【文学紹介】(続き)明け方の茶店と青瓷の花 楊万里:道旁店
1:前回の続き
前記事 【文学紹介】明け方の茶店と青瓷の花 楊万里:道旁店からの続きになります。
何気ないのスケッチに長けていた詩人、楊万里の作品を見ていきましょう。
2:道旁店
【原文】
路旁野店両三家,
清暁無湯况有茶。
道是渠儂不好事,
青瓷瓶挿紫薇花。
【書き下し】
路旁の野店、両三家、
清暁湯無く、況(いはん)や茶の有るをや。
道(い)ふ是(これ) 渠儂(かれ)は好事ならずや、
青瓷の瓶に挿す、紫薇花。
【現代語訳】
鄙びた道のほとりに二、三の店が並んでいる
明け方のこと、湯など沸かしておらずまして茶など出してもくれない
ただ、ここの主人は無粋でもなさそうだ
青磁の花瓶に一輪の百日紅の花が生けてあるのだから
3:作品解説
今回の詩は七言絶句です。家(カ)、茶(チャ)、花(カ)で押韻しています。
【1句目】
まずは1句目。「野」という字は、都市ではなく郊外や田舎など「鄙びた」というニュアンスを表します。
綺麗に整えられた格式ある街路沿いのお店ではなく、田舎にポツポツとお店が並んでいるイメージでしょう。
【2句目】
1句目で場所の説明を受け、2句目では時間帯が示されます。
暁の早い時刻であり、お茶屋さんもお湯を沸かせておりません。「況や」は「〜はいうまでもない」です。
湯が沸いていないのにお茶なんて尚更だ、という意味です。まだ営業をしていないのか、お茶を出してもくれないのでしょう。
お店が活気付く前の、明け方に特有の静けさを感じます。
【3句目】
鄙びたところで茶も出ないお店、そんな中で作者がある「発見」をするのが第3句目。
「道ふ」は「思う」という意味。「渠儂」は「かれ(あの人)」でここでは店の主人を指します。
3句目全体としては、「茶も出さないあの主人だが、きっと仕事一筋ではなく風流な側面もあるのだろう」という意味になります。
「好事」は「風流を好む」とも取れますし、「仕事熱心」という意味にも取れます。
前者の場合だと「主人は風流を好まないだろうか、いやそうではない」という意味に、
後者だと「主人は仕事一筋なだけの人では決してないだろう」となります。
【4句目】
なぜ作者が主人の風流を感じたのか?その理由が最後の4句目で書かれています。
青瓷の花瓶に紫微、つまりサルスベリの花が挿してある、洒脱じゃないか、というのですね。
青瓷の薄い青色に赤紫色の百日紅の花が添えられているというのは色合いとしても非常に綺麗ですし、パステルカラーのような色調は明け方の雰囲気ともよくマッチしていると思います。
特に裏の意味はなく、ふとした発見をスケッチした作品です。
4:最後に
この詩のポイントはやはり最後の4句目であり、薄い青色の青瓷の花瓶と百日紅の取り合わせが、僕自身とても好きです。
個人的な所感なのですが、宋代の文化は全体的に青瓷や白瓷のような淡い色の組み合わせが多いように感じます。(唐の陶器の色付けが唐三彩、というのも印象的です)
前の王朝である唐が原色を鮮やかに使う油絵のようなイメージだとすると、宋代はパステルカラーの水彩画みたいなイメージというのが個人的な印象です。
もちろん唐の時代も前期と後期では特色が異なりますし、宋代の文化の中にも派手な表現は存在します。
ただ、全体的に見ればシルクロードに代表されるように外への拡張・交流が盛んであった唐王朝と、北方民族の外圧から内省になっていく宋王朝とは対照的な存在であり、唐の詩が酒や桃の花に例えられるのに対し、宋の詩は茶やオリーブに例えられるのも、文化のカラーの違いを表していて興味深いです。
宋の詩は唐詩のような雄大さや濃密な表現は少ない傾向にありますが、その分今回のような日常のスケッチや日常の中の美意識が盛り込まれており、全く別の魅力があります。
興味のある方は一度触れて見てください!
それでは、今回はこの辺で。
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