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まだ生まれていない我が子を『かわいそう』と言われたとき

予定日まであと残すところ5日。

今だ爆発はまぬがれぬくぬくと産前休暇を過ごしている。この2ヵ月あまりは京都を巨体を揺らしながら闊歩し、美味しいものを食べ続けていた。とはいえ食べ歩きと読書にもさすがに飽きてきたので、そろそろ子どもの世話に追われる日々を過ごしてみたい。毎日ぷごぷごと体の中を動き回る、まあたらしいひと。300日あまり一緒に過ごしていても初対面なのがふしぎでたまらない。

どうやら早生まれは逃れられそうな予感。先日の定期健診で子どもの性別を呆気なく教えてくれたゴリゴリ関西弁の産科医に『ちょっと子宮口の開き具合見るわな~!』といわれるやいなや指を突っ込まれた。物理的に触って確認するのね…と奥歯をかみしめていると『ん、全然開いてないね~頭もまだ骨盤まで下がってきてないね~』と軽快に言われる。

前情報によると、子宮口が開いていなければまだ生まれるまで時間の猶予はあるはず…と思い『じゃああと1週間くらいは持ちそうですかね!?』と聞くと『そればっかりはね!わからんからね!明日うまれてもおかしくないから!』と食い気味に否定された。私は関西人だが里帰りしてからというもの、このワイドショーの桂南光を思わせる関西弁に毎度面食らう。思えば東京のワイドショーはこんなけたたましくなかったな…

当たり前だが定期検診のたび、内や外いろんな体の部位をお医者に触られたり見られたりする。元々産婦人科の通院の習慣もなかったので、最初のほうはあの”観音開きの椅子”やひゃっこい”拡張器”にいちいち オウフッ…となったものだが、つい先日看護師さんに『ちょっと乳首見して~』と言われ、言われるがままにペロンと見せると、間髪入れずにビュッとつままれた。

あー?えー…?と思っていると『うんお乳出そうやね!大丈夫』と笑いかけられる。初対面の看護師に乳首をつままれても、なんとも思わなくなっている自分がそこにいた。なるほど母になると乳首は恥部っていう感覚がなくなるんだな、と黒い乳首に母の実感を得た。もはや乳首はエロではなく、子どものためのファシリティにしかるべく進化していた。

※※※ 

”お食い初め”への思い入れ

産休中に散歩がてら京都の骨董屋を回ったり、北野天満宮の骨董市 天神さんに行った。料理が好きなので器を見ると気分が上がる。このお皿にはどんな料理を載せるのがいいだろうか、どういう色味が映えるだろうかなどと考えながら器を物色するのは面白い。そういえば5年前の春も上京する前にたくさん器を買い込んで段ボールに詰めた。たった5年で人は人を創造することもあるんだ。稀有なことだ。

このブログをはじめて、自分にとって”食”にまつわる考え方が、生きる上での価値観にいかに直結しているかがよくわかってきた。どんな時代においても”食っていかないといけない”みたいな言い回しがあるように、何をどう食っていくか、はどう生きるかを考えることと同義に思える。 そう思うと、娘にこそ食うことに困らないでほしい。これまで記念日や誕生日、しきたりや儀式には無頓着だった私だ。だからお七夜もお宮参りもハーフバースデーもどうでもいいが、”お食い初め”だけはきちんとやってやりたい。

古道具屋のカケのある漆器

その日は繁華街にある骨董屋にいった。以前もイギリス生活で少しでも日本らしい食卓になればと、古い和食器をいくつか買い揃え船便で送った。入り口近くにカケやヒビのある陶磁器や漆器のコーナーがあり、郵送するのであれば完品よりもB級品のほうが安心かつ手ごろだ。ちょっとのスリくらい日常使いにどうってことはない。最近は金継ぎがはやっているので、金継ぎ目的にあえてカケやヒビのある陶磁器を買っていく人もいるのだそうだ。

一方陶磁器とは違い、かけやヒビのある漆器はそこから水が入って劣化する恐れがあるため長持ちはしない。その店は骨董屋だが若い店員さんが多く、前のめりに接客する店だった。前回に来た時にこざっぱりとした女性の店員さんがそう教えてくれた。B級品であってもきちんと、その商品の悪しの部分を説明してくれるのはありがたい。

漆塗りの和漆器に目がつく。フチに傷があるもののそれほど劣化は酷くなく、むしろ朱に縁の金彩が映えて素敵な趣きだった。お食い初をするとなると生まれて100日目はイギリスにいるかもしれない。それならせめて格好がつく和漆器を買い揃え持っていってもいいなぁと思った。欠けがあっても写真に残す程度であれば満足がいく品だ。

デパートでイチから買い揃えるよりも、サラとはいえプラスチック製を買い揃えるよりも、手仕事で作られ何十年もこうやって現世まで残った古道具の方が何倍も価値があると思えた。大小いろいろな漆器を手に取っては、いくつお椀が必要で、何を乗せるためにどの程度の大きさを要するのか思い巡らせていた。

すると若い女性の店員さんが例の如く、カケの和漆器は長持ちしないと教えてくれた。奥に完品がありますよ、せっかく買われるなら長持ちするものがおすすめですよと、親切に説明してくれた。私がもうすぐ生まれる子どものお食い初めに何をどう揃えていいか分からないというと、その店員さんは前にお食い初め用の一式になった漆器のセットがあったが、売れてもうないという話をし、親切心で自分のケータイでGoogle検索しながらこういう感じですかね〜?でもまあまちまちですね、お好みですしと勝手に結論づけていた。

私はまず器のまえにお膳から用意して、その上に乗るものを揃えようと考えた。手頃な価格の漆塗のお膳があったため、試しにカケのコーナーから大小いくつかの漆器を拝借して載せてみる。まだ生まれていない我が子のお食い初め。なんとなく親の実感が湧く瞬間だった。その時、店員さんは私に

『カケがあっては子どもがかわいそうです』といった。

確かにそうなのかもしれないなと思い、漆器を買い揃えるかどうかはまた夫と相談して決めますとお膳だけを買って店を後にした。何となくその一言が尾を引き、腑に落ちずにもやもやとする。帰り道を歩きながら思い返すほど、なぜ見ず知らずの人にまだ生まれてもいない自分の子どもを『かわいそう』などと言われないといけないのだろうと、どんどん悔しく思えてくる。

私も営業職だったから、買ってほしいという気持ちはよくわかる。ノルマがあるのかもしれないし、単に長持ちする品のほうが良かれと思ってそういったのかもしれない。ただ助言と『子どもがかわいそう』はあまり関係がないように思える。配慮のない物言いだったなあと悲しくなり、その事実だけは伝えたいとお店にメールを送ることにした。

お客がどんなシーンでその商品を必要とし、その商品のどこに価値を感じ、それに見合った対価を払うかどうか千差万別の価値観があることを店員さんにも知ってほしいと思った。それとは別に、子どもがかわいそうという言葉には思いやりがないと感じたと、正直に伝えた。そもそも親が子どもがかわいそうと思うのであれば、古道具や中古でお食い初め膳を買い揃えないだろう。数日後代表の方から若いスタッフの配慮の行き届かなさに関して謝罪の返信が届いた。それに加え『次の100年間を継承する』という企業スローガンにそぐわない、不本意な接客だったと改善の意思を聞かせてくれ、真摯なお店の対応が素直に嬉しかった。

これに限らず、不用意に『子どもがかわいそう』と言われるシーンは、世の中にたくさんあるんだろうと思う。AV男優のしみけんとはあちゅうが事実婚のあと妊娠を発表したときも、りゅうちぇるが子どもの名前のタトゥーを彫ったときも、世間からの『子どもがかわいそう』という発言はあった。著名人と自分とでは批判や中傷の度合いは違うので同じ立場ではないが、何の事情も知らない赤の他人から『子どもがかわいそう』といわれ、親が傷つけられていることのほうがよっぽど子どもがかわいそうなんじゃないかと思う。

それが経験則や老婆心で子供が不憫に思えようとも、自分本意のかわいそうの水準で『子どもがかわいそう』と言わないようにしたい。はた目から見ていくら親の手際が悪かろうが、親が子どものためを思ってやること以上に子どもにとって最善の幸せはないだろう。

まだ生まれていない我が子を『かわいそう』と言われたとき、初めて親心を実感した気がする。私は自分の気づかぬうちに、親になろうとしていた。


結局その後天神さんで買った漆器のセット

真ん中の小さいのは古いお雛様用の漆器の器だそうで
歯固め用の石を置くのにちょうどいい大きさで嬉しい。


Komugico Peropero (@merolinqxxx) 窶「 Instagram photos and videos591 Followers, 714 Following, 1,050 Posts - See Instagram phowww.instagram.com



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