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【校閲ダヨリ】 vol.14 校閲者向きの人物とは


みなさまおつかれさまです。
今回は、別の角度から、それはそれでマニアックな話をしようと思います。


誰かと話をしていて、「校閲をやっています」と言うと、
その分野のことをよく知っている(例えば、民藝の本の校閲をするのであれば、民藝のことをよく知っている)んでしょう?

と、大抵の人に言われます。(それはもう、うんざりするほどです)

最初に断っておきますと、私は国語学専攻でしたので「日本語」という言語に関しての知識はありますが、民藝の知識はまるでありませんし、万年筆に詳しくもなければ、皇族の歴史だってあまり知りません。


そんな男が、どうやってこの世界で6年も生きてこられたのか。
それは、「知識」にとらわれすぎていないからかなあと思っています。

 
……「知識があるに越したことはない」のでは? と思う方が多いと思います。
たしかに、そうです。
しかし、中途半端な知識ほど、怖いものはありません。
私は「なければないで、ニュートラルに良い仕事ができる」と思っています。


なぜか。
どれだけ正確にその知識を覚えていられるか、という問題もありますが、「情報は常に更新されていく」という自然界の掟に、中途半端な知識では対抗できないからなんです。


たとえば……
ダークエネルギー(ダークマターとは別物です)の存在が発見されてから、宇宙の終わりはそれまで主とされてきた「ビッグクランチ」ではなく、「ビッグリップ」、「ビッグフリーズ」とする学説が主流になってきました。(3つとも、とても興味深い終わり方です。気になる方は調べてみてください)


「宇宙はビッグクランチで終わる」という知識を得ると、その分野の研究者(これはプロ・アマ・自称問いません)でない限りそこで学びが止まってしまう場合が多いんです。
私は、常にあらゆる分野で知識を更新していくなんてことは不可能に近いと思っています。


中途半端な知識でこの仕事をしていると、「調べる」という手間をついつい怠るので危険です。
「スモモも モモも モモのうち」だという文句を「知っている」ことによって、「スモモ」について調べることをしなくなるのです。

そのことについて知らなければ、調べるしかありません。
(第一級の情報に当たらなければ意味がありませんが、それについてはまたいつか号を変えて話すことにしましょう)

私は、もしいま「校閲者として求められる能力」を1つ挙げよと言われたら、「本を読むのが好きで何時間でも読めること」や「知識豊富なこと」よりも「自分を過信せず、手を動かして調べる手間を厭わないこと」を一番に据えます。

結局行き着いたところは根性論なのかもしれませんが、私は、土臭くても、正しい情報を読者に届けられればそれでよいと思っています。

……皆さまにはまったく役に立たない号になってしまったかもしれませんが、職種は違えど伝わる気持ちはあるかもしれません。
最後まで読んでいただいただけて嬉しいです。


それでは、また次回。


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