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【校閲ダヨリ】 vol.21 akemashite omedetou gozaimasu(年始スペシャル)



みなさまおつかれさまです。

2020年最初の校閲ダヨリです。(旧年中は大変お世話になりました)

今回ですが、なんと小学生から質問(というよりは疑問)をいただくことができましたので、それにお答えしつつ記事を構成したいと思います。


テーマは、「ローマ字」です。


「学校でローマ字を習っているのだけれど、いくつか種類があって全て覚えるのが大変。そもそもなんでこんなに書き方があるの? 種類をごちゃまぜにして書いてもいいの?」


というような感じなのですが、なかなか鋭い意見ですよね。
大人は気づいていつつもなんとなくスルーしてしまっているか、そもそも気にしてもいないか、いずれにしても「知っていて損はない」言語事項だと私は思います。


〈ローマ字には、大きく3種類の書き方が存在します〉

・日本式
・ヘボン式
・訓令式

この時点で、すでにいやな予感がします。
世間で散見されるローマ字表記を見ると、「だいたいどれかに則って書かれているが、混ざっているものもある」という、いわばカオス状態でした。
「伝わればよい」という言語の本質中の本質がここでも垣間見られ、私は少し嬉しくなったのですが、スッキリしていないことも確かです。

ここまで『校閲ダヨリ』にお付き合いくださっているみなさまにおかれましても、「カオスだなんてなんだか気持ち悪い」という思いが生じている可能性がありますので、それぞれについて詳細をまとめてみようと思います。


先に、ご質問者さまの「種類をごちゃまぜにして書いてもいいの?」という疑問にお答えしておくと
「現状、まぜて書かれている場面が多く見られます。まぜて書かないほうが統一的には綺麗ですが、違和感を覚える場合もあります(「ち」を「chi」で統一している人は、「ti」で表記されていたら違和感を覚えるでしょう)」という感じでしょうか……(スパッといかずごめんなさい)。


さて、それでは3種類の書き方をそれぞれ見ていきましょう。

〈日本式〉
1885年に田中館愛橘が『羅馬字用法意見』 で提唱したものです。その後、1905年に田丸卓郎が「日本式」と命名しました。
「し→ si」「ち→ ti」「づ→ du」など、a i u e oをベースに各行の子音となるアルファベットを単純にその前につけたような印象です。



ローマ字資料


〈ヘボン式〉
ジェームズ・ヘボンが1886年に『和英語林集成』第3版に採用し一般化しました。「日本語の仮名づかいによらず、発音によってつづるため、英語の知識をもった人がこのつづりを見れば、日本語の発音が読み取りやすい」(NHK放送文化研究所)とされます。
「し→ shi」「ち→ chi」「づ・ず→ zu」など、世間で多く見られるローマ字遣いでベースとなっていると推測されるつづり方です。


ローマ字資料2


〈訓令式〉
ほぼ同時期に提唱された日本式とヘボン式は、使用者間でどちらを用いるか当然のごとく揺れていくこととなります。
1937年に内閣訓令として統一を図るべくつづり方の提案をしましたが、うまくいかず、1954年に各官庁に向けて折衷案のようなものを発表し、これをよりどころとするよう指示します。
「し→ si」「ち→ ti」「づ・ず→ zu」など、確かに折衷案のような感じになっていますが、ヘボン式に慣れている人にとっては違和感があるのではないでしょうか。
ちなみに、1954年の訓令では「国際的関係その他従来の慣例をにわかに改めがたい事情にある場合に限り,第2表によっても差し支えない」としてヘボン式・日本式特有の表記を挙げています。

ローマ字資料3


……つまり、「どれを使えばいいのか」という拘束力のような話になると「訓令式」がいちばん強いということになるわけです。



ふむふむ、でも、訓令式で書かれているものをあまり目にする機会はないと思うんだけど。


私も、同じ意見です。
なので、ここで少し調査をしてみることにします。
街なかでローマ字表記を目にする機会として大きなものが「地名」ですよね。特に、利用機会の多い電車の駅名は、皆さんもかなりなじみ深いのではないでしょうか。「これが根拠」とは到底言えない数ですが、参考程度で捉えてくださると幸いです。


1.三軒茶屋(さんげんぢゃや) → Sangen-jaya
各つづり方をこれに当てはめると

日本式:Sangendyaya
ヘボン式:Sangenjaya
訓令式:Sangenzyaya

となりますが、近いものはヘボン式です。「-(ハイフン)」が入っているのはちょっと謎です。
ヘボン式では、「n のあとに『母音』や『y』がくる場合はハイフンを入れる」となっていますが、それとは合致しません。
(訓令式で同様の場合は「’(アポストロフィ)」を入れます)


2.新宿(しんじゅく) → Shinjuku (JR、小田急、京王、都営地下鉄)

日本式:Sinzyuku
ヘボン式:Shinjuku
訓令式:Sinzyuku

新宿駅は、完全にヘボン式でした。


3.日本橋(にほんばし) → Nihombashi

日本式:表記不明(「ん」を表すつづり方が定義されていません)
ヘボン式:Nihombashi
訓令式:Nihonbasi

日本橋もヘボン式です。「ん」は、ヘボン式ではp,b,mの前で「m」となります。
ちなみに、大阪にある近鉄日本橋(にっぽんばし)駅は「Nippombashi」で、こちらもヘボン式でした。


このように、というには例が少ないですが、街なかではヘボン式が多く目につきます
……内閣訓令とは? と考えたくなりますが、私たちの統一認識が全てヘボン式をベースとしているかというと、実際のところは訓令式とのミックスのようです(これが先で述べたカオスにあたります)。


試しに、部下や同僚に「しんぶん」をローマ字で書いてというと

shinbun

と答えた人が100%でした(調査人数は5人くらいです)。
私にもっとコミュニケーション能力があれば、信頼に足るデータとして成立させることが可能なのかもしれませんが、回答者数を増やしてもおそらく「shinbun」と答える方が多いのではないかと思います。
これは、「shi」の部分はヘボン式ですが、b の前の n が「m」になっていないので、一貫してはいません。(ヘボン式:shimbun)


「なるほど、そしたら新聞社のオフィシャルの表記として shinbun としているのはどのくらいあるのだろうか」ということが気になったので、日本各地の「〜新聞」の表記を調べてみることにしました。
国立国会図書館の「全国紙・地方紙の新聞社サイト集」というページから調査してみたところ、「〜新聞」と名のつくもので「shinbun」となっていたのは51紙中わずか1紙(『上毛新聞』)でした。


同様に、「日本橋(にほんばし)」に関してもアンケートを取ってみたのですが、個人レベルでは「nihonbashi」と答える人が100%でした。
ヘボン式で一貫すると「nihombashi」となるため、こちらもミックスです。
日本橋に関しては、駅名表示では「nihombashi」でしたが、道路標識や街頭地図ではなんとミックスである「nihonbashi」も存在しているようです。加えて、驚くことに、新しい標識や地図ほど「nihonbashi」となっているんです。


これは、東京都が2015年にまとめた『国内外旅行者のためのわかりやすい案内サイン標準化指針』(P20)という表記ガイドラインがその根拠となっているようで、東京都はいわばオリジナルでローマ字表記のルールを作ったことになります。


興味深い自治体は他にもあります。
群馬県」です。
群馬県の「群馬(ぐんま)」は、ヘボン式では「Gumma」、訓令式では「Gunma」となります。
現在、県のオフィシャルHPでは「Gunma」と訓令式で表記されており、ヘボン式に則る向きのある世間の潮流に乗っていないことがわかります。
自治体は公的機関ですので、訓令式なのは考えてみれば当たり前かなとも思うのですが、群馬県にはオフィシャルのローマ字表記が2種類存在しているんです。県公式HPでは「群馬県庁では、県名の表記としては"Gunma"という訓令式のローマ字表記を使用」に対して「外務省では明治時代以来の慣習として、都道府県のローマ字表記についてヘボン式を使用しているため、パスポートのローマ字表記は"Gumma”となっています」とも述べています。そして、それが元で毎年問い合わせが殺到、担当者が声明を出す事態にまでなっています。(応対する職員は大変だったでしょうね)


たかがローマ字、されどローマ字という感じになってきましたが……私個人としては「ゆれすぎ」と言いたいです。
人名のローマ字表記にしても、かなり自由度が高いですよね。
私は伊藤という苗字なんですが、「Itou」なのか「Ito」なのか(長音アリ or ナシ)、はたまた「Itoh」なのか自分でもよくわかっていません。(パスポートに記載する際は「ITOU」以外は認められるそうです。※「Itoh」は要相談とのこと)

ご質問者さまは、きっと「覚えるのが多すぎて大変」ということであるかと思われますが、「ヘボン式だけ覚えておけば問題ないよ」ともいえないのが歯がゆいです。
PCでテキストを打つ際、ほとんどの人がローマ字入力をすると思いますが、この時は、ヘボン式よりも訓令式のほうが効率的に入力できますし、日本式も知っておかないと、たとえば「三軒茶屋(さんげんぢゃや)」などが入力できない場合があるんです。
いずれの綴り方も法則性がありますので、全部を丸暗記しようとせず、必要最小限の知識で「あとは導き出す」覚え方がよいのではないかな、と考えます。


またまた、日本語にまつわる闇な部分をご紹介することとなってしまいましたが、最後に一つだけいえることがあるとすれば、
会社として、または個人として何か公表する場合、ローマ字表記の基準は設けておいたほうがよい」、これに尽きるでしょう。

それでは、また次回。


参考
「フ」のローマ字表記は「hu」?「fu」?」(NHK放送文化研究所ウェブサイト)
全国紙・地方紙の新聞社サイト集」(国立国会図書館ウェブサイト)
国内外旅行者のためのわかりやすい案内サイン標準化指針』(東京都)
群馬(ぐんま)のローマ字表記について」(群馬県ウェブサイト)



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