【アメリカ実験小説の最高到達点】『ウィトゲンシュタインの愛人』(デイヴィッド・マークソン/木原善彦訳)を刊行します

ウィトゲンシュタイン

国書刊行会編集部の(昂)です。突然ですが、来月7月、渾身の隠し球を刊行します。

タイトルは『ウィトゲンシュタインの愛人』
作者はアメリカの作家デイヴィッド・マークソン
訳者は木原善彦さん。
刊行はおよそ4週間後、2020年7月18日(土)頃の発売を予定しています。

本作はギャディス、ピンチョン、パワーズ、アリ・スミスなどの数々の名訳で知られる訳者木原さんのイチオシの作品であると同時に、担当としても読者のみなさまにぜひとも紹介したい、凄まじい傑作です。

なんと本書には、柴田元幸さん・若島正さんのご両名に、推薦文をお寄せいただいております。実は柴田さんも若島さんも、かねがね原著を愛読され、ご著書などでも取り上げ、紹介されていました。

本書の格別な雰囲気と魅力を伝える推薦文を、木原さんによるあとがきの一文と合わせて、ご紹介します。

とりとめのない、ゆえに豊かな知的連想が、世界が終わった寂寥感と合流する、その独特さ。まさに唯一無二。
(柴田元幸)
地球最後の一人となってタイプを打つ女の物語に読者が共感するのは、書くのも読むのも孤独な営みだからだ。
(若島 正)
究極の二十世紀小説は――誰も書かなかったのでデイヴィッド・マークソンが書いたのだが――正気を失った女が浜辺の家に暮らし、日々の出来事や思い出をタイプライターで綴りながら、そこに記された言葉と自分との関係の中にある絶対的本質をつかもうとする、そんな物語だ。
(訳者あとがきより)

この推薦文やあとがきでの紹介は、「まさにこの通りだ……」と思わず唸ってしまうような、ピタリと正鵠を射たものです。

軽やかなユーモアと、ハッとするようなウィットに富み、なおかつどこか寂寥感の漂う独特な世界観と雰囲気。
そして、実験小説という言葉からは想像のつかぬ不思議なほどに感動的な結末と、他にはない清新な読後感。

編集担当の私も、実際にはじめて原稿を読んだときには、
「私は今、何かすさまじく凄いものを読んでしまった……」
という、オールタイムベスト級の革新的な傑作に出逢ったとき稀にある、例の強い衝撃(といえば、伝わるでしょうか)を受けたほどでした。
これを読んでいるみなさまにも、ぜひ、この唯一無二の読書体験を味わっていただきたいと思います。

さて。
ここまで長くなりましたが、そんな本書『ウィトゲンシュタインの愛人』の、もう少し詳しいあらすじ、内容、作者、冒頭3ページの紹介、原著の評判などについて、これよりご紹介したいと思います。

1.作者と作品について

デイヴィッド・マークソン(David Markson)は、1927年生まれの作家で、若いころにはコロンビア大学で教鞭をとりながら娯楽小説を多く執筆していましたが、60歳の年に発表した本作『ウィトゲンシュタインの愛人』(1988年)によって、作家として新たなキャリアを踏み出しました。

代表作はこの『ウィトゲンシュタインの愛人』のほか、『読者のスランプ』『これは小説ではない』『消失点』『最後の小説』の、「作者四部作」と呼ばれる、断章形式を特徴とする作品群で、これらにより現在ジョイスやベケットの衣鉢を継ぐ実験的作家として高く評価されています。
日本ではこれまでに、断章形式で古今東西の芸術家たちの逸話を集めた怪作『これは小説ではない』が、同じ木原さんによる翻訳で水声社さんより刊行されています。

そして本作品『ウィトゲンシュタインの愛人』は、あらすじとしては、以下のような作品です。

地上から人が消え、最後の一人として生き残ったケイト。
彼女はアメリカのとある海辺の家で暮らしながら、終末世界での日常生活のこと、日々考えたとりとめのないこと、家族と暮らした過去のこと、生存者を探しながら放置された自動車を乗り継いで世界中の美術館を旅して訪ねたこと、ギリシアを訪ねて神話世界に思いを巡らせたことなどを、タイプライターで書き続ける。
彼女はほぼずっと孤独だった。
そして時々、道に伝言を残していた……

具体的に、本書はどんな書き出しなのでしょうか。
実際に、冒頭の3ページほどを紹介したいと思います。

2.冒頭3ページを紹介!

お試し版的に、本書の書き出し3ページをご紹介しましょう。

地上最後の人間となり、海辺の家で独り暮らすケイト。
彼女の綴る物語は、以下のように始まります。

最初の頃、私は時々、道に伝言を残した。
ルーブルに誰かが住んでいる、と伝言は告げていた。あるいはナショナルギャラリーに。
もちろんそんなことを書いたのは、パリかロンドンにいたときだ。まだニューヨークにいたときなら、メトロポリタン美術館に誰かが住んでいると書いただろうから。
もちろん誰も来なかった。結局、伝言を残すのはやめにした。
本当のことを言うと、伝言を残したのは全部で三回か四回だったかもしれない。
そんなことをしたのがどれだけ前のことなのか、私には分からない。どうしても思い出せと言われれば、十年くらい前だったのではないかと思う。
ひょっとすると、でも、それよりもっと前だったかもしれない。
それにもちろん、私は当時しばらくの間、心から離れた〈アウト・オブ・マインド〉状態だった。
どのくらいの期間かは分からない。でも、しばらくの間。
心から離れた〈アウト・オブ・マインド〉時間。たまたまこのフレーズを使ったけれど、今までこの言葉をちゃんと理解したことがないような気がする。
心から離れた〈アウト・オブ・マインド〉時間とは〝正気を失っていた時期〞ということなのか、それとも単に〝記憶から消えた時間〞ということか。
けれどもいずれにせよ、狂気についてはほとんど疑う余地がなかった。例えば、古代トロイア遺跡を訪れるためにトルコの辺鄙な土地まで車で行ったときのこと。
そしてなぜかどうしても、前に本で読んだことのある、要塞の脇を通って海まで流れる川を見下ろしたくなったあのときのこと。
川の名前は忘れた。川というより、流れる泥水だったけれど。
それはともかく、流れる先も海ではなくダーダネルス海峡だ。かつての呼び名はヘレスポント。
もちろんトロイアの名も変わった。ヒッサルリクが新たな名前だ。
多くの点で訪問は期待外れだった。遺跡は驚くほど小さかった。実際、広さは普通の町の一街区〈ブロック〉ほど、高さも二、三階程度だ。
でも、遺跡からはイダ山が見えた。はるかかなたに。
晩春でも山には残雪があった。
たしか昔話で、誰かがイダ山に死にに行くというものがあったと思う。パリスだったかもしれない。
 もちろんヘレネの恋人だったパリスのことだ。あの戦争の終わり頃にけがを負った男。
トロイアにいたとき、いちばん頻繁に頭に思い浮かんだのは実はヘレネだった。
ギリシアの船が浜に引き上げられている様子をそれからしばらくは夢に見た、と私は今、言いそうになった。
とはいえ、夢に見てもまったく無害な風景だ。
ヒッサルリクから海までは、歩いて一時間ほど。私の計画では、普通の手漕ぎボートで海峡を渡った後、車に乗り、ユーゴスラビア経由でヨーロッパに入るつもりだった。
ひょっとするとあれはユーゴスラビアだったかもしれない。とにかく、海峡のそちら側には、第一次世界大戦で亡くなった兵士らの記念碑があった。
トロイアのある側には、それよりもっと昔にアキレスが埋葬された場所を示す碑がある。
アキレスが埋葬されたと伝えられている場所ということだ。
でも、若い男たちが大昔、そこで戦死し、その三千年後に同じ場所でまた亡くなったというのはすごい気がする。
でも、それはともかく、ヘレスポントの渡り方について、私は気が変わった。つまり、ダーダネルス海峡のことだが。私は結局、モーターボートを選び、ギリシアの島々とアテネを通ることにした。
まともな海図を持たず、地図帳から破いた一枚のページだけが手掛かりだったが、急がなくてもたった二日でギリシアに着いた。あの古代戦争に関しては、間違いなくかなりの部分が相当に誇張されているのだろう。
(……)

作品はこのように、主人公による日常の他愛ない話、世界をめぐる旅の話、美術の知識などをまじえた知的でユーモラスな語りが、時に脱線、繰り返し、不確かな内容を交えながら、混然としていながらも明晰で心地良いテンポによって、滔々と続きます。
そして一見とりとめのない語りが続くにつれて、次第に、彼女の境遇にまつわる事柄が明らかになり、この本を読み終えた瞬間、読者は不思議なほどの感動に包まれるのです。

本作『ウィトゲンシュタインの愛人』のスゴさは、独特の語りのリズム、全体を読んだ時にわかる複雑な構造にあり、このように一部分だけ抜き出しても十分には伝わりづらいところがあります。
ですので、本書の全体的な印象をもう少し詳しく知っていただくために、今回のnoteではこれ以上本文の紹介はあえてせず、代わりに原書に対して寄せられた賛辞の数々を、いくつか紹介したいと思います。

3.原書に寄せられた書評

『ウィトゲンシュタインの愛人』がアメリカ本国で刊行されたとき、各紙誌に本作品を絶賛する書評の数々が寄せられ、これによりマークソンの本格的な作家としてのキャリアが開かれました。
このレビュワーたちが本書を紹介する表現が凄まじく的確かつ美しいので、一部ご紹介します。

途方もないウィットで哲学的な難問に挑む作品……驚異……
一つの文のように分析可能な小説。それほどかっちりした作りになっている

(ニューヨークタイムズ・ブックレビュー)
心を動揺させ、きらめきを放つ小説
(パブリッシャーズ・ウィークリー紙)
天才の生んだ作品……博識で、息をのむほど知的な小説。
結晶のような文体で綴られ、その声は読者を釘付けにし、その結論は涙を誘わずにはいない。

(小説家 デイヴィッド・フォスター・ウォレス)
本を読むときに、作者の筆が滑るのを待ち構えてこれほど息をこらえたのはいつ以来か思い出せない。マークソンはジョイスに劣らぬほど正確で眩惑的な言葉遣いをする。彼のウィットと観察力はこの虚構的な世界に完璧な説得力を与えている。私はこの本を途中で読みさしにできなかった。私はこの本を忘れることができない。マークソン自身は常套句の使用を嘆くだろうが、私にはただこの本が独創的であり、美しく、まったき傑作であるとしか言えない。一度これを読んだ人は、必ず世界観が変わるだろう。
(小説家 アン・ビーティー)

『ニューヨーカー』出身の短篇の名手アン・ビーティーや、大作『尽きせぬ道化(Infinite Jest)』で知られる夭折の天才作家デイヴィッド・フォスター・ウォレス(最近なんと『フェデラーの一瞬』の邦訳が河出書房新社さんから出ました)も、本書をこのように絶賛しています。

アン・ビーティーの言うとおり、独創的で美しい内容を持つまったき傑作である本書は、あなたの世界観をも変えるかもしれません。きっと、新しい地平に向かう長いはしごを一本上り切るような、かつてないほど鮮烈で、真新しい世界が広がる読書体験ができると確信し、満を持してオススメします。

4.おわりに

本書『ウィトゲンシュタインの愛人』は、現代小説最高峰の知的感動・美的感動を得られる、いわば「アメリカ実験小説の最高到達点」とも言うべき唯一無二の傑作です。

訳者木原さんの著書『アイロニーはなぜ伝わるのか?』(光文社新書)にも、少しだけ『ウィトゲンシュタインの愛人』の文学的な遊びが登場しています。こちらはアイロニーを切り口とした認知言語学の入門書的な本で、世界と言葉に対する解像度を上げてくれる良書で、『ウィトゲンシュタインの愛人』を読み解くための参考になるかと思います。

そして、このようなタイトルではありますが、もちろんヴィトゲンシュタインの著作を未読の方でも、あるいはアートや美術にそんなに詳しくない方でも、本書を楽しむことができます。

なお、本作品の世界観を表現した鮮烈で美しい描き下ろし装画はケッソクヒデキさん、細部まで意匠と技巧に満ちた素晴らしい装幀はアルビレオ草苅睦子さんによるものです。

取次店搬入発売は来月7月16日(木)、全国の書店さんの店頭には、早ければ7月18日(土)頃から並ぶと思われます。
便利な電子版もほぼ発売同日に配信予定ですので、ぜひこちらもご利用いただければと思いますが、今回も社是として装画・装幀に最高に力を入れておりますので、紙派の方は、必ず紙版を入手されることを担当は熱くオススメいたします。

なお次回、本書『ウィトゲンシュタインの愛人』の「訳者あとがき」を7月1日から31日までの1か月間、【期間限定】で公開予定です。訳者木原さんによるもう少し詳しい作者と作品についての説明を予定しておりますので、そちらもご覧いただけましたらと思います。

どうぞご期待下さい!
                     文:国書刊行会編集部(昂)

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