2022年8月の記事一覧
ちあきなおみ~歌姫伝説~17 私の途・前篇
私が、ちあきなおみの個人事務所にマネージャーとして入社した一九九一(平成三)年から、退社するまでの八年間に及ぶ体験を顧みた手記を発表したのは、二〇二〇(令和二)年のことである。
この手記は、一年、また一年と、ちあきなおみが芸能界から姿を消してから流れてゆく時間の中で、私の想いが、書かざるを得ない局面を迎え、なんとしてでも伝え遺したいという強い動機が人との出逢いを生み、出版という形で多くの人々の
ちあきなおみ~歌姫伝説~16 郷鍈治の途・後篇
一九五八(昭和三三)年十月二九日公開の「俺らは流しの人気者」(野口博志監督)で、郷鍈治(以下・鍈治)は兄の宍戸錠(以下・錠)の推薦を受け、「街の流しⅮ」という役どころで出演(宍戸鍈治名義)した。
しかし、鍈治はこれ一回で、とてもじゃないが自分には向いていないと、もう映画出演には嫌気が差していた。だが、運命は再び鍈治を映画界へと誘う。大学卒業を間近に控えた頃、またしても錠から声が掛かったのだ。
ちあきなおみ~歌姫伝説~13 ちあきなおみの途・後篇
ちあきなおみ(以下・三恵子)のデビューのきっかけとなったのは、レコード会社日本コロムビアのオーディションだった。
類まれな歌唱力を有する三恵子ゆえに、さらなる完成型のプロ歌手としてのデビューを目指し、一年半近くにも及ぶレッスンの日々がはじまる。
二十歳の三恵子が、本格的にちあきなおみとして歩み出す序開であった。
レッスンでは、主に西田佐知子の「アカシアの雨がやむとき」(作詞・水木かおる 作
ちあきなおみ~歌姫伝説~11 ちあきなおみの途・前篇
ちあきなおみ、本名・瀬川三恵子(以下・三恵子)は、一九四七(昭和二二)年九月十七日、東京は板橋区に三人姉妹の三女として生を受ける。
ちなみに昭和二二年は、日本において第一次ベビーブームがはじまった年である。第二次世界大戦終結後、平和の旗の下に世界各国でも同種の現象が起こったが、日本では昭和二四年までの三年間で、約八百万人の出生数が記録されている。少子化の一途を辿る現在の日本の出生数からしてみれ