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【子ども教育#1】正義と公平

ロシアのウクライナ侵攻から1年経った。

ここのところ、平和や正義について子どもたちと話す機会が増えたのだが、

昨日、たまたまテミス像の前を通りかかった。


目的地は、ウクライナ避難民によるウクライナ料理店「スマチノーゴ」

このお店のすぐ近くにテミス像があることに、何か感じるものがある。

テミス像といえば、正義と公平のシンボル。

ギリシャ語でテミスは「確固、不動」「「自然の法則」「必然」といった意味をあらわし、法に関する建物にあることが多い。

両皿天秤は、公平。善悪の判断を厳格に行うこと。

剣は、強制力。正義を断固として妥協することなく実行すること。

真実を公平無私に見抜く意味をこめて目隠ししている場合もある。(目隠しがない場合は、しっかりと目を開き真実を見抜くこと)

正義の女神と呼ばれることもあり、男性的な力や闘争ではなく、女性的な冷静さと平和を意味しているとも考えられている。

さて、3月は教育に関して毎日?投稿しようと決めたので、今日から教育の話。


正義と公平といえば、ちょっと前にこんな画像がWEBにあふれていた。

もはや出所がわからないので、このかたのTwitterをそのまま使わせてもらう。


野球観戦バージョンも。フェンスあるなしとか、いろいろ出回っている。

ここでの議論は、

Inequality(不平等)は、同じ機会が与えられていないこと。

Equality(平等)は、配布されたツールと支援が平等であること。

Equity(公平)は、不平等を特定し、対処するためのカスタムツールが与えらていること。

Justice(正義)は、ツールと機会の両方に平等にアクセスできるように制度自体を見直すこと。

つまり、公平さや、正義(制度の見直し)、テミスが重要であろうことがわかる。

でも、みんながみんなりんご食べたいわけでも、野球観戦したいわけでもないじゃない?

もちろん、この場合は、求めている人に対しての議論なのだと思うのだけれど、

私はりんごの木をみつけたら、木登りしてりんごを獲ってみたいし、

私は野球よりバスケを観戦したいというか、ボールの弾む音を聞くとバスケをやりたくなっちゃう。

子ども教育って、全員が同じものなんて求めてないところに難しさがあると思っていて、

ひとつの正義と公平の観点から仕組みを作ってしまうと、そりゃしんどいよと感じている。


りんごの木をみつけるのはあくまできっかけであり、

本人のやりたいようにりんごの実を獲ってみたらいい。

食べることが目的なら、そもそもそういうの得意な子が獲れない子の分も獲ってあげたっていい。

梯子をおさえる係をしたっていいし、

そもそも、りんごを獲らなくなっていい。

絵を描いていたっていいし、

ぼーっと眺めて重力を発見したっていい(ニュートンはりんごで発見したわけではないっぽいけど)。

結果、それぞれちゃんと成長している。


もちろん、ともに自由に生きるためには、共通ルール、共通カリキュラム、必修科目なども必要となる。


一方、テミスとか法とかカリキュラムとか、外にばかり求めないで、

それぞれの中に自分の剣と天秤(価値観/自己理解/判断軸など)をもつことが、ウェルビーイングに生きていく上でとても大切だと考えている。

それって、常にやることが決まっている中では、なかなか育たない。

だから、柔軟さ、寛容さ、余白を大切にしていきたい。

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