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2024年1月の記事一覧
屹として売家をしをに烏瓜 夏目漱石の俳句をどう読むか24
見上ぐれば城屹として秋の空
解説に城は松山城とある。ならば、
松山や秋より高き天主閣 子規
この句とさして変わらぬところを詠んだものであろうか。
今の松山城はなんだか寸詰まりに見えるが、子規や漱石が見上げていたものは壮観なものであったのであろう。
ところで夏目漱石は明治二十五年岡山に旅行し、次兄栄之助の元妻小勝の実家片岡家を訪問、その後後楽園などを観光している。ならば当然岡
染くさい芭蕉破れて蘭の香や 夏目漱石の俳句をどう読むか23
蘭の香や門を出づれば日の御旗
解説にこの句を子規に送った九月二十三日は秋季皇霊祭とある。この句は三十二句まとめて送った中の最初の句なので、これもおそらく実景ではない。芥川の元日の句のようにあらかじめ詠まれたものであろう。
蘭の香や蝶の翅にたきものす 芭蕉
どうも気のせいか「蘭の香や」の句には開いた取り合わせが目立つような気がする。それは勿論「蘭の香や」とまで詠んで「いい香りだった」と
稲妻や野川を渡るあとや先 夏目漱石の俳句をどう読むか22
稲妻やをりをり見ゆる滝の底
漱石の句として最初に「稲妻」が現れるものであるにもかかわらず、この句が一番解らない。
稲妻に行手の見えぬ広野かな
北側を稲妻焼くや黒き雲
稲妻の目にも留らぬ勝負哉
稲妻の砕けて青し海の上
此の下に稲妻起る宵あらん
稲妻に近くて眠り安からず
稲妻に近き住居や病める宵
逆に残りの句は、説明の要のない、さして深みのない、見たままの句に見える。
稲妻に行手の見
「やり直しの日本近代文学」追記案
-1 坪内逍遥が夏目漱石を産んだ
逍遥は明治二十二年に小説を止めた? 『吾輩は猫である』は逍遥のパロディ? 理屈屋逍遥 英文学の紹介者
0 幸田露伴は唯の物知りではない
テロリストの殺気 堂々たるアイヌ政策批判 寺田寅彦と気の合う露伴 辞書から始める人 薮蕎麦は書き間違い
-1 坪内逍遥が夏目漱石を産んだ
逍遥は明治二十二年に小説を止めた? 『吾輩は猫である』は逍遥のパ
明けやすき死にたくもなきふくべかな 夏目漱石の俳句をどう読むか21
明けやすき七日の夜を朝寝かな
歳時記を捲り始めた当初は誰しも、「冴え返る」や「涼しさ」そして「明けやすき」などという俳句的表現の季題に興味が惹かれる。
雪は冬で蚊は夏のものとは俳句に関係なく誰しもが知っていること。歳時記を捲てこそなるほどという季題に出くわす。「砧打つ」もそうだしこの「明けやすき」も全く俳句を知らない人にとっては何ということもない言葉だが、歳時記で出くわして実際にその季節に
碪打つクレオパトラの金時計 夏目漱石の俳句をどう読むか⑳
うてや砧これは都の詩人なり
さっぱりわからない。解説に謡曲『砧』を踏まえるか、とある。
なるほど。
夫が恋しくて砧を打つと。
打てばひゞく百戶餘りの砧哉
衣擣つて郞に贈らん小包で
嫁し去つてなれぬ砧に急がしき
碪うつ眞夜中頃に句を得たり
逢ふ戀の打たでやみけり小夜砧
聞かばやと思ふ砧を打ち出しぬ
実は漱石にはこのように砧の句がいくつもある。そのどれもに漱石が思い描いたストーーリー
芥川龍之介の『河童』をどう読むか⑲兼夏目漱石の『こころ』をどう読むか480着物という概念がなければ全裸もない
これは素朴なトートロジーの確認のような話でありながら、文学的には必ずしもそうではない。文学においては出来る出来ないで裁かれない曖昧な領域が残されることがありうるからだ。なんなら文学においてはどんなことでもありうる。
ここで河童たちは着物というものを知らずにいる、とされていて河童たちは眼鏡はかけていたとしてもいかにも全裸であるかのように書かれてることから、この国の「特別保護住民」たる人間の「僕
馬に二人野菊まるする落し水 夏目漱石の俳句をどう読むか⑲
乗りながら馬の糞する野菊哉
Nogikuya shitting on a horse while ridingとDeepLは翻訳する。
乗りながら馬の糞する野菊かな
にしてもMaybe a wild chrysanthemum that shits on the horse while riding.としてくる。どうしても野菊に糞がさせたいらしい。
蚤虱馬の糞する枕元 芭蕉
子規への影響は… 夏目漱石の俳句をどう読むか⑱
鐘つけば銀杏散るなり建長寺
子規の柿食えば……に影響を与えた句として解説されている。これは繰り返し説明している通り前後即因果の誤謬を利用した句と言える。
これは勿論漱石の発明でもなんでもなく、
見わたせば眺むれば見れば須磨の秋 芭蕉
芭蕉なんかは因果関係なんてないんだとばかりにこんな句を詠んでいる。
ところでこの句には「本来関係のない何かと何かを結び付けてしまうという」という
夜三更古塚あれて忙しき 夏目漱石の俳句をどう読むか⑰
明治二十八年になると漱石はいよいよ句作を本格化させる。それまで62句しか詠んでいなかったものをいきなり465句も詠む。しかもなかなか達者である。
夜三更僧去て梅の月夜かな
ゆく水の朝な夕なに忙しき
将軍の古塚あれて草の花
解説によればこの将軍の句が新聞に載ったのが九月三日ということなので、明治二十八年も後半からやおら句作に興じたということになる。
花白くまことに梅の月夜かな
店借と
明暗の山と聳えよ雲の峰 夏目漱石の俳句をどう読むか⑯
引き続き明治二十七年の句である。
糸柳ひねもすぶらりぶらり哉
これは
春の海ひねもすのたりのたりかな 蕪村
……の杜撰なパロディ以外の何物でもなかろう。とはいえ何か俳句の風情のようなものを出そうとしていることは解る。こういうのが俳句かなという所を手探りで求めているのであろう。
花に酔ふ事を許さぬ物思ひ
この句もただ失恋の句として流したが、よくよく眺めれば、蕪村の
花に醉
肉のなかに 夏目漱石の『こころ』をどう読むか479
自己の心を捕へんと欲する人々に、人間の心を捕へ得たる此作物を奨む。改めて思えば広告文にはこう書かれていた。それにもかかわらず近代文学1.0の人々は吾賢げに「ディスコミュニケーションの物語だ」と言ってみる。あるいは何故先生は自分がKや奥さんからどう思われているのか考えないのかと不思議がる。
しかし問われているのは二人の語り手による自分の心のありようなのだ。他人の心は永遠に解らない。しかし自分の