見出し画像

東温市地域おこし協力隊note報告会

どうも、東温市の地域おこし協力隊じゃなくなるイワハシです。4月からはただの無職のおじさんになります。東温市に来たときはピチピチの23歳でしたが今はポヨポヨのお腹の26歳です。

■noteで報告会をやっとこう

自分の事業のことやら協力隊のことやら農業の繁忙期が重なっておりまして、なかなか書けていなかったのですが、先日に地域おこし協力隊の報告会がありまして発表をしました。

当日はまぁまぁ重い空気でご挨拶がてらボケてやろうと思って、軽いジャブを放ってくすぐってやろうとしたところスベるとかそういう状態ですらない。スベるというよりは空気が止まる、困惑する、何をされている方なの?えっそれは知ってるでしょって状態でした。

という話は置いときまして、なかなか聞いてもらう人も限られるのでオープンにしようじゃあねぇかってことで発表の前日の晩に完成したパワポを元にnoteでも報告会をします!東温市のホームページでパワポは公開されてますが、資料だけじゃわからないことが多いので最後の仕事としてやっときますわ〜って感じです。

たぶん量がすごくなりそうなのでざっくり説明していきます〜

■自己紹介

報告会はスーツだったので普段はこんな感じの服装です〜
みたいな薄いボケがスベッてそこから30分の記憶がない

トピックスになっているところだけ説明します!協力隊になる前は大阪のしがない窓際サラリーマンっといった感じで、毎日パソコンをカタカタしてコーヒー飲んでトイレ行ってパソコンを触るっていう日々でした。

商品紹介のwebページ作成やメルマガの作成や配信などの広報やカッコよくいうとマーケティングっていうやつをやってましたね。未だにマーケティングが何なのかわかってないですけども。(マーケティングって使いたがる奴って薄っぺらいやつ多いよね)

それが向いていないというか、会社の商品に興味が無さすぎるというか、普通に社会人が向いていなかった説もありますが1年ちょっとで退職しましてプラプラしてたのです。朝からお気に入りの喫煙所で仕事に向かうサラリーマンや学生を眺めて、あ〜俺は何をするのがええんやろうか〜っと考えてたのですよ。

そこで今までの人生を振り返るんですね。なんで大学に入ったのだろう、なんで会社に入ってなぜ辞めたのだろうか。本当に自分は今まで自分の意志で選択をしてきたのだろうか?周りに流されてなんとなく選んできただけだったのではないか。

そう思った時にですね。ここは一発やりたいことをかまさないといけない!そこで色々と調べまして、自分の元々やりたかった宿泊業をやっていこうじゃあないか!ここまでがプロローグです。長い。こっからは端折っていく〜

■1年目

一年目の大きなトピックスはこちら!主な活動は地域で運営していた宿泊施設である人空田という施設の清掃や対応などの運営を行っていました。来た当初はすべてが手探りの状態で全てのことに慣れるのに必死ですねぇ。

人の名前も覚えれないし、そんなにちゃんと全員が自己紹介してくれるわけでもないので、特徴や関係性、みんなに呼ばれてる名前とガチの名前をスマホのメモに入れておいて後から見返したり会う前に見て思い出したりしてました。みんなは一人を覚えたらいいだけですが、こっちは相手からは知られてるけど誰だ〜って人が一気に何十人も生まれるので大変。

仕事のことも手探りでだし、田舎暮らしなんてしたことがないので電気つけてたら家が虫だらけになってパニクったり、玄関の前に蛇がいて戦ったり、朝起きたら隣の倉庫で解体されている猪がいたり驚きの連続でしたね。

宿泊業の仕事は2020年のコロナ禍の真っ只中から始まったこともあり、そこまでお客さんの対応をできたわけじゃありませんが、たまに移住希望者の方が来て僕も案内させてもらいました。

宿泊業に限った話ではないですが、僕が移住してからは地域のお祭りや模様しものがほぼNGになっていて復活してきたのが去年とか今年になってからで大規模のイベント的なことが参加できなかったんだろうなぁと思いますね。東温市は観月祭っていう花火のお祭りがあったらしいけど、それも見れずに祭り自体が廃止になりました。残念。

農業の手伝いに関しては1年目は僕は9月から着任したので稲刈りぐらいしかお手伝いはできませんでした。それも手伝ったと言えないレベルの手伝いしかできてませんしね。

それ以降も毎年のように田植えやらなんやらをさせてもらってます。詳しくはこっちに書いてます↓

他にも周りに農家さんが多いこともあり、ちょっとでも気持ちがわかるかと思って自分でも野菜を作ってみたり、汚いと言われながらも草刈りをしてみたり。小規模ではありますがイベントに参加したり手伝ったりもしてました。


情報発信の方は今よりも昔の方がめっちゃやってましたね〜今は全然手が回っていない状態です。noteに他のメディアでの記事の執筆。テレビ出演、ラジオ出演、youtubeの出演など色々です。

noteは3年間で約36万のPV数がありました。東温市のマガジンに入れている記事だけだと5万強くらいだったと思います。東温市の人口よりは多い!

まぁそこそこの数字かな

他で書いた記事はこれです。東温市のwebメディアのTOON BOXで書いた記事。


↓えひめ暮らしネットワークさんに書いた記事です。これきっかけで愛媛新聞さんの取材も受けました。(後に知ったけど同じ市の他の協力隊はインビューを受けてweb記事にしてもらってたらしい。俺だけ書かされてた。)

あとはyoutubeも何本か出ました。これは移住してから一ヶ月後くらいに撮影した動画。なんかめっちゃ幼い感じがしますね。僕の髪型が無造作すぎ。再生数はそんなに多くはないですが、一番いろんな人に見たよ!と言われたのは youtubeだったと思います。


■2年目

これはイベントでコーヒーを淹れてる私

2年目はまた活動を見直して次は農業にも挑戦することにしました。というのも、地域の人が一番憂いていることは農地を伝承してくれる人がいるかっということだからです。

そこで考えました。ほなどうしたらええんやと。思いつきました体験してもらおう。それがええ。ということで自分のシキミの畑を借り、栽培の方法や手入れ、収穫や出荷作業などを半年ほど学びSNSを中心に募集をかけました。

やっぱり自分でやってみないとわからないし、やってみたい!と思っても農業ってどう始めるのか謎じゃないですか。なのでその窓口になっていこうって活動です。そこから一人でもやっていきたい人がいればなぁっていう希望的観測の活動です。

募集を開始する前は人がちゃんと人が集まるかなぁ〜っと思ってましたが、意外にもすぐに集まるようになりまして、最後の方はnoteを公開してから1日くらいで僕の予定していた枠が埋まるまでになりました。バイト代はもちろんシキミの売上から出してます。

他にも地域のお母さん方と一緒に耕作放棄地を復旧してシキミを出荷したり、2年目は割と農業に関することを中心に行っていました。

ステッカーを貼って売ってました

他の活動としましては、これは僕が着任する前から地域で行われていたことですがシキミ線香の製品化の活動もお手伝いさせてもらってました。もう書くのに息切れしてきたからこれ読んでくださいな↓

もうだいぶ長くなってきたので3年目に突入します!!

■3年目

おとぼけ顔で看板と写真に映る私

なんやかんやとぼちぼち動いていたら3年目に突入してました。東温市の協力隊は年度区切りでカウントされるので、僕は半年遅れで着任したので実働は2年半しか活動期間がありませんでした。(他の自治体では入ったタイミングでやってくれる所もあるのでちょっと損してます。ここもちょっと改善点ではあると思いますね)

やっばいなぁ〜と思ってはいたものの、なかなか起業に対する動きがとれないでいましたね。なぜかというと田舎とはいえ自由に借りられる場所ってあまりないんですよね。

とは言え、協力隊としてやることもあります。

白猪の滝菖蒲園

この菖蒲園を管理していた方が体を悪くされたということで地域の方々と一緒に運営できるようにしていこ〜って活動も新たにやってました。

協力隊とは別で宿泊業やサウナの運営などの手伝いもしていたこともあるので、この場所でテントサウナを始めようか〜っと色々と交渉したり、ちょっとずつ整備などもしていたのですが交渉が難航。

僕の中でも、ここで始めても大丈夫なのか?という思いもあったり自分としてはやっぱり宿泊業がしたいなぁってのもあり色々と悩んでいました。というか協力隊の期間中はずっと退任後のことが気がかりで、この先やっていけるのだろうか?という思いが途絶えたことがなかったですね。

そんな時に別で物件を紹介してもらうことが出来たのです。

これが今借りている物件

以前にシキミのアルバイトで来てくれた方が、元から民泊をしていた物件を貸してくれるというお話を頂きました。もうそりゃ渡りに船って感じですぐに借りる流れになりました。

協力隊の期間中は住居も貸してもらえてましたが、任期が終わるとそれも無くなるので自分の住処もない。ってことで民泊だと自分も住みつつ運営しやすいのでラッキーでしたね。

この物件と巡り会えたのが10月でそこから自分の引っ越しや様々な物品の購入などの準備を行っていました。農業の繁忙期なども重なっていたり、Wi-Fiの工事が思ったように進まなかったり、僕の不手際もあり目標としては年始にオープンしたかったのですが大幅に遅れて2月末に開業することが出来ました。

↑Instagramのアカウントも作ったのでよかったらフォローして下さい。やばいくらいフォロワー少ないですからね。ミュートしてていいから!

Miuchi houseという名前で民泊は営業するようにしました。名前の由来を言うと、僕は元々は井内地区の協力隊として活動をしていまして他にも先ほどの菖蒲園のあった河之内という地区でもお世話になってました。そして今回、開業した場所が則之内という地区になります。

昔からこの3つの地区を合わせて三内と呼ばれてます。この名前の付いた農協やお米もあるのですが、この名前自体は地区の名前ではなく総称みたいなものです。あまり知られていない名前でもあります。今ままでお世話になった二つの地区とこれからお世話になる地区の全ての名前が入るのが良いなと思ってMiuchi houseという名前を付けることにしました。

意外と色々と考えて付けてるでしょ。

■最後に

正直な話、これまでの3年間で僕が地域に対して何かできたことって些細なことだけだと思います。多くの地域おこし協力隊って元からデザインができます〜みたいな手に職を持って移住してくる人が多いのですが、僕はただのちょっとサラリーマンやってただけの23歳の男が愛媛の山に来ただけです。

草刈りもできないし、知らないことばっかりですし、社会経験も全然ないような人なのに自分のやりたいことをさせてもらえる場所を見つけることができました。たぶん大阪で何かしら働いていたらまだスタートラインにすら立てていなかったと思います。

まだ始まったばかりです。これから続けていけるかも見通しは立っていませんが、色々な方にお手伝い頂き始めることができました。noteで読んでくれていた方もありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします!明日からは協力隊じゃない無職の26歳男性より。

<おわり>
なんか割のいい仕事あるよって人は教えてね

この記事が参加している募集

この街がすき

サポートして頂ければ、そのお金でいっぱいご飯を食べます。(本当は将来のゲストハウス経営の為の軍資金にします。)