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愛と信頼 ASDの恋愛作法10
パートナーのスマホをチェックするのが許せるかどうか?という議論がたまにある。
スマホを見せ合うのが相手を信頼してる証拠
とか
スマホを見せないのはやましいから
とかいろいろ言われるが、
相手を疑い出したらもう愛の破綻は始まっている、というのが私の持論。
結婚相手に慰謝料を請求するために証拠集めするならともかく、
もしかしたら浮気してるのかな?という不安感でスマホをチェックし始めたら泥沼の始まり。
何としてでも砂丘で砂金見つけてみせる!という強迫観念に取り憑かれてしまう。
「浮気してるのか?」「スマホをチェックしたい!」と思い始めたら相手への信頼が崩れてきてるのだから、証拠が出る前に別れるべき。おそらく泥沼しか待っていない。
愛とは無条件の信頼だと思う。
相手を疑わないこと。
この人なら大丈夫、という根拠のない自信。
大辞泉によると
信じるとは「そのことを本当だと思う。疑わずに、そうだと思い込む」とある。
信じる=思い込み、なのだ。
信じるというと何か神聖な領域のように感じてしまうが、そんなことはない。
思い込みなんです!!
だから周りが「絶対あいつ浮気してるって!」と忠告しても「タカシはそんなヤツじゃないもん!」と聞き入れない彼女がいたとしたら、それは信頼=愛なのである。
スマホチェックして浮気の証拠を見つけて問いつめてどうする?と私は言いたい。
北風と太陽の童話みたいに、彼の心を何重にも縛りつけたところで彼女を愛するようにはならない。
浮気するのは確かにいけないことだろうが、スマホチェックも大して変わらない。
警官が犯人を尋問するみたいな感覚に陥るのは危険だ。
○
おそらくその人は仲違いした私と二人きりで話をすればまた分かり合えるはず、と私のことを信じてくれたのだと思う。
それはとてもリスキーなことで、またどちらか一方、あるいは二人とも傷つく可能性があった。
せっかく少し距離が戻ってきたのならそのままの距離感でさよならする道もあったはず。
でも、その人は私の口から仲違いの理由を聞きたがった。
自分は受け止める覚悟はありますと言って。
何でも話せる相手で、いろんな話をしてきたのに、何でこの程度のこともわかってくれてなかったのか?と思って私はとても傷ついていた。
そしてその理由を自分から説明しようとはしなかった。
今まで話してきたことを振り返れば理由はわかるでしょ?と思っていた。
今日話してみて、認識に少しズレがあったのがわかった。
「理由話してくれないかと思ってました」と言っていたが、「理由を聞きたい」と直球で言われたので拒否する選択肢はなかった。
「わざわざ」という副詞は「しなくてもいいことをあえてする」という意味。
それなら彼女の行為もまさに「わざわざ」。
一度壊れた信頼の表面をセロテープで止めようとはせず、お互いの心の底に降りていってそこで握手できたような感覚。
私は傷ついて心を閉ざしてしまっていたし、半開きの状態のままでも全然よかったのだが、その人が扉を開けにきた。
“私と○○さんなら大丈夫でしょう?”
と言って。
実際そうだったのだから彼女の勇気と行動力には驚くし、尊敬もする。
人と人とが関わる場において人の心を突き動かしたり揺さぶったりするのは、相手を信じる心ではないだろうか。
もちろん自分も傷つくリスクがあるから、誰でも信じられるわけではない。
ただ、傷つきたくないからといって誰のことも信じられずにいるのは寂しい人生ではないだろうか。
その方の顔を見たら、
“私たち、きっと前みたいにお話できますよ”
と目が語っていた。
彼女は私を信じて、私も彼女を信じて、そして本当の仲直りができた。
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