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僕の手を売ります。

『僕の手を売ります』の主人公オークワさん(大桑北郎)の肩書を一言で説明するならば、借金返済のため必死で働くプロアルバイター(なんでも屋)。


オークワさんは、大卒時、友人と起業するも大失敗。友人に逃げられひとりで5000万円の借金を背負うことになった。結婚して、娘が15歳になった今も借金を肩代わりしてくれた債権者に、毎月20万円の返済をするためあれこれ必死に働く日々を過ごしている。

オークワさんは、この債権者に恩義を感じているようだだが、そこには別の真実が隠れているかもしれない。

例えば、この債権者が儲けるために、学生をカモにして起業をけしかけるビジネスをしていて、オークワさんはその被害者だったとか。そんなことを知りもせずに律儀に、恩義を感じてくれるオークワさんのことがだんだん不憫に思え、この債権者は気にかけるようになったんじゃないかって。

これはあくまで俺の妄想だが、そんな妄想をしてしまうほどオークワさんは真面目でお人好しなので、稼ぐために手を売るはずが(仕事を請け負うが)、その性格から自ら損を買いトラブルに巻き込まれていく。

しかし、オークワさんからはまったく悲壮感が漂ってこない。劇中で叫んではいたけれど、怒りなど負の感情に囚われていない。

※以下、ネタバレあり

【第一話、丸子の面接シーン】
面接官の質問:
「ちなみにお父さんお母さんはどんなお仕事をされてますか?」

丸子の回答:
「母の今の仕事はペットシッターですが、父には特に決まった仕事はありません。父は何でもやるからです。

いつも日本中を車で走り回って、土木工事とか、遺跡の発掘とか、津波で流された町の片付けをしました。そういう父をすごいなって思います。

でも、私が両親の後を継ぎたいのは仕事そのものじゃなくて、仕事なんか何でもいいという 両親の考え方のことです。

例えば、父はその時一番人手が足りないところへ飛んでいきます。人の役に立ったら自分の手が誰かの人生とつながる気がして嬉しいそうです。

だから私も、将来、自分がそういう風に思えるように学校でいろんな勉強をしたいです。」

別のシーンでは、父が放棄された網を回収している写真に『密猟者』なんてタイトルをつけて、写真部が校内展示をしていたが、丸子は誤解を解くことも、怒ることもせずにその状況を面白がっていた。

他人にどう思われようがどうでもいいのだ。
北郎がそんな人ではないことを丸子はわかっている。

北郎はとにかく怪しいので誤解をされやすくトラブルに巻き込まれてばかりいる。しかし、北郎を知る家族や知人からはそこも含めて愛され、信じられている。

損得勘定で言えば、正直者はバカをみるのかもしれない。
嘘ばっかりの世の中なので、信じる者が救われるかはわからない。

しかし、
北郎の目には、債権者すら恩人にうつる。
北郎だから、債権者すら恩人になる。

人は多面体なので、様々な面を持っている。
うまいこと面を選んで使い分けるような器用さを北郎はもっていない。
しかし、面を使い分ける必要のない北郎の生き方ははたして不器用なのだろうか?

いつもこうなると嘆きながら、あえてそうなることをしているオークワさんは、そのまんまの自分を受け入れ、それを自ら選択しているようにもみえる。

借金の返済に追われても、仕事を選んでいられなくても、オークワさんは間違いなく自分の人生を生きている。

写真はこんなことを考えながらドラマを見ている俺の傍で眠る愛猫ブラン。ブランの肉球は非売品。念のため。

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▼人の役に立ったら自分の手が誰かの人生とつながる気がして嬉しいゐどむ(いどん)の手を買いたいかたはこちら

ところで、このフォームなに?ってあなたへ。

「仕事なんか何でもいい」「その時一番人手が足りないところへ飛んでいく」「人の役に立ったら自分の手が誰かの人生とつながる気がして嬉しい」
こんなオークワさんのように働きたいという想いとか、

教育や子育てに限った話であれば、「特定の主義にはとらわれない!」「方法は目的と状況による」という想いとか、

「無目的的に楽しみたい!」という想いからの

ドラマで使っていた「詳しく 聞こうか」がみつからず・・・

って、やつ。

とりあえず、詳しく聴こうか・・・

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