アングラ賛歌
ある業界におけるヒエラルキーの上層には、その業界における権威”と呼ばれる人たちがいる。世界のほとんどの人たちが権威たちを見上げて生きている。私もそう。
最近、とある業界の権威らの言葉に触れることが多い。
権威らの言葉は、いつもあいまいで分かりにくい。権威らの間でのみ理解され広まる。決して、私たちに届くものではない。届けようと思われていない。たいていのものは、私たちに届く頃には、噛み砕かれ、時に本来の意図から湾曲している。中間層の努力たるや、天晴。
「皆のために」「世のために」と、業界の権威らが所属する上層階でのみ議論され定義される善意やエンタメは、即座に下層階で流行し、上層階へ金を舞い上げる。その金が、次世代の権威を育てる。
権威らが世の中の「良い」を決める。
本当に世が求めているものや、本当に必要なものよりも、権威らが「これは良いものです」と発信したものが、「良いもの」になる。
「え、それ、本当に良い?」
疑問を呈せば、“卑屈”のレッテルが貼られる。ピュアな疑問やまっすぐな意見は有象無象の泥に沈み、飲み込まれ、二度と浮上しない。
誰かの思惑
誰かの損得
先導されたムーブメントの中では、宝もくすんで見えるのは、やっぱり私が卑屈だから? やっぱりって何だよ(笑)
ただ、どんなに卑屈な疑問が浮かぼうとも、良いものは、良いなら、良い。誰が先導しようが、無思考の世間が応えた結果だろうが、それが流行することで世界が良い方へ進むなら、それでいい。
もちろんそう。
分かってる。
でも、そこに本当の優しさや本当の善意を見出そうとすることが、卑屈なワガママだとは、思えない。「良いもの」に宿る「良い」世界を育てる意思を継がせてほしい。
私たちだって本当に良い未来を望んでいる。無能なりに力になりたいと思ってる。理解させてよ、仲間に入れて。
ううん、でも本当に分かってる。結果がついてくるなら、別にそこにある思惑なんて関係ない。
バリアフリー条例、マイノリティ保護、ジェンダーフリー。個性が当然のものとして受け入れられ、当たり前になっていけば、それだけ幸運も当然守られる権利も増えていく。世間を動かす権威の力は、巨大だ。
それでいい。わかってる。頭では。
でも、どうしても心がそれを受け入れることを迷う。
議論するあなたたちの目には、誰が映ってるの?着飾った自分たち?小難しく耳障りの良い言葉で物事の輪郭をなぞっているだけじゃない?今、目の前で泣いている人がいたら、あなたはその人を抱きしめられる?一張羅が汚れることを厭わない?本当に?
うん、ダウト!
社会と世間を動かす権威の言葉は、私の心を乱す。
そんな思惑や損得から脱した世界を探して、悩んで、心落ち着いたのが、ワンダー溢れるアンダーグラウンドだった。
アングラには、先導者がいない。
そもそも誰も「良い」ものなんて求めてない。自分の悦だけを求めてる。結果的に経済が動き、世の中の都合の良い流行とは切り離され、人が己の欲望のまま金と性と暴力で交じり合う。
とても、とても美しい。
誰かの思惑や損得なんて存在しない
誰もが自分のためだけに時間を過ごす世界。
とても心地良い。
金を生む善意も、自慰的な小難しい議論も存在しない。
「私が良いと思うものだけが、この世の善!」
叫ぶかのような圧倒的純欲。
本当に美しいものや、本当の善意は、他者を救う目的は持たない。ただ美しく、ただ善いだけ。
上層階の議論も、本質的には他者なんてどうでもよくて、権威たる自分の誇示という快感に身を委ねただけの、都合良い外面を被ったアングラ世界の模倣なのかもしれない。
なら良いよ。でもまあ、それを表に出さないみみっちい虚栄心はやっぱりダサいか。
この世の中で最もピュアな「良い」ものは、有象無象の泥の中に沈み、地下にたどり着く。
二度と地上には浮上しない。
浮上「できない」んじゃない。
泥の下に広がるアングラの方が、居心地が良いから。
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