【小説】ロボットと青年 ー時間と心の豊かさについてー

「次の方どうぞ。」

カウンセリング室の引戸が、カラカラと音を立てて開いた。

「先生、ご無沙汰しておりマス。」

一人の青年型ロボットがにこやかに入室してきた。穏やかな動作で頭に乗せていた帽子を取り、軽く会釈する。
帽子の下には、人間ではないことを示すように、通信状態良好を表す青いLEDランプの光がこめかみ辺りを走っていた。

「やぁ、久々だね。さぁ座って」

私は、いつものように、冷蔵庫からお茶を出し、ガラス製のコップに液体を注いだ。
そのグラスを、私と対面したソファ前のテーブルに置き、着席を促した。

「先生、いつも言いますけど、僕は人間の飲みものは飲めないんデスヨ。お茶がもったいないデス。」

「いや、まぁ、これは習慣みたいなものだし、おもてなしの心だから、許してくれよ。」

彼は、肩をすくませて、しょうがないですね、といった表情を浮かべてソファに座った。

「前回は、2ヶ月前…仕事を辞める直前のカウンセリングだったね。あれからどうだい?」

青年型ロボットは、深くうなづいてから、にこやかに答える。

「えぇ、思い切って仕事を辞めて、有り余った時間をぼんやり過ごすようになってから、なんだか人が変わったようデスヨ。昔は、1か0か、みたいな極端な性格だったように思いマスネ。言われたこと、決められたこと、時間通りにキッチリこなして行く、みたいな生活をしていましたヨ。」

昔を懐かしむような目で、ぽつりぽつりと話す。

「ウーン、今は、0.2〜0.8くらいで生きているような気がしマスネ。曖昧なんデスが、それが良いのかなって。」
そして、ハハハと爽やかに笑う。

「随分と、メンタルが安定してきたみたいだね」

「あれからお散歩ばっかり行ってマス。だってこんなに天気がいい日が続いているんデス。働いている時は気付きもしなかった…。自分なりの時間の過ごし方ができていマス。」

それから、なんてことない、たわいも無い話を続けた。

「先生、私、悩みが全く無いという訳では無いんデス。働いてない分、お金はないデスし、貯金残高は面白いほど急降下してマス。
昔の仕事仲間とは全くあわないデスし、時間的にも、話の内容的にも…。
自分だけ生きている時間の軸がズレてしまったような感覚になって、そういう意味では自由であるとともに、とても孤独デスネ…。」

壁掛け時計が、14時を告げた。

「あ、僕はもう行かないとデス。いやぁ…すみません、このあと体内機械の定期整備の予約をしているんデス。体が動かなくなってしまっては、元も子もないデスからネ。」
彼はソファから腰をあげた。忘れ物をしていないか、辺りを見回した後、

「それではまた2ヶ月後にお願い致しマス、先生。」
深々とお辞儀をし、帽子を丁寧に頭の上に乗せ、静かに扉を閉めて、去っていった。



その日は、もう一件カウンセリングが入っていた。
16時のチャイムがなり終わる頃、廊下をパタパタと走る音が近づいてきた。

「あぁ、すいません、間に合いましたか?」

少しよれたスーツ姿の男性だ。急いで来たので、額にうっすらと汗が滲んでいる。

「いえ、大丈夫ですよ。お座りください。」
私はまたしても、冷蔵庫からお茶を出し、テーブルに置いて着席を促した。
彼は、椅子にドカッと座るやいなや、口を開く。

「急な電話に、急な呼び出し、仕事ややるべきことが山積みで、全然時間を割くことができないんですよ。いつも時計と睨めっこ…いやまぁ、実際はチラ見みたいなものですけどね。でも時間はいくらあっても足りない。とにかく上司の言うことは絶対ですからね。あとお客さんの言うことも絶対です。会社員ですから、皆の言うことにハイハイソウデスネーって言って頭下げとく。それが仕事みたいなモノでもあります。体が千切れるんじゃないかって考えちゃいますよ。カフェインというドーピングで体を動かして、アルコールというドラッグで気持ちを落ち着かせる。いろんなもので自分を騙し欺して、明日も会社に行く…そんな毎日の繰り返し。
いっそのこと、鋼のボディでガソリンぶち込んで、ずっと稼働してくれないかなーなんてのも考えますけどね。ハハっ。」

息継ぎをする暇も与えないほどの早口だ。

それから、こちらが口を挟む余地を与えないかのように、話つづける。
会社の愚痴と、人間関係の愚痴を、ひとしきり。

やがて、電池が切れたように、動かなくなった。
そして頭を抱え始める。

「はぁ…。僕は、全然できないんです。上手くできない…。頑張っても、報われないと感じることばかり。褒められたいんです。頑張ってるねって、子供の頃みたいに。でも、もっとやれって。お前ならもっとできるはずだって、言ってくるんです。
僕はこれが1番だって、最高だ、限界だ、って思ってやってても、否定され、却下され…仕事だからそんなこともあるってわかっているんですけど…自分の意見がダメで、あっちのが良いって、なんでなのか、全然理解できない…世の中、曖昧なことが多すぎるんです。白黒ハッキリして欲しいなぁ。」
やがて彼は、肩を震わせる。

私が口を開くよりも先に、時計が17時を告げた。

「あぁっ!もうこんな時間だ。上司に呼ばれてるんです、次の打ち合わせ場所に時間通りに来いって。
それでは失礼します。次回の日程は、またメールしますからっ。」

時計の鐘の音とともに、ソファから身体を飛び跳ねさせたサラリーマンは、こちらの言葉も聞かずに、部屋を出て行った。
引戸扉がガシャンと音を立てて閉まる。バタバタと音が遠ざかっていく。

テーブルに出されたお茶のグラスは、またしても手付かずだった。



自分と向き合い、自分でやり方を選んだが、収入も社会的地位も失ったロボットと、
時間に追われ、あらゆるストレスにまみれても、社会とつながりのある人間と、
どちらがより良い生き方なのだろう。

日が暮れる。1日が終わる。
私の人生の中で、二度と来ない、今日という1日が終わろうとしている。
私は何か前進しただろうか。

そんなことを思いながら、私はタイムカードを押し、今日という平凡な1日に終止符を打った。

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