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『詩』アイスティーにミルクを

氷を浮かべたアイスティーにミルクを垂らすのは
邪道だろうか
ゆっくりと ミルクが氷のあいだを
グラスの底に沈んでゆくのを 掻き混ぜもせずに
僕はひたすら見つめていたい そのもやもやを
馬頭星雲と比較するのは
大袈裟にすぎると思われるだろうか?


エルキュール・ポワロ風に言うならば
小さな灰色の脳細胞のなかで
アイスティーに沈むミルクと馬頭星雲を
人は並べてみることができる
人の脳髄とは便利なもので あるいは
あんたが思っているよりいい加減なもので
足元の小さな蟻一匹から まだ誰も行ったことのない
巨大な木星の容姿まで
そこに取り込むことができるのだ


氷を浮かべたアイスティーにミルクを垂らし
それをミルクティーと称するのは
おそらくきっと不遜だろう
ウェッジウッドジャスパーの ペールブルーの
ティーカップに注がれるミルクティーは王道だけれど
アイスティーをまだらに染めて沈んでゆく
ミルクを今は眺めていたい


それは哲学でもなく思想でもなく
馬頭星雲と同じように ほんの僅かな
僕の内にある美意識だ
混ぜてしまってはもう戻らない 斑な色合いが
僕を魅了してやまないのだ
この雑然とした社会のなかで
小さな灰色の脳細胞が ほんの一瞬
それを希求してやまないのだ


ヴィンテージなカフェの窓から眺めると
猛暑の夏はひたすら白く 歩道の向こうで
車が陽炎に揺らいでいる
窓を挟んだこちら側で 琥珀色の液体の中に
ミルクがゆっくり広がってゆくのを見つめながら
少し陽炎に似ていると
そうおもっている僕がいる
喉の渇きを僕は覚える




ミルクティーが好きです。
昔はミルクティーなどというオサレな飲み物がなかったので、紅茶といえばレモンティーでした。それがあんまり好きではなかったので、と言ってコーヒーが好きかといえばそこまででもなく。
コーヒーをブラックで飲めるようになったのとミルクティーの味がわかるようになったのとは、たぶん同じ頃のような気がします。

グラスのアイスティーにミルクを注ぐのは好きですね。見ているのが。何のことはない、それだけの詩なんですけど。
なので、喫茶店でアイスミルクティーを頼んでアイスティーにフレッシュがついてきたとしても、僕は文句は言いません。
ちなみにタピオカは論外。

ところでエルキュール・ポワロですが、ポアロにするかポワロにするかでちょっと迷って、手元にある創元社版が「ポワロ」になっていたのでそれに合わせました。早川書房は「ポアロ」だそうですね。NHKは「ポワロ」です。

あと、馬頭星雲は暗黒星雲なので、例えとしてはちょっと違うかもしれませんが、そこは大目に見ていただくということで。




今回もお読みいただきありがとうございます。
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