野町で、この二つの「阿射坂神社」さんのすぐ近くです。神話って、本当に今も生きているんですよね~!
―次回へ。
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