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碪打つクレオパトラの金時計 夏目漱石の俳句をどう読むか⑳

うてや砧これは都の詩人なり

 さっぱりわからない。解説に謡曲『砧』を踏まえるか、とある。

 なるほど。

 夫が恋しくて砧を打つと。

打てばひゞく百戶餘りの砧哉
衣擣つて郞に贈らん小包で
嫁し去つてなれぬ砧に急がしき
碪うつ眞夜中頃に句を得たり
逢ふ戀の打たでやみけり小夜砧
聞かばやと思ふ砧を打ち出しぬ

 実は漱石にはこのように砧の句がいくつもある。そのどれもに漱石が思い描いたストーーリーがあり、背景があると思われる。
 子規にもこれだけ砧の句が有る。

秋風や窓の戸うごくさよ砧
面白う砧をゆるや秋の風
砧よりふしむつかしき鳴子哉
鈴蟲の中によるうつ砧かな
月落ちて灯のあるかたや小夜砧
菅笠にともしをかこふ砧の音
哀れしれと門もとさゝぬ砧かな
一村は家皆うごく砧哉
砧うつ隣に寒きたひね哉
乳のまぬ子は寐入けりさよきぬた
二軒家は二軒とも打つ砧哉
一つ家に泣聲まじる砧哉
よくきけば我家にもうつ砧かな
餘りうたば砧にくえんふじの雪
かるく打つ砧の中のわらひ哉
此頃は旅らしうなる砧かな
二軒家ハ二軒家ともうつ砧哉
一村は女や多き小夜碪
牛馴れて梦驚かぬ砧哉
大江戸や砧を聞かぬ人の数
風吹いて鹿風やんで砧かな
淋しさは裸男の砧かな
三千の遊女に砧うたせばや
寐た牛の鼻先にうつ砧哉
年々に藏の傾く砧哉
ふんどしになる白布を砧哉
星ちるや多摩の里人砧打つ
狼や梺にひくき小夜砧
砧打てばほろほろと星のこぼれける
船かけて明石の砧聞く夜かな
市中や砧打ち絶えて何の聲
市中や砧打ち絶えて夜の聲
砧うつ五條あたりの伏家哉
玉川や夜毎の月に砧打つ
人遅し砧打たうよ更かさうよ
舟に寐よ大津の砧三井の鐘
夕月や砧聞ゆる城の内
よめ入りて餘所の砧ぞ打ちにくき
嵐吹く芒の中や砧打つ
打ちやみつ打ちつ砧に恨あり
遠方の子を思ひ思ひ衣打つ
大家の内庭に打つ砧かな
思ふこと砧に更けて人の影
砧うつうつ月天心に上りけり
狭莚に砧打ちけり庭の月
五年目に歸れば妹が砧かな
小博奕にまけて戻れば砧かな
里の月砧打つべく夜はなりぬ
里の月衣うつべく夜はなりぬ
忍ぶれど砧の音にいでにけり
説教に行かでやもめの砧かな
出しぬけに砧打ち出す隣哉
露ほろりほろり砧の拍子かな
郎いまだ歸らずと打つ砧かな
二處長者の内の砧かな
嫁入の翌を思ひつゝ砧うつ
鎌倉に砧うつ家もなかりけり

 まず漱石の砧の句の内、背景を考えずとも理解できそうなものが、

碪うつ眞夜中頃に句を得たり
聞かばやと思ふ砧を打ち出しぬ

 この二句。どういうわけか碪は夜打つものらしく、除夜の鐘でさえ中止されるこのご時世では考えられないことながら、風情のある音として歓迎されていたらしい。そういうわけで、「砧を打つ夜中に句が浮かんだ」「聞こうとしていた砧が打ち出され始めた」というさして含みのない、出来事をそのまま詠んだ句として捉えることができる。

打てばひゞく百戶餘りの砧哉
衣擣つて郞に贈らん小包で
嫁し去つてなれぬ砧に急がしき
逢ふ戀の打たでやみけり小夜砧

 残りの四つの句には何か背景を足さざるを得ない。

打てばひゞく百戶餘りの砧哉

 まずこの句。子規の、

二軒家は二軒とも打つ砧哉

 と比較すればいくら何でも多すぎるということになろう。そんなに一斉に砧はうたんろと思う。そして団地ならいざ知らず、昔の住まいなら百戶の砧が響いたとして、距離の遠近があり、百軒先の砧の音はさすがに聞こえてはこないだろう。だから誇張の滑稽かと思うが、まあ、あり得ないおとぎ話のような、なかなか鄙びた仮想の世界として眺められなくもない。

衣擣つて郞に贈らん小包で
嫁し去つてなれぬ砧に急がしき

 これも何か物語に仮託したかと思われる句だが、いちいち由来を探しに行くのも面倒だ。単に女の立場になって、嫁が逃げた体で、と浅く捉えてもいいかもしれない。

逢ふ戀の打たでやみけり小夜砧

 これはなんだか色っぽい句だ。漱石のエロ妄想なのか何なのか。しかしこうして並べてみると、砧というものが女性性と固く結びつけられていて、

うてや砧これは都の詩人なり

 この句も都に恋人を残しているかのような詠みっぷりである。しかし明治二十八年の漱石は大塚楠緒子に失恋したばかり、結婚は翌年。東京に待っている人などいなかった。

 しかし漱石の妄想は『坊っちゃん』から『明暗』まで続いていて、どうも大塚楠緒子にふられきっていないようなところもある。この問題はなんとなく大塚楠緒子側にも責任があって、この二人の小説にはかなり大胆に関係をにおわせるようなところがしばしば見られる。

雲の形が色々に変わっていくのを眺めてヘリオトロープが出て來るこの大塚楠緒子の小説は、葡萄色をシンボルカラーにして金時計を持っていてクレオパトラに似ていると言われる主人公・田住鈴音が、倫敦留学帰りのカイゼル髭の博識で美男子、神坂登美郎博士に憧れる話である。

 なんてこともある。男と女の関係は当人同士にしかわからないものだ。そういう意味では、

うてや砧これは都の詩人なり

 このくらいの妄想は許してあげよう。世界中の誰にも愛されていないと思いながら生きることはつらいものだ。


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