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評価は他人がするが、自分を評価できる人間に

どうも、お久しぶりのリリこです。
今日は数分後にはひょっとしたら少し元気になれる
そんな記事をお届けします。
では、

評価は他人がするもの


評価は他人がするもの、そう教えられてきたし、
殆どの人がそう教えられてきただろう。
と、私は思います。

でも、いざという時
失敗や立ち止まった時に
大事なのはどれだけ自分を評価できるか

そう、私は思います。

人の目が気になる

私は、不登校になったとき
自分の気持ちより、周りにどう見えてるのか
そればかり気になりました。

そして自分を追い込みました。

転校か留年を選択した時もそう。
転校を選んだ自分を責め
「決意」した自分に対し
「逃げ」と責めた自分。

当時を振り返ると、
それは周りにきっとそう思われてるし、
そう見られてるだろうな。
後からそれを知るより、
自分で分かっていてるほうが気が楽。

そのような考えでした。

責め続けるのが正しいのか


しかし、人間は失敗は必ずするものです。
結論から言うと、


失敗は活かすもの
責めるものではない。
たとえ「失敗」に見えたり「逃げ」に見えても
そこまでの過程が何よりも大事で、
そこからの次なる「軌道修正」をいかにスムーズに行えるか
それが大事だと私は思います。


他人がどう見ているかよりも
「自分で振り返った時」にどう感じるかを
一番に考えるべきだと。

失敗も成功も
どちらの体験にも何かを得るチャンスが絶対あるんです。
そのために人は「歴史」や「ことわざ」を習うんだと思います。

成功体験は考え次第で増やせる

人は成功体験を積むことにより自信につながります。
成功体験はどう増やせるか。

「自分ここまでどう生きてきたっけ」
この問いかけが増やすきっかけです。
例えばすべてが終わった一日の終わり「夜」に
自分の振り返りをしましょう。
一つ一つ振り返り「今」まで記憶を探る。
成功体験なんて大きくなくていいのです。
その価値は他人が決めるのではなく自分で決めるんです。
『○○賞をもらった』が成功体験にする人もいれば
『ここ最近笑顔が増えた』が成功体験にする人もいます。
どちらも悪くはないです。
ただ、前者の例えはそう頻繁には起こりません。
「ここ最近失敗ばかりだな」そんな風に思う日も
きちんと振り返ればできるようになったことも、
転がっているんです。
私たちはつい人の目が気になり、
いつの間にか自分に厳しい自分になっているのです。

私のような精疾患を持ったり、幼少期に対人トラブルを解消できなかった人
は、「自身」を見失い「自信」が減っています。
自我は大事です。

大人になればなるほど「できて当たり前」が増え、
「誰かに褒められる出来事」は減っていきます。
小さい頃は、
〈言葉を発する〉
〈立つようになる〉
〈歩けるようになる〉
ひとから、沢山褒められて育ちます。
それを、自分で自分をほめれるようになるのが
生きやすい方に持っていけると思います。

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