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暮らしを考える、映画と本

今日は二十四節気では大寒。一年で一番寒さが厳しくなるころ。さて、突然ですが、最近見た映画がとても素晴らしかったので、ちょっとご紹介させてください。

土を喰らう十二か月

これは水上勉さんの「土を喰う日々」という本が元となっています。作家のツトムが、長野の山荘で、畑で育てた野菜や山でとった山菜などを料理して、暮らしている。何か特別な事件が起こるわけでもなく、生きていれば起こるであろう家族や大切な人との関わり、出会いと別れとともに、その時季その時季の自然の恵みを料理していただく。あらすじを説明すると本当にこれだけ?という感じなのですが、これがもう、素晴らしかったのです!

まず長野の自然の美しさ。土にまみれた野菜を収穫して丁寧に土を洗い落とすところから料理は始まります。丁寧に洗った野菜のみずみずしさ。その美しいこと。

小芋を洗って皮をこそいで茹で、味噌を塗って網で焼く。熱々をハフハフいいながらほおばる。

収穫したてのたけのこを下茹で、そのあと出汁などで煮あげて、庭でとってきた山椒の葉を山盛りもりつけて出来立てをすぐにほおばる。

素材と、醤油や塩などの基本的な調味料だけのシンプルな料理なのです。でも、野菜をあらう、ゆでる、塩をふる、などの一つ一つにじっくりと丁寧に真剣に取り組む姿。アップになった手の動きや、出来上がった料理とむきあい、ほうばって味わう姿。すべてがとても美しかった。料理をするという暮らしの姿を見ているだけですが、生き方そのもの見ているような。生きることのすばらしさを感じました。

暮らしの仕事の大切さ

街に住んで、スーパーで野菜や肉を買ってくる生活をしているとふだん実感することがないのですが、思えば、野菜や肉はもともと自然の、土に育まれたもの。日々の料理は自然の恵みをいただく、土を喰らうための料理なのであり、私たちの体はまさに土の恵みからできあがっていくのです。それをおろそかにしてしまうと、本来の生きるという意味とすこし離れていく気がする。

漢方の考え方では、人間は自然の一部であり、人間の内部と外界(自然)をすべて総合した大きな統一体とみています。自然の中で生きているからには、季節の変化や周りの環境に大きく左右される。野菜を丁寧に洗うとか、暮らしの仕事をおろそかにしないことは、自然とのつながりを思い出させてくれる大切な意味がある気がします。

丁寧な暮らしは、難しいのか?

この映画の監督をされた中江裕司さんと、料理を担当された土井善晴さんの対話や、料理のレシピや写真が載っているこちらの本も、映画と合わせてぜひ。本を読むと、映画を見た時に無意識に感じ取ったことどもが見事に言葉にされて表現されていく感じがしました。ああ、あのときなんとなく感じた感覚は、こういうことだったのか、と、頭のもやもやに言葉が与えられてすっきりしていく感じ。

丁寧な暮らしというと、素敵だけど大変そう、難しそうと思いませんか?でも、この本を読んでいると、そんな気負いはいらないことがわかります。

料理は素材、すでにあるものだから、それを食べられるようにするだけで、自分がおいしくできるものでもないし、逆にまずくする力もない。ただ当たり前のやるべきことをやる。

料理は本当はよい悪いなんてない世界です。今日採ってきたトマトがまだ熟してないとか、青臭いとか甘いとか、そんなん自然に言ってもしゃあないでしょ。まだ青臭いことを喜ぶ、甘く熟したことを喜ぶ、それぞれにおいしさがあるんです。

「土を喰らう十二か月の台所」より 土井善晴さんの言葉

自然の恵みに感謝し、それを煮たり焼いたり蒸したり炒めたりして、食べられる状態にする。それが基本の料理であり、土を喰らうということ。難しい料理を作る必要はない、ただ、丁寧に、真剣にとりくむ。それが暮らすということの本来の姿なのかなと思います。

見終わったあと、読み終わったあと。野菜を洗って煮たり焼いたりするいつもの暮らしの作業がいつもより愛おしく、生きていると実感できる時間になる。そんな素敵な映画と本との出会いでした。

こころからだ漢方
natsume


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