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#それから
読み誤る漱石論者たち 阿刀田高③ 『それから』はどうしてそれから?
読み落としは読み誤りとは違うのではないか、気が付いていないことがあるだけで、読み誤りとは言えないのではないか、
この記事を読んでそんなことを思う人がいるかもしれない。しかし私が言っているのは、最低限ここまでは読めていないといけないという最低ラインに達っしていないのに解った風に書いてしまうのはどうなのかということだ。清を「ねえや」にしてしまうのは誤読だ。汚染データだ。漱石が意図して『三四郎』で
『それから』を読む① 『それから』の椿は俯せに落ちたのか?
これは文芸批評というようなものではなく、夏目漱石の俳句に関する愉快なあれこれといった話で、「ここは誤読だ、これは違う」といちいち目くじら立てて議論するべき対象ではないが、一旦目についてしまうと法律でもなんでも「これは違う」とやってしまわなければ気が済まないのが私の性分である。
これが『それから』の冒頭であるとするなら半藤一利の説明では「誰か慌しく門前を馳けて行く足音がした時、代助の頭の中には
夏目漱石の『それから』はどう読まれてきたか② 最初と最後に類似の素材を置く
ルーマニア、ブカレストのMiriam Cihodariuさんの感想は、なかなか鋭いところを突いています。著者は常に詳細や文脈を隠しているように見えるので、ストーリーは楕円形であり、もっと知りたいと思うようになる。というのは良い指摘ですね。柄谷行人などは主題が分離しているとして、あらすじさえ見逃しているわけですが、Miriam Cihodariuさんは漱石作品が皆迄書かない、書きすぎないというルー
もっとみる閑話休題『そいがきや』で解ったこと・解らないこと
これまで『そいがきや』を七章まで訳してきて、解ったことと解らないことを整理しておこう。これまで「金の延金」の意味は曖昧だとして来たが、方言に変換してみるとどうもこうではないかなという答えが見つかった。方言変換では名詞よりも動詞や助詞の方が比較的多く置き換えられる。その中で気が付いた。
「御父さんは論語だの、王陽明だのという、金の延金を呑んでいらっしゃるから、そういう事を仰っしゃるんでしょう」