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稲妻や野川を渡るあとや先 夏目漱石の俳句をどう読むか22
稲妻やをりをり見ゆる滝の底
漱石の句として最初に「稲妻」が現れるものであるにもかかわらず、この句が一番解らない。
稲妻に行手の見えぬ広野かな
北側を稲妻焼くや黒き雲
稲妻の目にも留らぬ勝負哉
稲妻の砕けて青し海の上
此の下に稲妻起る宵あらん
稲妻に近くて眠り安からず
稲妻に近き住居や病める宵
逆に残りの句は、説明の要のない、さして深みのない、見たままの句に見える。
稲妻に行手の見えぬ広野かな
この「稲妻の光では遠くは見渡せない」というまあまあ納得できる理屈をこねているのに対して、
稲妻やをりをり見ゆる滝の底
この句では「稲妻の光で時々滝の底が見えるよ」と全く理解できない理屈をこねている。滝は泡立っているので、稲妻の光で底が見えることはないだろう。藤村操が華厳の滝に飛び込むのは明治三十六年、この句が読まれたのは明治二十八年。漱石は訳の分からない詩を寺田寅彦に書き送る。
水の底、水の底。住まば水の底。深き契り、深く沈めて、永く住まん、君と我。
黒髮の、長き亂れ。藻屑もつれて、ゆるく漾ふ。夢ならぬ夢の命か。暗からぬ暗きあたり。
うれし水底。清き吾等に、譏り遠く憂透らず。有耶無耶の心ゆらぎて、愛の影ほの見ゆ。
稲妻やをりをり見ゆる滝の底
何かこの句にもそういう得体のしれないところが見えるような気がする。
夕月や野川をわたる人はたれ
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按摩むれて野川をわたるかすみ哉
このアンサーソングのような子規の句は明治三十年に書かれた。しかしこの句はおかしい。
どこが?
![](https://assets.st-note.com/img/1706358727907-cVw1na8POZ.png)
底の深さが解らなければ、溺れかねない。なら按摩さんは? 川の深さを経験的に知っているのならば、渡るのは闇夜でも構わないという理屈になる。つまり子規はかなりのブラックジョーク、現代でいえばジョークでは許されないようなところを攻めて滑稽を狙っていることになる。
こうした問題は整理が必要と思われる。現在の法律や正義や倫理観を過去の作品に押し付けると、いくらでも不謹慎や差別や「人としてどうか」という問題が出てくる。河島英五は夜這いで嫁を得たと語っていた。これは現在では完全にアウトだろう。昔は当たり前だったで何もかもが正当化されるはずもないが、いつのまにか施行されたばかりの法律の概念を八年も前の時代にあてはめるのも乱暴なことではなかろうか。
夕月や野川をわたる人はたれ
とまあそれはそうと、
月涼し馬士馬洗ふ河原哉
……のところでも書き忘れていたが、そもそもなんで夜に馬を洗わなければならないのだろうか。そして夕方に野川を渡る必要はあるのだろうか。さらに言えば夜に河原を見物したり、野川を見物するのは何のためなのであろうか。とつい真面目に考えてしまうが、これらの句はほぼ言葉遊びであり、実景ではなさそうである。
蓑虫のなくや長夜のあけかねて
山口素道の有名な俳文「蓑虫説」は『枕草子』の「八月ばかりになればちゝよちゝよとはかなげに啼く。いみじく哀れなり」という所を踏まえて「声のおぼつかなさをあはれぶ」としている。
みのむしの音を聞きに来よ草の庵 芭蕉
これも現代であれば日本ファクトチェックセンターがデマツイートと見做して攻撃するだろう。蓑虫は鳴くか鳴かないかということでいえば、少なくとも私は聞いたことがない。『枕草子』以前に蓑虫が鳴くと言い始めた記録も見当たらない。
![](https://assets.st-note.com/img/1706430835235-SOw1AF8YhA.png?width=800)
とにもかくにも俳句の世界では蓑虫も蚯蚓も鳴くことになった。
あるいは昔の蓑虫は今の蓑虫とは別の生き物なのかもしれないけれど、蓑虫のあの独特なフォルムから考えても、また蚯蚓までが鳴くとされていることからも、おおよそ言葉遊びが続いた可能性の方が高いのではなかろうか。
蓑虫のなくや長夜のあけかねて
この句も眠れませんの句ではない。
便船や夜を行く雁のあとや先
解説に雁は『漢書』(蘇武伝)にある故事から、便り、手紙の意味を持つ、とある。
言天子射上林中,得雁,足有係帛書,言武等在某澤中。使者大喜,如惠語以讓單于。
こういう時には探しやすいように「蘇武伝」と書くのではなく、目次にある「李廣蘇建傳」と書いてもらいたいものだ。
そして「海上を行く便船も、空を行く雁も、ともに便りを運ぶもの」ともあるが、
びん‐せん【便船】
都合よく出る船。幸便の船。また、それに乗ること。御伽草子、浦島太郎「さる方へ―申して候へば」。日葡辞書「ビンセンスル」。「―を待つ」
便船は郵便船ではなく人が乗るものだ。従ってよくできた雁の故事は漱石が意識していたものかどうかははなはだ怪しい。
まあ船と雁がチェイスしている雅な句とだけ解釈してもいいのではなかろうか。
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