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死にかけの私を殴った父は、祖父が死ぬとき、どんな顔をするんだろう

祖父が、アルツハイマー型認知症の診断を受けたらしい。

私の父の、父。もう御年80いくつなのだから、そう驚くことでもない。この間ニュースアプリの設定を変えてあげたけど、ちゃんと見れてるかな。

私の父は「祖父が嫌いだ」と、よくぼやく。
それを聞く私は、父が嫌いだ、と度々おもう。声には出さないけど。

祖父は、よく父を殴ったらしい。ビンタされて耳の穴が塞がるほど腫れたとか、辛く悲しいときも優しくしてもらえなかったとか、父は、祖父の悪口を言うのが好きだ。自分の父親を嫌っているのは、私も同じだけれど、当の本人に向かってそんな同調はできないので、私は大抵不機嫌に黙っている。

父が私を殴って育てたのは、父を育てた祖父の影響だろう。愛情不足から来る自己愛性パーソナリティ障害を抱えて生きていて、傍若無人に母や私たち兄弟を苦しめている父の特性。それも、祖父の影響が大きい。

父が「祖父を嫌いだ」と私にぼやくのは、共感を求めているからだと思う。

「お父さんは間違ってないよ!おじいちゃんひどい!おじいちゃんと違って私たちを愛し育てて、立派なお仕事をして認められて、今でも子供たちに慕われていて素晴らしいお父さんだよ。お父さん大好き!」

と、私に言ってほしいのだと思う。残念ながら、32歳になった私にはもう、そんなことは言えないのよ。妹や弟が、自分で自分の身を守れるようになって、私は、お父さんの言ってほしいことを言うマシーンを卒業して人間になったのだから。私が見てきた世界を正直に語るのなら、父は私を殴る恐ろしい人だったし、祖父は私をデレデレの笑顔で甘やかす優しい人だった。私は、祖父にとっての初孫だった。私は、祖父が嫌いじゃない。


“アルツハイマー型認知症の診断を受けてからの余命の平均は、8~10年。発症が遅ければ、その年数はもっと短くなります。”

冷静に考えれば、もう御年80いくつの祖父が8~10年生きれば大往生だけど。本当に、すぐ近くに祖父の死があることが明確に示されたとき、私の世界は小さく揺らいだ。

両親と距離を取るため、ここ数年は祖父母とも距離を置いていた。でも、少し顔をみせようかな、とか、そんなことを思った。


何十年後になるかは分からないけど、いつか、父も死ぬ。祖父の死よりは遠く、私自身の死よりは近い場所に、父の死がある。たぶん。
そのとききっと、私は、悲しめない。悲しめないと思うし、悲しめない自分にショックを受けると思う。

でも、たぶん、
父の死を受け止めたとき。私の世界には、悲しみより先に、安堵が訪れてしまう。私は、そういうひどい人間に育った。でも、父が死んで自分の心に訪れた安堵を受け入れられたら、私は今より自分を愛せる気もしてしまう。

すぐ近くに訪れるだろう、祖父の死。
父は泣くのだろうか。悲しむのだろうか。どんな顔をするのだろうか。

殴られたこと。
否定されたこと。
家に帰っても安心できなかったこと。
教室の机の上の方がよく寝れたこと。
助けてもらえなかったこと。
愛されなかったこと。
人と比べられて劣等感を刻み込まれたこと。
死ね、いらない、と言われたこと。

すべてを、父も、私も、経験している。

お父さんは、じいじが死ぬことをどう思う?
私は、少しだけ寂しい。
それが“少し”なのが、とても寂しい。私はいつからこんなに家族が苦手になったのかな。昔は、家族を守るために必死だったのに。
お父さんは、どうして、今になってじいじの家の近くに家を買い、毎週末会ってるの?大嫌いなはずのじいじに、まだ愛されたいの?私はもうとっくに、父からの愛情なんて諦めたのに。


「親になって初めて、親の苦労を知って許すことができた」

よく聞く、そういうやつなのかな。


じいじ、私のことも、もうすぐ忘れちゃうんだろうね。

できたら、お父さんのことは、最後まで覚えていてあげて欲しい。今もじいじのことが好きだなんて、優しい息子だと思うよ。だから、もう叱らないであげてね。私は、そういう娘になってあげられそうもない。

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