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雑記㉔:『固定観念と子どもの絵』の話をつらつらと

 僕の務めている保育園では、月に1回、テーマを決めて絵を描く絵画の時間がある。その時間には専任の講師がいて、子どもが書き終えた後、保育士とその講師で子どもの絵を見ながら振り返りを行う。

 絵なんて好きに描けばいいと思うし、わざわざ絵画の時間なるものがあることを初めて聞かされた時は、内心首を捻ったが、歳は60歳前後の、柔らかな雰囲気の男性講師が、楽しく自由に絵を描いてほしいというスタンスだったので、今ではその時間も自分の中で肯定的に捉えている。

 先月のテーマは、園で行なった「餅つき大会の様子」である。
 子どもそれぞれが、その日のことを思い出し絵を描いていく。もちろん、描くのが好きな子、苦手な子はいて、僕の受け持つ4歳児クラスの子ともなれば、自意識が芽生え、人に見られるのが恥ずかしいと手の進まない子もいる。
 
 4月生まれのSちゃんは、そんな自意識真っ只中の女の子だ。

 絵画が始まると、友だちの目線を気にしながら、4つ切りの画用紙に地平と空、周囲にあった水道や、餅つきに使った杵、臼などが描かれていくのだが、当のSちゃん自身がとても小さい。
 
 画用紙に描かれた「自分」が小さい子は、「自信がない」心理の表れ、というのが、これまでの経験や、先輩の保育士の言っていた定説で、今回もそれに倣って、「Sちゃん自信がないんだなあ」と、彼女の自意識と結びつけ考えていた。

 振り返りの時間。
 講師と絵を見ながら絵について話す。
 「楽しんで描いているのが色使いから伝わりますね」「友だちが大切なことが分ります」等々、絵から読み取れることを話していると、Sちゃんの絵の番になった。
 
 僕が、小さいく描かれたSちゃんことを伝える。
 それに対して、講師の言葉は僕の思いもしないものだった。

「この子の目には、自分以外の世界がこれだけ大きく見えいるんですね」

 これが、初老の講師の絵の見え方だった。
 その視点に素直に感心した後、反省の念が押し寄せてくる。

 僕がSちゃんの絵を見て思ったことは、「小さい自分=自信のなさの表れ」という固定観念でしかなかった。
 したり顔で公式に当てはめただけで、その子の絵やその子自身をちゃんと見ていなかったことに、恥ずかしさを覚えた。

 講師の言葉はとても詩的で、肯定感と優しさに溢れている
 その視点からは、大きな世界の中で、自分の存在の姿を描こうとする、Sちゃんの誠実さが見えてくる。自信がないという決めつけからは、見えてくるものは少ない。

 しばしば子どもに対して、固定観念の眼鏡を掛けがちなのが保育士や教師だ。
 目の前の子どもの情報ではなく、自分の経験則や発達過程に当てはめ、思考を停止させてしまう。

 大切なことに気がつかせてくれたSちゃんの絵と講師の言葉に感謝したい。
 油断していると、いつの間にか掛かっている厄介な眼鏡。
 子どもと向き合うのであれば、思考や想像することを心掛けたい。それだけが、固定観念の眼鏡を外す方法だと思うから。


季節の変わり目、雪が降ったり暖かったり、体調を崩さないようご自愛ください。
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