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『十二の肖像画による十二の物語』肖像画からインスピレーションを受けて書かれた創作説話

発行年/1981年

私が<絵画に関連する短編小説>と呼ぶのは、画家が、その絵に描こうとした<感動>の源泉まで遡って、それをこんどは<短編小説>の形で表現してみようという試みのことなのです。平たく言えば、絵を見たときの感動と同じものを、短編小説で再現してみようということです。

『風の琴』 文春文庫/あとがきより

『風の琴』は、もともと単行本として出版された、肖像画・風景画それぞれをモチーフとして書かれた12ずつの物語『十二の肖像画による十二の物語』『十二の風景画への十二の旅』を1冊にまとめた文庫本です。当初依頼があったのは名画鑑賞的なものだったのですが、そういうものなら別に自分が書かなくても専門の美術史家か誰かでいい、自分はあくまで小説家として、小説を書かせて欲しい、と、辻さんのほうから出版社にお願いをして書かれたのが、上記の24の物語だったのだそうです。

『十二の風景画への十二の旅』は、『十二の肖像画による⎯⎯』から遅れること3年、1984年の刊行なので、今回はまず『十二の肖像画による⎯⎯』のご紹介です。




1.絵画それ自体とは直接関係のない、全くの著者の創造

先の「あとがき」の続きで、辻邦生さんはこれらの作品について次のように言っておられます。

肖像画の場合も、風景画の場合も、小説は、絵に描かれた内容の説明ではありません。絵からくる感銘を力の支えとして、私が⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⚫︎⎯⎯それがここに集った二十四の物語です。

『風の琴』 文春文庫/あとがきより

直接関係のない、とは言っても、絵画に描かれた人物の名前がわかっている場合は、主にその名前の人物が行動することになっています。なので、

描かれた人物に想を得た物語

ということが言えるとおもいます。


①『十二の肖像画による十二の物語』の特徴

『十二の肖像画による⎯⎯』のそれぞれの物語には、一つ一つ物語を象徴する言葉が据えられています。それぞれの物語のモチーフとなった絵画とともに、それらをご紹介します。

第一の物語 鬱ぎ(ふさぎ)
 「ある男の肖像」ロヒール・ファン・デル・ウェイデン
第二の物語 妬み(ねたみ)
 「老婆の肖像(ラ・ヴェッキア)」ジョルジョーネ
第三の物語 怖れ(おそれ)
 「自画像」ティツィアーノ
第四の物語 疑い(うたがい)
 「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」アルブレヒト・デューラー
第五の物語 傲り(おごり)
 「エラスムスの肖像」ホルバイン
第六の物語 偽り(いつわり)
 「黄金の兜の男」レンブラント
第七の物語 謀み(たくらみ)
 「婦人の肖像」ポライウォーロ
第八の物語 驕り(たかぶり)
 「ラウラ・バッティフェルリの肖像」ブロンツィーノ
第九の物語 吝い(しわい)
 「レオナルド・ロレダーノの肖像」ジョヴァンニ・ベルリーニ
第十の物語 狂い(ものぐるい)
 「美しきフェロニエール」レオナルド・ダ・ヴィンチ
第十一の物語 婪り(むさぼり)
 「フェデリゴ・モンテフェルトロの肖像」ピエロ・デラ・フランチェスカ
第十二の物語 誇り(ほこり)
 「婦人象」バルトロメオ・ヴェネト

選ばれた画家は、レンブラントを除いてほぼ1400年〜1500年頃に活躍した、ルネサンス期の画家たちです。彼らが描いた肖像画は写実的で、人物の内面にまで迫ろうとする力があったため、辻さんもインスピレーションを受けられたのでしょう。


②個々の物語について

物語について、一部を絵画とともにご紹介します。

◾️第五の物語 傲り(おごり)

「エラスムスの肖像」ホルバイン

辻邦生さんが絵画からインスピレーションを受けて書いたのは「先生」と呼ばれる男性です。
「先生」は本に目がなく、ある商人から怪しい古書を買い入れました。古書は次第に重量を増して、「先生」の屋敷さえも壊しかねないほどになってしまいます。
ところでここに「先生」が雇い入れた、マルガリーテという、ちょっと知能の低い女中がいました。この女中の手によって、「先生」は古書から助かることができるのです。


◾️第八の物語 驕り(たかぶり)

「ラウラ・バッティフェルリの肖像」ブロンツィーノ

この物語では、描かれた女性はその名のまま「ラウラ」として登場します。
「ラウラ」はひょんなことから詩人としての名声を得ますが、それを維持するためには若い男との恋の情熱が必要でした。でもそれだけでは、次第に世間から飽きられ始めていきます。焦った「ラウラ」の前に、一匹生まれると詩がひとつ書けるという蝶を携えた老人が現れます。それによって「ラウラ」はまた詩が書けるようになった自分と出会うことになるのですが・・・


◾️第十二の物語 誇り(ほこり)

「婦人象」バルトロメオ・ヴェネト

都市の中央におぞましい印象の塔が建っていました。その塔は牢獄で、捕えられたら最後、絶対に破ることができないと言われていました。そんな都市に美貌の青年が現れ、牢獄に兄が捕えられているので救い出すのに力を貸して欲しい、と、男たちに頼みます。すると、首領格の男がバルトロメオという老人を紹介し、青年は老人の力を借りて兄を助け出すことにするのですが、実は青年は女性で、捕えられているのは自分の良人だというのでした。


一つ一つの物語はごく短く、数分あるいは十数分で読めてしまうものばかりです。そんなこともあって、全体の趣はあたかも海外の説話集か民話集のようです。それはまた、すべての物語がいずれも人間の弱さや悪徳といった暗い部分をテーマにしているからでしょう。それについて辻さんは、

人生のドラマが主として美徳より悪徳によって起されるからであって、(略)人生に面白さ、多様なニュアンスを加えてくれるのは、人間の弱点のほうなのです。

『風の琴』 文春文庫/あとがきより

とおっしゃっています。


2.それぞれの絵画から受ける印象と物語との相関関係

絵画自体は主にルネサンス期の、それも肖像画に限定されているので、例えば以下に掲出した同じデューラーの、「アダムとイブ(人間の堕落)」と比べて絵画としてどちらが一般の読者により伝わりやすいかという問題は、どの絵についてもあるとおもいます。
しかし、誰もがよく知っている、その絵の背景について聞いたことがある、といった絵では、それ以上の感動は作りにくいかもしれません。その意味で、作家が独自の解釈で自由に物語をつけるという試みは、大変面白いとおもいます。その上で、再度元になった絵画に還ってみると、また新たな目でその絵を見ることができて、これはこれで一つの鑑賞法と言ってもいいのではないでしょうか?
(ちなみに以下の絵画から書かれた「第四の物語 疑い(うたがい)」は、今ひとつ意味がよくわかりませんでした。)

「ヤーコプ・ムッフェルの肖像」アルブレヒト・デューラー


「アダムとイブ(人間の堕落)」アルブレヒト・デューラー




なお、今回はどれも短い説話のような物語なので、特に抜粋できるような【今回のことば】はありません。



『十二の肖像画による十二の物語』収録作品
・文春文庫「風の琴: 二十四の絵の物語」1992年

・岩波書店「辻邦生歴史小説集成 第1巻」1993年

・PHP研究所; 新装版「十二の肖像画による十二の物語」2015年




今回もお読みいただきありがとうございます。
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