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考え抜いた先に必ずあるあの感覚

考え抜くという行為はあっても、考えすぎるという行為はない。

考えすぎると感じる場合、厳しい言い方になるが、何も考えていないに等しい。

考えるってことは思考停止していないってことだから。

わかる
とか
わからないとか
信じる
とか
信じられない
とか
それらのラベリングは思考停止を意味する。

ってことは?

新たな行動を創造する。
試みる。

そこまでひっくるめて考えるだから。

キミは考えすぎるから休みなよ、なんて甘い言葉に甘えてんじゃねーぞ。

そんなぬっくい言葉、結論に飛びつくとしたら、やっぱこれまできちんと考えて来なかったんだ。

オレがここで言ってることも感情ではなく、
キチンと頭使って考え抜けよ、だから。

ついでに組織におけるエンゲージメントの上げ方について言及しておこう。

エンゲージメントを上げたければ先に下がる方法を考えてみたらいい。

どのようにすれば下がるだろうか?

例えば、あなたをモノのように扱ったら
どう感じるか?
名も無き存在として扱われたらどうか?

いくらでも替えがきくという前提を感じたらどうだろうか?

あるいは、能力ねーなーというレッテルをはられているとしたらどうだろうか?

エンゲージメントを上げるのはその対極にあるものの日々の体験になる。

即ち次の問いと向き合う必要がある。

我々は彼らに結果的にどんな体験を毎日提供しているのだろうか?


その上で、ひょっとしたら転職を考えている人がいるかもしれないのでシャウトしといてやると、今与えられている役割をはみ出した存在にならない限り、場所を替えても活躍できる訳では無い。

今与えられている役割とは何か?
その期待を超える成果とは何か?
それには自身にどんな進化が求められているか?

その問いと向き合う過程の中で、時にオレたちは考えすぎてると勘違いしたり、ありもしないプレッシャーを感じたりする。

目標を意識し過ぎると、そのプレッシャーに
マイナス思考になるという人がいる。

でも、次のように扱ってみたらどうだろう。

意識し過ぎではなく、まだまだ不充分なのだ。

もっと目標に気持ちを向け意識をしっかりしていく必要があるんだ。

そうすれば、プレッシャーではなくやるべきこがまだまだやれていないということに気づくだろう。

そう、意識し過ぎることではなく、

まだやれること、もっとやれること、それをやり尽くしていないことがプレッシャーの正体なんだ。

考えすぎ
エンゲージメント
転職
プレッシャー

これらに共通するオレの思考アプローチが何かに気づいただろうか。

ヒントを差し出そう。

自分を取り巻く世界が行き詰まったときは、周りの世界ではなく内側の世界を覗いて見るよう求められている。
それは自分の中の古いやり方に固執している部分や、自分の苦悩に対して自分で責任をとらずに人を非難している部分や、まわりの人を祝福する代わりに嫉妬に根ざした判断をしているところや、受容的でオープンで寛大である代わりに隠し持った敵意に、実は満ちている部分がどこかを見つけ出しなさいという声なのだ。

要は、突き抜けるまで考えろってことだ。

何か、どこか身体的な反応として疲弊感を覚えるようならば、まだ様々なアングルから考えられていないんだ。

どの中にいるか?が見えちゃいないんだ。

いいかい?どの中にいるか?
が見えれば、突き抜けられる。

目の前が明るく開かれたあの感覚が起こるまではまだキミはろくに考えちゃいないってことになるからね。

さて、キミは今、そもそもどの中にいる?

By オレの殴り書き

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