見出し画像

【校閲ダヨリ】 vol.54 ウィキペディアの活用法




みなさまおつかれさまです。
数カ月ぶりとなってしまいました。すっかり花粉症の季節です。
あくまで本業ベースの物書き(私)にとって、ようやく魔の月間が終わりを迎えようとしています。

今回は、我々校閲者が「喉から手が出るほど」使いたい、ウィキペディアについてのお話です。
最初にお断りしておきますと、本稿に「ウィキペディアをこき下ろそう」とか、「みなさんに使うことをやめさせたい」といった意図はありません
誰もがアクセスしやすい知の泉は紛れもなく世界の財産のひとつだと考えていますし、今後にも期待しています。
どんな物事にも一長一短あることの事例のひとつとしてお読みいただければ幸いです。
   
   
さて、その存在を知らない者のほうが少数と容易に推測できるウィキペディア。
何か調べたいものを検索すると大体上位にヒットするので、思わずクリックしがちです。
見ると、大体において一見まともなことが書かれています。しかも、収録語数に制限なし。これは、百科事典を遥かに超える利点の宝庫です。
しかし私のチームでは、校閲作業においてそこを根拠に確認完了のチェックをつけることは禁止しています。
   
   

そんなの当たり前じゃん。

   
   
と同業者は思うでしょうが、もしかするとみなさんの中には「え、なんで?」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
「当たり前」と思われる方には、その理由を言えるかどうか、私はここで問いを投げかけます。
   
   
   
私が推測するメジャーな理由に「大学の先生にダメといわれたから」というものがありますが、これは根源的な「理由」になっていません
「先生に従うための理由」にはなりますが。
   
   
   

うーん、確かその時に「誰が書いたかわからないから」というのは聞いたことがある気がするな。

   
   
   
そうです。そういうものです。
この「誰が書いたかわからない」というところが、ウィキペディアを根拠として用いづらい最たる理由だと考えています。
   
   
   

でも、内容的に正しければ、別に使っても良いのでは?

   
   
   
おっしゃる通り、その意見はもっともです。
私が次の論を展開する前に、ここでウィキペディア自体がウィキペディアのことをどう位置付けているのか見てみましょう。
   
   

ウィキペディアは誰もが無料で読むことができる百科事典です。それだけでなく、CC-BY-SA 3.0というコピーレフトなライセンス(GFDLのライセンスを合わせて適用することも出来ます)の条件に基づいて改変、複製などの2次的利用をすることもできます。執筆者の著作権を放棄しているわけではありませんが、記事をCC-BY-SA 3.0に基づいて改変することを認めているのです。
ウィキペディアより引用)

   
   
ここでいう「CC-BY-SA 3.0」とは、CC=Creative Commons という非営利団体の規定「表示-継承 3.0」を指します。(出版業界でCCというとAdobe「Creative Cloud」のイメージが強いですが、完全なる別もの・別団体です)
Creative Commons は、「知識と創造性の共有に対する法的障害を克服するため」に生まれた団体です。
著作権者が「CC-BY-SA 3.0」に同意することで、利用者は営利・非営利問わず複製・再配布したり、リミックス、トレース、改変することができるようになります。
   
ウィキペディアはこの「CC-BY-SA 3.0」に同意しているので、我々利用者は上記のような記事改変が誰にでもできるようになっているのです。
   
つまり、誰が書いたかわからないということに加え、それが正しいかどうかということになると、改変を経たテキストは書いた本人ですら正確性を保証できず、いわんや多くの閲覧者は結局自分の知識では判断できないことになります。「ウィキペディアに書かれている情報が正しいか調べる」手間が加わることは、とても校閲者泣かせです。
   
加えて、常に更新される可能性も、校閲者にとってはあまり相性が良くありません。自分たちが調べ終わったゲラを編集者が確認したときに出典の内容が変わっていることを想定し、いちいち根拠としたページのプリントアウトやスクリーンショットをとっておく必要があるとしたら、これほど手間なこともありません。別の大きな辞書で引くなり、図書館に行って「容易には動じない文献」で調べるなりしたほうが、よほど精神的なゆとりがあります。
   
   
アノニミティ(匿名性)は、発信する側にとってはとにかく都合が良い方法です。
学術論文が必ず記名制なのは、自分の論に責任を持つということであり、批評を受け入れるという覚悟の表れでもあります。読み手にとっては「著名な研究者だから大丈夫であろう」という安心感につながるとともに、「一見つじつまが合っているが、どこかに穴はないか探してみよう」という新たな研究の促進剤にもなります。
穴が見つかれば、発見者が記名論文で反論し、さらにまた本人や別の研究者が反論、というかたちで学問は発展していきます。
   
   
大学の先生がウィキペディアを根拠とすることに「ダメ」という理由ですが、「名前がわからない」ことのほかに、もうひとつ大きなものとして「自動的に孫引きになる」があります。
   
孫引きとは、大元の論を誰かが抜き出して自分の論を展開、2番目以降の論での出典や参考文献の扱いを盲目的に信用することをいいます。
つまり、自分の論に都合の良い箇所だけを抜き出している可能性を排除できていない
これは、特に研究の分野にとってはよろしくありません。
   
   
以上、なんだかウィキペディアの短所ばかりを挙げてしまいましたが、胸を張って使えるといえる面もあります。
根拠を示す必要のない場面では大いに活用できるかもしれませんし(判断の個人差はあるかと思います)、アナログ時計でおおまかな時刻を知りたいときのように「一般化された事項の概要」を知りたいときにはかなり使えます。
また、「参考文献を探す」という点では特に優れたメディアといえるでしょう。
   
   
ウィキペディアでは、少し専門的な事項になると、多くの項目で筆者が参考にした文献が書かれています。
事項の参考文献を探す」というのはその分野の入り口に立つ者にとってはことさら骨が折れることです。私のような校閲者は作業媒体が変わるごとに異なる分野の入り口に立つことが多く、「どんな本を調べれば良いのか」「どの研究者・会社がその分野で一級なのか」調べるのにまず時間がかかります。そこでウィキペディアを利用してそのあたりを調べ、原典にあたる。私はこんなふうに活用しています。
   
   
どんなことにも一長一短があります。得意分野を見出し、自分の糧とする。
一般化すれば、厳しい世の中で生き抜く生活の知恵にもなりそうです。
ウィキペディアから学ぶ、社会科のお話でした。
   
   
それでは、また次回。


参考
Wikipedia:ウィキペディアについて」(ウィキペディアウェブサイト)
「表示 - 継承 3.0 非移植 (CC BY-SA 3.0) 」(Creative Commons ウェブサイト)



#校閲ダヨリ #校閲 #校正 #出版 #雑誌 #本 #書籍 #エディトリアル #日本語 #言語 #言葉 #国語学 #文法 #proofreading #magazine #book #publishing #create #editorial #language #peacs

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?