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余談②:僕の野生は御神輿を担ぐか

 今日、実に3年ぶりに浅草の三社祭が行われた。
 もちろん、規模縮小で以前とは少し形は異なるが、浅草の町は大いに活気づいていた。
 三社祭と言えば、浅草の町を様々な神輿が練り歩く様が壮観だが、今年は台車に乗せられた、三基の神輿が連なって町会を周る形で、周囲にいるおそらく浅草出身の人達が「一ノ宮から三ノ宮まで、一度に見れるなんて、中々レアね」なんて、言いながら神輿が台車に乗って来る様子を見て、嬉しそうに笑っていた。

 ちょうどご時世的に祭りが開催できなくなる前、知り合いの伝手で、一度だけ三社祭の様子を間近で見たことがあった。
 それまで、僕の知っているお祭りは、町の小さな花火大会程度で、日本でも指折りの祭りの光景を初めて見た時は、その規模と熱に驚かされた。

 特に御神輿を担いでいる人達のエネルギーには圧巻で、強面、入れ墨、ガテン系、見た目の派手さだけでなく、とにかく大人が全力をぶつけている姿に圧倒されたのだった。
 火事と喧嘩は江戸の華なんて言葉もあるが、本当に普通に、大人の漢と漢が掴み合いをしているんだから、熱量は凄まじい。

 そんなまざまざと「雄」を見せつけられて僕も火がついた。ということにはならず、ただただ、「僕には無理だな」と思うばかりで、知り合いから、「頼めば中に入れてもらえるよ」と言われたが、丁寧にお断りさせてもらったことを覚えている。

 話が急ハンドルを切るが、僕は『オードリーのオールナイトニッポン』のラジオリスナーだ。
 そのラジオで聞いた話だが、パーソナリティーの若林正恭さんは、テレビの収録前、ストレス解消のため、マネージャーの方と、オープンフィンガーグローブでミット打ちをしていたらしい。
 トークの中では、こんな話をしていた。

それで俺、今読んでる本で人間のそういう野生というか、野蛮な部分っていうのは、文明が進むと場所がどんどん追い込まれて少なくなっていくっていうのを書いてある本で。だから、中世の時とか……知らないよ。中世のヨーロッパを。だけど俺ね、町の中でね、「ああーっ!」とか言ってもよかったんだと思うんだよね。

2021年11月13日ニッポン放送『オードリーのオールナイトニッポン』より

 都市化の進んだ文明的な僕らの社会では、突然町中で大きな声を出したら白い目で見られるし、殴り合いの喧嘩なんてそうそうできない。

 話は御神輿に戻る。
 御神輿を担ぐ人達の姿は、まさに「野生」だ。
 祭りを通じて社会では出せない野蛮さも暴力性も、存分に吐き出している。この脳化した社会で、身体的、本能的な「野生」の姿を目の当たりにするからこそ、強烈に圧倒されるのだろう。

 お祭りを楽しんでいる人が、顔を赤らめている。片手には冷えたレモンサワーが握られていた。 
 僕は、記憶がなくなるほど泥酔したことがない。酔った感覚はあってもどこか頭の片隅で理性を手放すことができないのだ。
 思えば、殴り合い喧嘩もしてこなかった。
 仲の良かった友だちが、どんどんヤンチャになっていった中学生時代。そんな彼らを見て、その暴力の銃口が僕に向かないように、仲の良い体は取っていても、適度な距離を取りながら、僕の内側は、その「野生」とは真逆へと進んでいった。

 泥酔も喧嘩もしたことがない。
 僕は理屈っぽく、頭で考えたがる人間だ。
 人生において「野生」を爆発させる経験が圧倒的に足りない。だから、知人に誘われた時、御神輿を担ぐという野生的な行為に身をゆだねることができなかったのだ。

 そんな人間が30歳を過ぎたら、どこで内にある「野生」を発露させればいいのだろう。

 それでも、町からお囃子の音色が聞こえると、何だかワクワクした。日本人の遺伝子をくすぐられるような感覚。
 まあ、今はその感覚を楽しめれば良しとしよう。

 今日は一人でカラオケにでもいこうか。
 採点なしで、ただ声を出しに。
 いつか、僕の野生が御神輿を担げるように。
 

 

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