「テクノロジー」・「自然」・「人間」より重要なのは?
最も重要なiPhone普及の立役者が、遂にその舞台から降ります。
もともとジョナサン・アイブ氏は2019年にAppleを退職して独立していましたが、Appleとのパートナー契約としてつながっていました。
今回はその契約を終了にしたので、これで事実上アイブ氏がAppleから離れることを意味します。
アイブ氏は、iPhoneだけでなく、スティーブ・ジョブズ氏復帰後のヒット作となったiMac時代からiPodを経て今に至るまで、ハード面のデザインに最終責任を持っている方です。
実は今年の5月に下記のような煽り気味のタイトル(直訳すると「魂を失った」?)の書籍も出版しており、やはり現経営陣との不調和があったのだろうと想像します。(和訳版が出たら読もうと思います。)
例えば、下記の記事では、現CEOクック氏の効率重視経営とのスタンスの違いが書かれています。本当にクック氏が悪いのかはこれだけでは何とも言えません。ただ、少なくともジョブズ氏とは深いレベルで共鳴することがあったのだろうと想像します。
アイブ氏は、技術者でなくデザイナーです。
ただし彼が手掛けたiPhoneやiPadは、最新テクノロジーの粋を集めたといっても過言ではない超ハイテク機器です。
ジョブズ氏とアイブ氏が共通に大事にしていたのは「デザイン」、砕いていうと「ユーザのライフサイクル全体における体験価値を高めること」だと私は思っています。
「デザイン」という言葉は、意匠だけでなく、今はビジネスとしても普通に使われるようになりました。
日本だと、佐藤可士和氏が有名ですね。ドキュメンタリーをみたことがあるのですが、ユーザ目線での改善指示を当たり前のようにクライアントに要求し(例えば某飲食店向けでは、テーブル上の箸置き場が邪魔だから見えない位置に配置する、とか)、さながらその企業の再建請負人に見えました。
デザインが求められるようになった大きな背景として、従来の積み上げ型(または改善型)でなく、新しい価値観が求められる時代に来ているのだろうと思います。
都市に対しても、新しい技術でスマート化を目指すのが「スマートシティ」という言葉です。
世界で有名なスマートシティと聞くと、Googleの兄弟会社「サイドウォーク・ラボ」が手掛けた「トロント市」のプロジェクトを思い浮かべる方がいるかもしれません。
正確には「手がけようとした」が正しい表現です。実は2017年に受注したのですが、2020年にとん挫してプロジェクトはすでに解散しています。
ちょうど下記のような記事が出ていました。
ようは、
テクノロジーファーストな進め方が住民理解を得られず、自然調和を目指した新しい計画が進んでいる、
という話です。
当時の構想では、自動運転タクシー、暖房付きの歩道、自動ごみ収集といった都市のハイテク化、そしてその最適化手段として、都市内での歩行から公園のベンチの利用に至るまでの住民のあらゆる行動をモニターする機器が配置される予定でした。この開発地区全体の俯瞰イメージ図がこちらです。
当時の市長肝いりでトップダウンで進めていたのですが、やはりあらゆる箇所でデータを取得することへの住民からの抵抗が開始直後から取り上げられ、便宜上パンデミックによる財政危機を理由に解散しました。
これも今回の文脈に従うと、「デザイン」の失敗とも取れます。
新しいトロント市の都市計画完成予想図が今年はじめに公開されています。
ちなみに投稿者のキースマット氏は、2018年の市長選にも出馬した現地では有名な都市プランナーです。
それはともかく、完全にスマート化に対して否定を表現するような自然調和で経済的にもエコな都市を志向しています。
このトロントでの都市計画の顛末がどうなるのか?個人的にはとても興味を持っています。
ただし、間違いなく言えるのは、論点はテクノロジーか自然かではなく、そこに住む方々の幸せに寄り添えるか、だと思います。
例えば、日本では、会津若松市がスマートシティのロールモデルとしてよく紹介されます。
ここでは「オプトイン」(利用者から承諾を明示的に得ること)を重要視しており、文字通り住民に寄り添った施策の例です。
「テクノロジー」・「自然」・「人間」、これらを対立構図に置くのではなく、また必ずしもスマート化でなくても、個々の人間の幸せに寄り添ったデザインとその社会実装が進むことを心より願っています。