ことばとはなうた

HSP傾向のある27歳。 小中不登校→高校、神戸大学・大学院に進学・修了→こども園に…

ことばとはなうた

HSP傾向のある27歳。 小中不登校→高校、神戸大学・大学院に進学・修了→こども園に就職、適応障害により退職 現在は子どもの学習指導を行なっています。 HSPや不登校、ギフテッドに関わることや、 私の経験、考えていることについて書いてます!

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  • HSPの私の特性。

    HSP特徴を持つ私のあれやこれやをまとめています!

  • 不登校に関わるエピソード

    不登校時代のエピソードに関する記事を集めています。

  • 元不登校HSPの自分史

    経験やエピソードを、年代別に記録しています。

  • 気づく。気になる。考える。

    日々の中で、ふと気づいたことや思ったこと、考えたことをゆるーく紹介している記事を集めています。

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HSPとギフテッド。元不登校の記録。

初めまして!ことばとはなうたです。 私は関西の大学・大学院を卒業した25歳(追記:現在は27歳)です。 大学・大学院では幼児教育や発達心理学などを主に学び、幼稚園教諭一種免許及び保育士資格を取得しています。 現在はHSPやギフテッドについての勉強を進めています。 この勉強をしていく中で、これまではぼんやりと持っていただけの、「自分はHSPなのではないか」という疑念が、確信に近いものになりました。 また、ギフテッドである可能性もあるのではないかと感じながらも、どちらとも言

    • 不登校から学校復帰するのはいつがいい?

      不登校のお子さんを持つ保護者の方にとっても、不登校のお子さん自身にとっても。学校に復帰できたらいいな。と考えている場合。 それはいつがいいのだろう、、?できるだけかかるストレスや不安が少ないように、今すぐじゃなくてタイミングを考えたほうがいいのかな?などと考えることもあるのではないでしょうか。 そこで今回は、 不登校だった私自身が実際どのように再登校したのか、どう考えていたのかをベースに、学校復帰の際の不安やストレス、タイミングについて書いてみようと思います! 学校復帰

      • 自由って不自由?

        自由って不自由なんだよね と誰かが言っていたのを聞いたことがある。 何も制限がない中で「何をやってもいいよ!」と言われると、逆に何をやればいいのかわからなくなってしまう。 「なんでもいいから話して」と言われると、なんの話をすればいいかわからなくなって、なかなか話し出せないものだ、と。 自由を愛する私にはあまりピンとこなかったのだけれど、最近になって「確かにそうなのかもしれない」と思うことがあったので、書いてみようと思う。 この記事とは矛盾するようで矛盾しない、「選択の

        • 適応障害になって子ども園を退職した話③

          適応障害になって子ども園を退職した話②の続き記事です! 前回記事はこちら→ 今回は引き続き、子ども園で感じた違和感やストレス、出来事。 特に園の(理事長の)異常な神経質さと、勤務時間に関することについて書こうと思います! 入園式準備 入園式は入社した次の日とかだったかな、、。 私たち新任の初めの仕事は、入園式に向けた園内の準備だった。 普段保育室として使っている大部屋の棚や机を移動したり、掃除したり。 その中で私は、大部屋の床に升目状にテープを貼って、保護者の方たち

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          適応障害になって子ども園を退職した話・番外編

          「適応障害になって子ども園を退職した話」で記事を更新しているところで、日々の嫌なところばかりを書いてしまっているのですが、、、 こんな環境の中でも 子どもたちは可愛いのです!!! ほんっとに!!! それも書きたいんです!!! なのでこの番外編では、 子どもたちについてちょっと書いてみようと思います! 可愛いんですよ。すごくすごく。愛しいのです。 もちろん、すごく手のかかる子や、泣いてばかりの子、先生たちを舐めきっている子もいて大変でしたが笑。 一生お昼寝せずに

          適応障害になって子ども園を退職した話・番外編

          適応障害になって子ども園を退職した話②

          適応障害になって子ども園を退職した話①の続編です。 前記事はこちら→ 前回の記事を書いてから、なんと1年近く経ってしまいました。 今から思うと、まだ1年前は細かく振り返るのがしんどかった。 ブログを書くために内容を整理しようとしても、どう書けばいいのかわからなくなって、頭の中がぐちゃぐちゃして。 そして今ならもうしんどく感じないことに気づいて、少し嬉しかったり。 やっぱり、自分ではもう過去のことにしたつもりでも、回復するには時間がかかるものなのだなと思います。 と

          適応障害になって子ども園を退職した話②

          適応障害からの退職を経て、HSPの私の働き方②

          私は現在、複数の仕事を掛け持ちしながら、柔軟な働き方をしています。 もちろんこの働き方にも、メリットもあればデメリットもある。 この記事では、私の働き方について書いていこうと思います! 前回記事はこちら! 子ども園を退職してから、 どこかの正社員になることはせずに働くことを選び、はや1年半。 今している仕事は、ギフテッドや不登校などの子どもたちのサポート、PR事業、そしてパン屋の製造・販売員。他にも期間限定で唐揚げを売っていたり、神社のお手伝いをしていたり。 色々な事

          適応障害からの退職を経て、HSPの私の働き方②

          約束を破れないー元不登校HSPー

          私がここ数年で強く自覚するようになったのが、 「私は約束を破るのがとても苦手だ」 ということである。 こう聞くと大体の人は「約束破らないのは良いところじゃん」といってくれるのではないかと思うし、自分でも、そうあるべきだと思っている。 そうあるべきだと、思いすぎている。それが問題なのだと思う。 例えば友達と遊ぶ約束をしたとする。 しかしその日になってみると体調が悪い。気持ちがしんどい。 もしくは、約束が決まった後にものすごく都合が悪くなってしまった。 そんなとき。

          約束を破れないー元不登校HSPー

          親は親。子どもは子ども。ー元不登校HSPー

          親は親で、子どもは子ども。 全く別の存在だ。 私は、「血は争えない」という言葉が嫌いだ。 というより私は、 血は争うよ。血に抗うよ。親に似ててたまるか!!と思ってる。 「血は争えない」とは、 「子どもが父母から気質・性向を受け継いでいることは否定しようがない」 という意味だ。 もちろんそれもわかる。生物学上、否定はできない。 でもだからと言って、子どもの性質は全部、親のどちらかから遺伝したものだと決めつける会話には嫌気が差す。 「〇〇の大雑把なところはお母さん似で

          親は親。子どもは子ども。ー元不登校HSPー

          学校が嫌いだった人は教師にならない

          私は子どもの頃、教師というものが嫌いだった。 学校というものに馴染めない、弱い、そんな子どもの気持ちのわからない、わかろうともしない教師たちが嫌いだった。 そんな私は教育の道に進んだけれど、結局やっぱり、学校の先生になろうとは思わなかった。 教師というものは得てして、学校に対して良い感情を持っている人間ばかりがなる。学校という環境に適応することのできた人たち。 当たり前と言っちゃ当たり前なんだけれど。 だから、所詮人間は、自分の持ち合わせていない感覚は理解できないか

          学校が嫌いだった人は教師にならない

          幸せとは、選択する権利があること

          先日とある投稿で、 「幸せとは、選択する権利があることだ」と書かれていた。 幸せの定義は人それぞれだけれど、私の中では一番合点がいったというか、共感した定義だった。 「選択する権利がある」というのは、つまり「自由」があるということだ。 裏を返せば、不自由が不幸せを感じさせるということ。 やりたいことができない、言いたいことが言えない、 行きたいところに行けない、会いたい人に会えない。 そんなとき確かに私は、とても不幸せを感じる。辛い。 自分を不自由にするものからはで

          幸せとは、選択する権利があること

          不登校からの高校生活・友人関係

          小・中と不登校だった私は、私は極度の人見知りで無愛想で、コミュニケーション下手だったわけだけれど。 社会復帰した高校生の時、思っていたよりちゃんと、友達ができた。 今回はそんな高校時代の友人関係について書いていこうと思います! 高校入学してすぐ、1人仲のいい友達ができた(Kちゃんとしよう)。 私から話しかけたわけではなくて、いつのまにかグイグイ話しかけてきてくれた子だった。 私はすごく勉強にやる気があって、向上心が高かった。 そこが似ていて、たくさん話しかけてくれたのか

          不登校からの高校生活・友人関係

          不登校仲間だった兄の存在ー元不登校HSPー

          私にとっての兄は、共に戦う仲間だった。 今でもピンチに陥る夢を見ると、最後まで一緒に戦ってくれる人は兄で。 心の中で常にそういう存在に思っているのだろうなと思う。 この記事では、母を好きになれない①②に引き続き、 兄について書こうと思います! 母についての記事はこちら→ 私には3歳上に兄がいて、割と妹のことを溺愛している。 しかし母とは違い、過保護ではない。 私が下宿を始めた今、兄からラインや電話が来ることはほぼない。 でも稀に私が家に帰ると、 「〇〇買ってん!」

          不登校仲間だった兄の存在ー元不登校HSPー

          成長とか、前進とか、しなくたって大丈夫。と言い聞かせる。

          大学・大学院を卒業して、一度就職してすぐ退職して、はや1年半が経った。 どこかの正社員になることもなく、かといって常に全力投球で道を切り開いているわけでもない。 そんな現状を生きている。 私は前進できてるのかな。成長できてるのかな。 正直なところ、全く自信がない。 1年が巡って、また12月がやってきて。 去年の自分と比べてどこが変わったのか、相変わらずなのか、なんて考える。 私は成長欲が強くて、上昇志向だ。 それと同時に、成長できていないことにとても敏感で、 「もっ

          成長とか、前進とか、しなくたって大丈夫。と言い聞かせる。

          不登校からの社会復帰・高校で苦労したこと

          小学校・中学校と不登校からの高校選択・受験を経て、私は第一志望の高校に進学した。 高校選択についての記事はこちら→ https://note.com/kotobatohanauta/n/nd7fb9b3c0a58?sub_rt=share_b 今回は、不登校から社会に復帰する第一歩となった、高校時代の話。 特に、ちょっと苦労した話、難しかった話をしようと思います! 学校を休んではいけない!強迫観念 高校1年生の1年間、私は無遅刻無欠席の皆勤賞だった。 小学校の時も中学

          不登校からの社会復帰・高校で苦労したこと

          適応障害からの退職を経て、HSPの私の働き方①

          私は毎日「今日はこれをやらなければいけない」という縛りを抱えて生きることがとても苦手だ。 何かが始まる時刻というタイムリミットを頭の中でこねくり回して、プレッシャーとともにカウントダウンする。 その時間が本当に苦手で、吐きそうになる。 最近仕事での利便性を優先して、スケジュールをGoogleカレンダーで管理するようになった。 スケジュールを仕事仲間と共有することで、ミーティングなどの日程調整がはるかにスムーズになった。 でも仕事仲間にプライベートな予定まで共有したくは

          適応障害からの退職を経て、HSPの私の働き方①