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不登校から学校復帰するのはいつがいい?

不登校のお子さんを持つ保護者の方にとっても、不登校のお子さん自身にとっても。学校に復帰できたらいいな。と考えている場合。

それはいつがいいのだろう、、?できるだけかかるストレスや不安が少ないように、今すぐじゃなくてタイミングを考えたほうがいいのかな?などと考えることもあるのではないでしょうか。

そこで今回は、
不登校だった私自身が実際どのように再登校したのか、どう考えていたのかをベースに、学校復帰の際の不安やストレス、タイミングについて書いてみようと思います!


学校復帰するときの不安・ストレス


長い間学校を休んでいる状態から、学校に行きだすとき、不安やストレスは付きまとうものだと思います。
私が実際に感じていた不安やストレス、その中でも特に、復帰のタイミングによって差が生まれると感じていたものについて考えてみます!


出来上がっている人間関係


クラスの中に久しぶりに入っていったとき、やはり感じることが多かったのが「疎外感」だった。

すでに出来上がっている友達関係。特に女の子たちはグループ化されていることが多くて、どこにも所属していない状態でクラスに馴染んで行くのはなかなか至難の技だった。

私の場合はとても人見知りだったこともあり、グループ化しているクラスメイトに話しかけていくことができず、復帰してから日々学校に行き続けることはとても勇気のいることだった。

新参者を疎ましく思うようなグループの子達からは休み時間に囲まれたり、聞こえるように集団で嫌味を言われることもあった。

ただそんな中でも、担任教師が私の受け入れ体制を全面に整えてくれていた小学4年生の時は、クラスメイトみんなで私に声をかけて来てくれたり、積極的にクラブ活動に引き込まれたりしたことで、長く通うことができた。

また中学生の時は、クラスの中で居心地のいい場所がなかなか見つからなかったものの、「図書館」という自分の居場所を見つけていて、休み時間になると1人で入り浸っていた。

そうしているうちに、同じく図書館に1人で入り浸っていた女の子と適度な距離感の友達になることができた。


授業や課題


授業がどこまで進んでいるのかわからない状態での登校。

「教科書○ページを開いて」
「これみんなやってきたよね」

不登校から復帰したその日。1日中こんな指示から始まる授業を受けることになる。みんなは昨日の続き、昨日の指示を聞いている。

私は全く知らない。

私と、この場にいる私以外の全員との間の壁を実感させられる。

元々授業で当てられること、人前で喋ることに大きなストレスを感じる私にとっては、何も用意できていない、構えられていない無防備な状態で受ける授業は、ものすごく不安だった。

宿題なんて私は聞いてないし。知らないし。でもみんなはやっている。

先生から「〇〇さんはいいのよ」などとフォローが入ったとしても、そのフォローが入るまでの時間は冷や汗をかいているし、「いいのよ」と言われても何か自分が不始末をしたようなしんどい気分になったりする。

中学生のある学年では、私のことを気にくわない教師から(授業に出ずに受けたテストで最高点近く取ってしまったことがおそらく原因)、存在を伝えられていなかった課題について突然職員室に呼び出され、どうしてできていないのだと叱責されたことがあった。
(これは先生の質が悪かっただけで、タイミングの話だけではないが)


学校復帰にいいタイミング(私調べ)


ここまで書いてきた不安やストレスは、私が実際に久しぶりに登校した時に感じたもの。この経験を踏まえて、自分なりに考えた再登校しやすいタイミングは

・学年の始まり(4月)
・長期休み明け(特に夏休み明け)
・行事(修学旅行、運動会の練習開始時など)


学年の始まり(4月)


やはり1番ストレスが軽く感じたのが、学年始まりの4月。

みんなが区切りで、クラス替えもあって。1連の日々の中に自分だけ割って入る感覚がだいぶ緩和。クラス替えによって、前年まで完全に出来上がっていたグループは強制的にある程度解体されていて、友達を探している子達がたくさんいるから話しかけやすいし、話しかけられることも多い。

私についてよく知らない子たちもたくさんいるから、「この子は不登校の子」という色眼鏡なしに関わってくれることも多い。

教科書も課題も一新。
1からみんなと一緒に進めていける。
内容も「○年生までが全部終わってる!」と明確で、どう授業が始まるのか予測できる安心感があった。


長期休み明け(特に夏休み)


ほとんど同じ理由で、長期休み明けも比較的入っていきやすい。

課題は「夏休みの宿題」としてはっきりまとまっていて、しっかり伝達してもらえることが多かったし、1ヶ月間かけて「これでいけるか、大丈夫か」念入りに準備して挑むことができる。

そこにプラスで、長期休みの間は普段よりもストレスが少なく、メンタルを回復しやすかった。

不登校として家にいる間、「みんなは今日学校に行っているのに私だけ家にいる」という罪悪感と疎外感が与えてくるストレスはとても大きく、日々積み重なって攻撃してくる。

その点長期休みは「みんな学校に行っていない」から、このストレスがかかってこない。1ヶ月かけてゆっくりと、自分とみんなとの間の隔たりが小さくなっていくように感じていた。


行事(修学旅行、運動会の練習始めなど)


最後に行事。
私は、長く不登校でいて、突然泊まり行事に参加したことが何度かある。

打ち解けられてもいないクラスメイトたちの中に急に泊まりで飛び込むというのは、客観的に見ると「なんでそれはいけるねん!」と思われていたのではないかと思う。少なくとも親は思っていたらしい。

ただ、クラスに入っていくのは不安なくせに、何日間もみんなと一緒に過ごすことに対してあまり不安を感じたことはなくて、行った結果後悔したこともない。

この「後悔したことがない」というある種の成功体験(?)が、不安を感じない要因であることも間違いないだろうが、ではなぜ後悔したことがないのか、考えてみる。

まず教室と違って、閉鎖空間にクラス単位で詰め込まれない。
みんなで並んでいたりはするけれど、開放感があってどこか自由な気がするし、周りの環境は私だけでなくみんなにとって新規のもので、みんなが高揚した気分でいるのでわざわざ意地悪をしてこない。
みんな旅先を楽しむのに夢中で、不必要に私に興味が向かないので、自然に同じ方向を向いて過ごせる気がする。
もちろん勉強の進捗も課題も関係ない。
部屋割りや班分けが勝手にされていて、普段のグループや友達関係が分断されていることが多く、自分の立ち位置が明確。


書き出してみると、思った以上に明らかにストレス要因が少なかった。

ただこの場合は、行事の後学校に通えるようになるには、もう1段階ハードルがあるのだけれど。クラスメイトと関わる入り口として、とてもいい機会だと思う。


これと近い理由で、運動会のダンス練習始まりに突然参加する、というのも楽に感じた。

みんなの目標が明確だし、グループ関係ないし、その上ダンスが結構得意だった私にとっては楽だったし。いつのまにかみんなに教える人になっていたりもした。
勉強ができるとやっかんでくる子達も、別の分野が得意だと意外とストレートに認めてくれたりする。


再登校した後


上記のような時期に再登校していた私だけれど、結果的に完全にずっと通えるようになったのは高校の入学から。

4月頭に行きだしても、5月に入る頃に疲れて動けなくなってしまったり(丁度今、GW明けくらいに行けなくなったり)。3ヶ月くらいで限界がきたり。新しくいざこざがあってまた休みだして、次の区切りまでなかなか戻れなかったり。

それでも、私の場合はずっと行かないままでいるより、「頑張ってみた!」というだけでも達成感があったり、学校に行けている間に友達との関わり方がわかったり。プラスのこともマイナスのことも、毎回何かしら収穫がありました。

だから、ずっと通い続けなければならないとかは思わずに、もし「行きたい」という気持ちがあるならちょっと勇気を出して覗いてみて、やっぱりダメだなと思ったら帰ってきて、また行きたくなる時を待つ。
その時がこなかったらその時はその時。

そんな感じで充分だと私は思っています。


私の経験や考え方が、少しでも皆さんの参考になればいいなと思います!


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