読書備忘録_第3弾_3

【読書備忘録】蒼老たる浮雲からキルプの軍団まで

 いつの間にか【読書備忘録】を始めて2年半近く経過していました。2017年6月12日が最初ですね。当初はTwitterの感想文を微修正した程度の簡素な内容でした。文章量を増やしたりレイアウトを変更したり、今も試行錯誤を続けています。とはいえ本の魅力を損ねる書き方をしていないかと公開するたび不安に駆られます。もしもこの書評集が少しでもお役に立てていたら幸いです。今回は岩波書店、河出書房新社、白水社の書籍が目立ちます。どれも素晴らしい本なのでおすすめですよ。


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蒼老たる浮雲

*白水Uブックス(2019)
*残雪(著)
*近藤直子(訳)
 白水Uブックスは残雪作品を積極的に復刊しており、これまで『黄泥街』『カッコウが鳴くあの一瞬』を刊行している。三作品目は一九八五年に発表された後、一九八九年に河出書房新社より翻訳刊行された作品集『蒼老たる浮雲』である。もっとも原語版の発表は処女作とされる『黄泥街』より半年早いので、邦訳された小説では最古となる。物語の基礎は棟続きの家に住む夫婦の悶着なのだが、梶の花の芳香に惑わされて意味深長な行動に出たり、夫婦間にも、果ては個人の内面にも忍び寄る不安の表現は「さすが」の一言に尽きる。得てして残雪氏の小説は夢心地であり、不条理であり、幻想と狂気の混在した心象風景の連続で主題が顕在化されていく。その構造は意識の流れもとり込み、噛み合わない会話劇で読者を翻弄することもある。こうした残雪氏の作法は、文化大革命時の体験を題材とする傷痕文学が飽和状態となり、文芸の自由化を進めようとする時勢を後押しするかたちとなった。とはいえ厳しい検閲からは免れられず、出版が叶っても大幅に削除されるという理不尽な目にも遭ってきた。作品単体の素晴らしさはいわずもがな、発表当時の社会状況を踏まえた上で熟読すると、現代の日本で読めることが如何に幸いであるか強く感じる。

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私たち異者は

*白水社(2019)
*スティーヴン・ミルハウザー(著)
*柴田元幸(訳)
 魔術的な幻想の世界を、精密機械のような文体で表現する職人スティーヴン・ミルハウザーの短編小説集。二〇一一年に刊行された新旧二一編を収録した作品集より新作七編を訳出。柴田元幸氏の意図は白水社の既刊に収録されている旧作=既訳との重複を避けることにあるようで、スティーヴン・ミルハウザー作品を継続的に読んでいる層に合わせた構成になっている。表題作は簡単にいえば死者の物語だが、普段通り就寝したまま本体から抜け出てしまい、困惑しながら永眠する自分を観察する流れは滑稽でありながらゾッとするような、不気味な印象を抱かせられる。ここから始まる「異者」として行動が本作品の要となる。なお本作品は二〇一二年に優れた短編小説に与えられる"The Story Prize"を受賞した。理不尽極まる連続平手打ち事件に動揺する町の様子を描いた『平手打ち』、仲睦まじい彼女との関係が白い手袋をきっかけに揺らぐ『白い手袋』など非日常と化した日常が次々に展開され、悪夢の中に引き込まれる心地を堪能できる。

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黒い豚の毛、白い豚の毛 自選短篇集

*河出書房新社(2019)
*閻連科(著)
*谷川毅(訳)
 現代中国文学界を牽引する閻連科氏は、おもに長編小説を書いておられるため短編小説は意外と少ない。このたび翻訳刊行された自選短編集は一九九九年の『いっぺん兵役に行ってみなよ』から二〇一八年の『信徒』まで、約一九年間に発表された短編小説を著者自身の判断で九編選出、収録した重みのある本である。月日を経て変化している点と変化していない点を対比し、閻連科氏の表現の推移を探るのも面白く、素晴らしい時間を堪能させていただいた。表題作に選ばれた『黒い豚の毛、白い豚の毛』では、死亡事故を起こした鎮長の替え玉として罪を被り、相応の対価を得ようと目論む人々が入念に描き込まれている。明暗をわける鍵は豚の毛。屠畜屋のある風景に織り込まれた皮肉な結末が印象に残る。また閻連科氏の代表作『愉楽』の愛読者故、同作品の主人公柳県長が郷長として登場する『柳郷長』にもひとかたならぬ愛着を抱いた。とはいえ、収録作品は農村・軍隊・宗教と異なる主題を掲げていることもあり優劣を付けることは困難を極めるし、優劣を付ける行為に意味を見出そうとも思わない。発禁処分を受けながらも真摯に創作活動を継続し、日本の読者にも温かな言葉をかけてくださる閻連科氏に一愛読者として感謝の意を表するとともに、既刊を読みながら新たな作品の登場を待つまでである。

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小説の読み方、書き方、訳し方

*河出文庫(2013)
*高橋源一郎
 柴田元幸
 お二人の紹介はもはや不要かも知れない。高橋源一郎氏は前衛的な小説で現代日本文学を牽引する大家であり、柴田元幸氏はアメリカ文学を中心に無数の作品を翻訳してきた大家である。小説・随筆・翻訳などの著書数は目がまわるほど多い。本書にはそうした大家同士の自由奔放な、それでいて示唆に富む対談がおさめられている。語り合いは読む・書く・訳すことに関わる経験や解釈から始まり、小説の書き方・訳し方を経て、小説の読み方に移行していく。後半では両氏が国内外の小説を六〇冊(ほか数冊)紹介。小説家の視点と翻訳家の視点を絡めて構築されていく文学観は刺激的であり、固定観念に囚われず、執筆・翻訳する小説によって表現法を調整する両氏の柔軟性の源に触れることができたのは大きな収穫だった。これは物語の構造を分解し、コードという雛形に通じる概念で説明されるくだりも、コードを開示する近年の傾向に対する高橋氏の言及も前述に勝るとも劣らぬ発見である。小説をより楽しみたい人にも、小説をより突き詰めて書きたい人にもヒントをくれる良書だ。

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世界幻想文学大全 幻想文学入門

*ちくま文庫(2012)
*東雅夫(編)
 古今東西の怪奇幻想文学に通じるアンソロジスト東雅夫氏による特別な一冊。この本が生まれたきっかけは大規模なアンソロジー構想だった。外国の怪奇幻想文学の中短編小説を怪奇=ホラー要素の濃い『怪奇小説精華』と幻想=ファンタジー要素の濃い『幻想小説神髄』に加え、国内外の小説家・批評家・翻訳家の怪奇幻想文学論を収録した初心者向けの入門書を編むという企画。初心者向けというには内容が通好みに映るが、個人的には納得の選出である。おもな構成は澁澤龍彦の幻想文学論、平井呈一と紀田順一郎の怪奇小説にまつわる回想録、中井英夫と倉橋由美子の幻想文学分析。各章の合間に編者の体験談を交え、シャルル・ノディエ、小泉八雲、H・P・ラヴクラフト、ロジェ・カイヨワの怪奇幻想文学論に展開する。卓越した筆致で世界的に名を馳せた文豪ばかりだが、小説や翻訳を主戦場とする作家陣が自分自身に関わる分野の歴史や構造を掘り返し、開陳していく模様は壮観だ。どなたも飽くなき探究心に突き動かされている故、ときに理想からはずれた創作法に対して偏屈な面も覗かせるが、それもまた求道者の宿命だろう。

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魔法の庭・空を見上げる部族 他十四篇

*岩波文庫(2018)
*イタロ・カルヴィーノ(著)
*和田忠彦(訳)
 さまざまな時代を幻想的な表現で輝かせてきたイタリアの文豪イタロ・カルヴィーノ。彼の初期短編小説を収録した晶文社版『魔法の庭』、その文庫化にともない、五編追加されたこの本には編集者・ジャーナリストとしてハンガリー動乱を経験し、政治と文学の模索を続けてきた彼の源流を見ることができる。すでに寓意に富むカルヴィーノ文学の特徴は芽生えており、『蟹だらけの船』『うまくやれよ』、ジョヴァンニーノとセレネッラという二人が登場する『魔法の庭』『楽しみはつづかない』などに代表されるように、戦争・暴動の爪痕が残る世界で快活に動きまわる青少年たちを描くことで逆接的に悲愴なイメージを喚起する表現力には胸を打たれるばかりである。また『菓子泥棒』『動物たちの森』などいい年した大人が子供に戻るような、滑稽とも風刺とも認められる童話的な小説も印象に残る。全十六編に及ぶカルヴィーノの原点たる物語郡は半世紀以上を経ても鮮度が落ちるどころか、ますます研ぎ澄まされて幻想文学の面白味を伝えてくれる。改めて作品集の復活を喜びたい。

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純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語

*河出書房新社(2019)
*ガブリエル・ガルシア=マルケス(著)
*野谷文昭(訳)
 このたび河出書房新社より刊行されたガブリエル・ガルシア=マルケスの中短編小説アンソロジー『純真なエレンディラと邪悪な祖母の信じがたくも痛ましい物語』の収録作は、すべて既訳があるため全作品読了した方もいることだろう。自分の場合は全部ではないが、大半は既読のものである。しかし物語の束は野谷文昭氏の巧みな翻訳によりますます洗練されており、改めてその独創的な語りに聞き惚れてしまった。収録作には『大佐に手紙は来ない』といったガルシア=マルケスを語る上で欠かせない中編小説も収録されているので、この本は彼の小説を読んでいない人にも勧めたい。長編から短編に至るまで、さまざまな紙数で披露してきた独特の語り。彼の世界では如何なる事象も現実の内に包含される。『巨大な翼をもつひどく年老いた男』では村に年寄りの天使が落ちてきて騒ぎになるし、『この世で一番美しい水死者』では眉目秀麗な溺死者が村人たちを魅了するし、『聖女』では幾年経ても美しいまま朽ちることのない少女の遺体が登場する。概要だけ見聞きすると超現実的で突飛な話である。ところがガルシア=マルケスが語ると、たちまち奇怪なプロットは身近な逸話に変貌するのだ。

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ミゲル・ストリート

*岩波文庫(2019)
*V.S.ナイポール(著)
*小沢自然・小野正嗣(訳)
 ヴィディアダハル・スラヤプラサド・ナイポールの訃報は記憶に新しい。トリニダード・トバゴのインド系の家庭に生まれ、奨学生として渡英後同国にて創作活動を開始。母国を始め、植民地問題に取り組んできた功績が評価されて二〇〇一年にはノーベル文学賞を受賞した。最初に書きあげた連作短編小説集『ミゲル・ストリート』は中期以降の作風と比べると異色といえるようだ。しかし、賛否を巻き起こす過激な意見を発しながら旅を続けたポストコロニアル文学の異端児らしさは随所に現れている。舞台はイギリス植民地時代のトリニダード・トバゴ。ポート・オブ・スペインという街の一角ミゲル・ストリートで、主人公である少年を取り巻く住人たちの荒々しくも滑稽な生活ぶりが描きだされる。この住人たちが個性の塊なのだ。一編一編に主役格の住人をとりあげて、ろくでもないことを発起しては失敗する様子が次々に展開されていく。心が荒むあまり暴力を振るい、騒動を起こすこともある。主人公はそうしたアクの強い人々に揉まれながら成長していく。ミゲル・ストリートに尊敬できる人間は少ない。けれども飾り気のない、あるいは飾れない人間臭さが植民地における鬱屈した閉塞感を仄めかしており、物語を引き立てる重要な薬味になっている。独立した小さな物語としても、大きな物語としても惹き付けられる極上のオムニバスだ。

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ウッツ男爵 ある蒐集家の物語

*白水Uブックス(2014)
*ブルース・チャトウィン(著)
*池内紀(訳)
 昔、祖母の館で出会ったマイセン磁器の人形。その魅力に取り憑かれたカスパール・ヨアヒム・ウッツは人生を懸けて収集に努めることを決める。この物語は収集に狂気にも等しい情熱を抱き、冷戦下のプラハでコレクションを守り続けた男爵の記録である。けれども物語が幕を開けると、心臓発作により幽明境を異にしたウッツの眠る間に葬送行進曲が流れており、表には霊柩車が到着する。生前彼と縁あったとおぼしきオルリークとマルタなる者がその様子を見守っている。やがて時間はさかのぼり、収集家の心理(あるいは精神病理)に関する仕事を考案していた〈私〉とウッツの出会いと、コレクションの収集と維持に奔走するウッツの軌跡が語られる。チェコスロバキアの変革運動プラハの春を生きた変わり者を通して、当時の情景や風潮が淡麗な筆致で活写されていく。ブルース・チャトウィン自身美術商として鑑定と収集に携わり、考古学を修学した経歴の持ち主だけあって随所に豊富な知識と研ぎ澄まされた審美眼をうかがうことができる。そして末筆ながら八月に逝去された池内紀氏へ、心より哀悼の意を表します。

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キルプの軍団

*岩波文庫(2018)
*大江健三郎(著)
 岩波書店より単行本版『キルプの軍団』が刊行されたのは一九八八年。講談社文庫を経て岩波文庫入りするまで三〇年の歳月が流れた。この頃にはもう自身の家族を摸した登場人物と架空の事象を絡める大江健三郎流の構造は生まれており、頁を開くと続編の類だろうかと錯覚させられる。モデルが共通し、作者の経験や感性が反映されていることを踏まえれば大規模なオムニバスといえなくもない。けれども大江健三郎作品における写実性はあくまでも配役に現れているので、共通性に焦点をあてるにはメタな視点で解釈しなければならない。前置きが長引いてしまった。本作品はオリエンテーリング部に所属する高校生「オーちゃん」の独白である。彼は父の弟で暴力犯係の刑事「忠叔父さん」を慕い、ディケンズの愛読者でもある「忠叔父さん」の影響で『骨董屋』を原文で読む生活を送っている。あるとき「オーちゃん」は「忠叔父さん」と親交のある元サーカス団員の「百恵さん」、彼女の夫で映画制作を手がける「原さん」と出会い、交流することになる。ところが学生運動に関わっていた「原さん」の過去に目を付け、革命運動に引き入れようとする者たちの出現で風向きは変わっていく。場面は家族間と映画基地と呼ばれる「原さん」の映画制作現場を往来する。緊張感のある展開と、登場人物たちの行動・立場を随時『骨董屋』の展開と照合する構造が不思議な融和を見せており、大江健三郎作品らしい暗示性を示している。

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〈読書備忘録〉とは?


 読書備忘録はお気に入りの本をピックアップし、短評を添えてご紹介するコラムです。翻訳書籍・小説の割合が多いのは国内外を問わず良書を読みたいという筆者の気持ち、物語が好きで自分自身も書いている筆者の趣味嗜好の表れです。読書家を自称できるほどの読書量ではありませんし、また、そうした肩書きにも興味はなく、とにかく「面白い本をたくさん読みたい」の一心で本探しの旅を続けています。その旅の中で出会った良書を少しでも広められたい、一人でも多くの人と共有したい、という願望をこめてマガジンを作成しました。

 このマガジンはひたすら好きな書籍をあげていくというテーマで書いています。小さな書評とでも申しましょうか。短評や推薦と称するのはおこがましいですが、一〇〇~五〇〇字を目安に紹介文を記述しています。これでももしも当記事で興味を覚え、紹介した書籍をご購入し、関係者の皆さまにお力添えできれば望外の喜びです。


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昭和生まれの物書き。読み方はホクト。掌編小説の共著『みちのく怪談傑作選2011』『クトゥルフ神話掌編集2016』『ガラシャ物語全集』等。中南米を始め各国の小説を愛好。マジックリアリズムを追究する『艦これ』崇拝者。テキストでは小説・書評・雑記、トークでは気になる刊行情報等綴ります。

コメント4件

読書備忘録、毎回楽しく拝読しています。ある程度のテキスト量がまとまったら電書で頒布する計画はありませんか?
読んでくださりありがとうございます。なるほど、読書備忘録の電子書籍化ですか。まとめて読めると楽ですし、加筆修正する好機でもありますね。小説以外も電書化すると活動の幅が広がりそうです。予定に加えてみます。
百句鳥さんの書評はとてもいいですし、本を探す参考になるテキストをまとめて読めるのは助かります。何なら書影のロゴくらいは入れますのでぜひご検討ください。
了解致しました。小説集に読書備忘録、と。行動が緩慢で申しわけない限りですが、地道に進めて参ります。
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