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「ここにいる」と決めるまでのこと

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結婚して子供ができて、な人生がスタンダードだと漠然と思っていた私が、ほんの小さなだれかの支えになりたいと決めるまでのこと
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#1 わたし について

#1 わたし について

私には肩書きがありません。

昔は、会社勤めをしていました。

就職というよりも就社だったと思います。

男性並みに働いていました。

それでも、ふつうのサラリーマンの家庭で

パート勤めをしながら家事を完璧にこなす

やさしい母親に育てられた私は

自分もいつかは子供を産んで育てる

母のような人生を想像していたように思います。

だけど

残念ながら 私を選んでくれる赤ちゃんに

出会うことは

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#2 伝えたいのはなぜ?

#2 伝えたいのはなぜ?

いつの頃からなのか

思い出せないくらい昔から

「だれかになにかを伝えたい。」

そういう気持ちがありました。

どちらかと言えばぼんやりした人間です。

感情の起伏が激しい方ではありません。

でも、「伝えたい」という気持ちを

じっと眺めてみようとすると

底のほうから湧き上ってくるような

衝動に近い感覚を覚えるのです。

絵を描くのは苦手です。

創造性があるとも思えません。

美術の成

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#3 夢を描けない

#3 夢を描けない

思春期に入ったころから

自分が女性であるということに

こだわりたくないと思っていました。

男に生まれたかったな と思っていた時期もありました。

結婚 ということを考えると

相手もいないのに吐きそうでした。

自分の人生がそこで終わってしまうように

思っていた時期がありました。

何になりたい とか

何をしたい とか

具体的な夢が持てませんでした。

ひとつ長く持っていた夢が

あっ

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#4 ひとが好きでひとが嫌い?

#4 ひとが好きでひとが嫌い?

小学生の頃は 先生から

自分から声をかけましょう とか

協調性がない とか

友達を作るように諭されることが多い子供でした。

ただ、それは学年の始まりのころだけだったように

思います。

ひとりでいることが好き で

知りたいことがたくさんあったので

じっと本を読んだり空想したりする時間に

慣れていたのだと思います。

人を攻撃するわけでもなく

話しかけられて無視するわけでもないので

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#5 優等生は作られていく

#5 優等生は作られていく

小中学校時代は勉強することが 苦ではありませんでした。

相変わらず 知りたいことがいろいろありました。

可愛い同級生をうらやましいなあ と

人並みに思いましたが

少しは可愛く見えるようになるために

時間を使おうとは思いませんでした。

どちらかと言えば 面倒くさいが先に勝つので

校則や制服は 便利なものでした。

そこをはみださなければ とやかく言われない。

そういう感覚でした。

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#6 内向的すぎる

#6 内向的すぎる

中学生の頃 体育の先生の専攻がダンスだったからなのか

授業で創作ダンスに取り組む期間がありました。

最終仕上げはチームに分かれて課題曲に合わせた

ダンスを創作し 発表することでした。

チームで取り組む前に 個別に身体で表現する練習を

授業で行ったのだと思います。詳細は覚えていないのですが

授業の締めに、決められた時間内でお題を表現することに

なりました。お題は「人形」でした。

操り

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#7 人生初の絶望感

#7 人生初の絶望感

今では 家族以外はだれも信じてくれませんが

とても 小食な子供でした。

おやつ も たくさん食べられるほうでは

ありませんでした。

それなのに

好奇心が旺盛だったせいか

スーパーへ行くと

次から次へと お菓子を買い物かごへ

放り込んでいたそうです。

母は 同じくらいの子供を持つ

近所のお母さん達から

「そんなに好きに何でも買わせていたら

大きくなってから大変なことになるよ」

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#8 優しいということ

#8 優しいということ

祖母は 女手一つで母を育てた人でした。

波乱万丈な人生でした。

定年退職をした後は

燃え尽きてしまったのでしょうか

人と関わることもなく

家に閉じこもってしまいました。

あまり丈夫ではない身体を

酷使したせいか

晩年は寝付いてしまいました。

たまに電話で話すことがありました。

生きている意味がないようなことを

口走る祖母を

なんとか励まそうと

言葉を探して探して

祖母が

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#9  本音は言えない

#9  本音は言えない

「家族のカタチ」というドラマを 

つい見てしまっている。

はなこちゃんの姿は 自分に似ているところが多い。

私も自分の母には 本音で相談できない。

前回のドラマでは はなこちゃんは

ちゃんと母親と話ができたけれど

私は 子供ができなかったことについて

本音で話をしたことがない。

たぶん これから先もしないだろう。

治療を始めることになった時は

事実を淡々と話したように思う。

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#10 ユニットを組む

#10 ユニットを組む

考えただけで 吐きそうになっていたのに

私は結婚をしました。

一緒に仕事をしていた人でした。

かなり苦労をしたプロジェクトでした。

トラブル満載でした。

でも そのおかげで

物の考え方、人との接し方

腹のくくり方

いろんな面を見ることができました。

10年後 どんな風になっているか

見れないとしたらさびしいな

と ふと感じたことがありました。

ああ この人とどんな形でもいい

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#11 DNAを遺す

#11 DNAを遺す

「彼のDNAを遺したい」

というセリフに

ひりっとしたものを感じていた頃がありました。

「残念ながら子供に恵まれなかったんですよ」と

わりと最初からフラットに口に出せたのですが

この類のセリフに触れると

(面と向かって言われたことはありませんよ)

「そうなんよね、私個人の出来事じゃないんよね。」

といろいろ芋づる式に 申し訳なさ が

溢れてきてしまう時期がありました。

(今も 

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