『詩』山上の寺の本堂で
本堂の 四十畳ほどの外陣の中央に
いつか私は端座している
五重塔を備えた 古い大きな寺だ
回廊の蔀を押し上げると
森はずっと下にあって
鎮まりかえった木々の奥に
時折ルリビタキの声が響く
深い山の上の大きな寺だ
遠くに眼をやると
やがて木々の種類は目立たなくなり
紫の尾根が幾重にも
遥かな先まで連なって
ついには空との区別もつかなくなる
そんな山の上の寺にいて
外陣の中央で たったひとり
私はきちんと正座して
本を膝の上に開いている
外陣と回廊を限っている
障子はすべて閉ざされて 陽の光が
白い 清らかな和紙の上で揺蕩うている
障子はしっかり閉ざされているのに 堂内は
ゆっくりと 微風が流れていて 爽やかな
くつろいだ気分に満ちている
そんな場所で
なぜだかわからないけれど
私は本を開いている
いつからここにこうしているのか
なぜここで本を開いているのか
私は何も覚えていない
ここがどこの寺なのかさえ
膝の上に開いた本を
私は読んでいたのだろうか?
眼を凝らすと内陣は
天蓋や瓔珞などで
美々しく荘厳されているけれど
あたかも靄がかかったように
本尊の姿だけがここから見えない
むしろこの本堂が私であると
そんなことはないだろうか?
たったひとり
私は外陣の真ん中に
端座しながらくつろいでいて 膝の上に
何のものかもわからない
一冊の本を開いている そのことにだけ
何かしら意味があるのだと
たぶん私にはわかっている
ときに静かに眼を瞑ると 言葉や文字が
踊るように私を廻る
私の心や頭、あるいは膝の上の本のなかから
私の外へ飛び出して 外陣のなかを
見慣れた言葉や文字たちが
自由気ままに跳ね回る そうやって
私は考えているのだろうか? そうではない
不思議に涼やかな微風が 止むことなく
外陣を流れ続けているので
私は考えるふりをしているのだ ここではない
今<ここ>に
私がいる理由について
山の上は清澄で
考えるふりには相応しい
木々の匂い 水の匂い 畳の匂い
こんな外陣の中央にいて すぐそこに
蔀のそばまでルリビタキが来ていることを
さっきから私は気づいている
鳴くがいい、と私はそれに呼びかける、声に出さずに
振り返り 立ち上がりかけた
私を押し留めるように
鐘がひとつ鳴らされる
たたなづく紫の尾根尾根を 鐘の音が
韻々と静かに渡ってゆくようだ
そうして膝の上から本が落ちる
はい、何のことやらわかりませんねー、自分でもよくわかりません(汗)。
誰も知らない、山の中の大きな寺、という設定が好きで、ただそれを書いてみたかったという、それだけのことです。その寺に意味があるのではなく、それ自体が隠喩だとおもっていただければ。
山の中の、誰も知らない大きな寺、ということで言うと、こちらの小説が大好きでした。
おどろおどろしい殺人ものは好きじゃないんだけれど、京極夏彦さんは一時期ハマりましたね。上の詩とは全く関係ないけれど。
*外陣はお寺の本堂で、一般の人が座るところ、内陣はご本尊が安置してあって、ご住職がお経をあげるところです。
*蔀(しとみ)は、今で言う窓の代わりのようなもので、板戸を上げ下げする仕切りです。大概は雨戸だとおもうけれど、何となく蔀が雰囲気だなとおもったもので、これにしてみました。
*たたなづく、というのは、折り重なっていることを表す古語。好きな言葉で、短歌ではちょくちょく使っていました。
今回もお読みいただきありがとうございます。
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