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配慮って何?

起業家の大学生二人と話した。 将来に対していろんな不安を抱えて、自信を失っている話を聞いて私は、私の考えを述べた。 しかし、言った後で反省をした。 喫茶店という形式で探求学習をしているカフェ&自習室に行った。そこで出会った彼らだったが、マスターの対応を見て私自身のコミュニケーションが未熟であったことを感じた。 マスターは彼らの将来に対する悩みや彼らが感じる現状の不満に対して、自分の考えを述べるのではなく、聞きながらジョークを挟み、その短いジョークの中に彼らの背中を押す言葉

    • こじつけ

      「あいつマジで殴りたい。あいつ最低。はなせゴラ!お前らには関係ないだろ!」 小学校担任時代子どもからこんなセリフをよく聞いた。 ただ、 よくよく話を聞いてみると、 それってあなたの問題じゃないの? と思うことがたくさんあったりする。 お腹が空いてイライラしていた。。 体育帽子を忘れて体育に参加できずむしゃくしゃしていた。 最近友だちとの関係性がうまくいかずむしゃくしゃしていた。 むしゃくしゃする気持ちをどうにかしたい。 誰かのせいにして解決しよう。 ただそれじゃ理

      • 大人も先生も正論ばっかり。。子供たちが聞きたいことは

        「赤信号を無視してはいけない。」 「車に轢かれて命を落とす人もいるかも、防音で寝れない赤ん坊がいるかも」 「だから暴走族なんてやるな」 彼らにこれを言っても納得するのだろうか。 「先生、あの子持ってきちゃいけないカラーペン持ってきている」 「学校のルールを破ったな。ルールなんだから守りなさい。」 彼らはこうした言葉を聞きたいのだろうか。 正論や教科書にあるような言葉。多くの人はそれをわかった上で違反したり、法を犯したりしている。 そんな彼らにルールだのなんだのと言って

        • 言いたいと伝えたいは違う

          私がこう言った。お前ら私がこう言ったんだから分かれよ(言いたい) 私はあなたにこれを受け取って欲しい。だからあなたが受け取ってもらえるように私は努力するよ。(伝えたい) これはまるで違うことである。 キャッチボールでも思いきっり投げるだけで相手の胸元に投げることを意識していなければ、ただ投げただけ。 大谷翔平のど真ん中直球の美しいスピードボールをキャッチボール始めたばかりの人間に投げても、ただ投げただけになる。 相手がキャッチできるように場合によっては遅く投げたり高く投

        配慮って何?

          マクドナルドに行ったことないやつに、何がおいしいとか何が食べたいとかってわかる?

          仕事を探す時、よく聞く言葉。 「やりたい仕事がしたい」 おそらく私自身この言葉をたくさん使ってきた。 やりたい仕事がしたいがやりたいことが見つからない。 オーストラリアのワーキングホリデー中、このような日本人にものすごく出会ってきた。 自分探しのために、やりたいこと探しのために、オーストラリアに来た。 私自身も最初の目的がそれではなかったにしても、滞在中はずっとそれについて考えていた。 彼らはやりたいこと見つかったのだろうか? 私には教育関係で働いてきたという肩書きがあ

          マクドナルドに行ったことないやつに、何がおいしいとか何が食べたいとかってわかる?

          私は生きているというだけで肯定してくれた両親がいます。 無条件で愛してくれた両親がいます。 だから私は挑戦できた。頑張れた。くじけることもできた。時間をかけてゆっくりゆっくり成長することができた。 当たり前じゃない。ものすごくありがたいこと。 社会を生き抜くことは1人じゃ絶対にできません。 社会は競争社会で。 いつだって競争を意識させられる。 学校。社会。どこだってそう。 人の価値は競争で決まることじゃない。テストの点数や会社の業績で決まるわけではない。 という人もいるけ

          「お金」

          お金って何? 今日友人とその話題で議論。 お金とは信用。 お金とは手段。 いろいろ考えることができるが、お金によって不幸になることもある。 日本では人に対して年収を聞くことはタブーとされている。 なぜだろう。 人は年収で価値など決まるわけではないが、年収が人を計る物差しになることもある。 学歴、年収、キャリア。 私たちはその人をどういう人か紙面にあるような情報だけで判断する場合、これらが物差しになることが多い。 東京大学出身です。と聞くと正直私自身もその人がどうい

          「お金」

          「今日も最高の1日でした日記」の意味

          私はなんでこうなったのか? わたしはなぜここにいるのか? 多くの人は原因論で物事を捉える。 ただ原因論は万能ではない。 『俺は貧乏だったから他のやつよりチャンスがなかった、親が許してくれなかったから、障害があるから、体調が悪いから。環境が悪いから。』 何かが起こった時、その原因を特定したいものだ。納得したいものだ。が、 環境が悪いから自分は、、、、 その先の結論って。 現実逃避か可哀想な自分を慰めて欲しいかの二択しかない。 そして私自身も例外ではなく、無意識にその

          「今日も最高の1日でした日記」の意味

          なんかお前人格者だな

          「なんかお前人格者だな」 これは友人から言われた言葉。嬉しかった。 ここに時計がある。この時計を客が2万円出して買う。売り手は、 「ありがとうございました。」 よくみる光景だ。でも、客は言わない。 バスに乗っても、物を買っても、サービスを受けても。 なんで?だってお金払ってるから当たり前じゃん。そのサービスや品質に見合うお金を払ってるんだから、目的地まで運んでくれるのは当然でしょ。 ここに時計がある。この時計を客が2万円出して買う。2万円出した客が 「ありがと

          なんかお前人格者だな

          やりたいことがあるってなきゃダメなの?

          やりたいことが見つかりません。 自分が何をしたいのかわかりません。 そんな事態を由々しき事態だという大人もいれば、そう言った不安を栄養にしてビジネスで大きなお金を得る企業もある。 でも、やりたいことってなきゃダメなの? 確かにやりたいことがある人は輝いて見えるし、好きなことに邁進している人を見ると、それに比べて自分は、、、なんて思ってしまうのもわかる。 ありがたいことにオーストラリアに行ったあと、私はやりたいことだらけになり、5兎おって1兎もえられませんになりそうだっ

          やりたいことがあるってなきゃダメなの?

          私たちはなぜ学びをし続けるのか。

          先日、中学校で教師をしている友人との話で出てきたこと。 「俺、家業継ぐから勉強しなくていいんだよね。」 「親も中卒で勉強なんていらないって言ってる。」 私が育った札幌ではあまり聞かないこの発言だが、一次産業で成り立っている田舎では今の時代にもこのような価値観を持っている児童生徒がいるようだ。 そして彼らの産業があるから私の衣食住があるわけで。 都会で多種多様な人間に揉まれて結果、機械的な人間になってしまうよりも、自然に囲まれ自然と向き合って大事な人とゆっくり過ごせる職業

          私たちはなぜ学びをし続けるのか。

          どうしたら自信がつくのか、自己肯定感が育まれるのか。

          どうしたら自信がつくのか、自己肯定感が育まれるのか 巷では自信をつけさせるために褒めるだの、失敗させないだの、スモールステップで達成感を積み上げるだのなんだのという。間違ってはいないと私は思う。しかし、褒められたら自信がつく。そんな単純な話ではない。 例えば、私自信を例に挙げても私は自信もなければ自己肯定感も高くない。むしろ低い。 しかし「なんかできるぞ」と思うタイミングもあれば、「俺なんてどうせ」と思うタイミングもある。1日、1年と生きていたら誰にだってそういうものはタイ

          どうしたら自信がつくのか、自己肯定感が育まれるのか。

          明日児童相談所の一次保護の仕事の面接を受けてきます。

          2023年3月31日私は教職を辞めた。そして2023年5月からはオーストラリアにワーキングホリデー。2024年2月に日本に帰ってきて、次のキャリアとして2025年4月の法務教官採用のための試験勉強に打ち込み、今は合否を待っている。受かれば7月に2次試験がある。 自分の状況としてはざっくりいうとそんな感じだ。 ただ、教員を辞めて時間ができた。だから改めて自分と向き合い続けてきた。これまで教員として働いていたとき、特に教員としての最後の4年目の年。私は、保護者のため、児童のため

          明日児童相談所の一次保護の仕事の面接を受けてきます。

          これまでがんばったこと

          子どもが好きだから学校の先生になりたいなと思った。子どもと鬼ごっこしたら楽しいからね。だからなんとなーく教育大学に入って、社会科教育専攻だったから社会学や現代政治学、歴史学などを勉強した。たくさん本を読んだ。たくさん新聞も読んだ。たくさん勉強した。大学時代は中学校の社会科の先生になるつもりだったんだ。 けど…。 実際に最初赴任した学校は僻地も僻地。いや、ド僻地。冬はマイナス30度を超える、全校生徒7人の小中学校だった。ちなみに中学生は一人だけ。 その学校で働いた時の一番印

          これまでがんばったこと

          借金、無職、実家暮らし、彼女なし。なのに幸せ。

          今さっき、母親と雪道を歩いている時だった。 溢れ出るように教員時代の記憶が蘇った。自分はだめだったんだと結論づけ、何がだめだったのかを考えてばかりの日々とは違った記憶だった。 チャレンジすること。やりたいことをどんどんやっていくこと。子どもたち一人一人が、クリエイティビティを発揮してどんどんやりたいことをチャレンジしていくことができるクラス。学級担任だった僕自身が新しいことにチャレンジしてみることが好きだったから、自然とクラスの子どもたちも新しいこと、ワクワクすることをチー

          借金、無職、実家暮らし、彼女なし。なのに幸せ。

          矛盾。

          私の教員時代を振り返って。 面接で言うべきではないこと、言うべきこと。教員になるために私たちは面接をクリアするためのイロハを教えられる。誰も試験に落ちたくはないから、スタンダードを探す。そこに表現の豊かさもなければ、寛容もない。教員になればインクルーシブ教育だの、個性を受け入れるだの、学校教員生徒保護者一人ひとりが個性を認め、そこから学ぶことがよいと価値観を押し付けられる。しかし理念はあっても現状はまるで違う。言ってはいけないことがいっぱいある面接を通り抜けた教員が、教員に