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2023年3月の記事一覧
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する128 夏目漱石『道草』をどう読むか④ まだ気が付かないのか
気持でいるのである
パンクブーブーの漫才にボケ役が「行動」に移さず「思い」に留まるというネタがある。突っ込みは「思っただけ?」「しなかったんだ」と突っ込むことになる。
この文章は、そこまでふざけてはいないが、「気持でいるのである」では事実として「自分のする事が山のように積んである」のかどうかが解らない。いや、よくよく読むと「けれども実際からいうと」と「自分のする事が山のように積んである」の
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する127 夏目漱石『道草』をどう読むか③ 太っても細君とはこれいかに
とてもこれだけでは済むまい
再読すれば明らかなとおり、『道草』はこの厄介な相手との関係を金で片付けたように思わせるという大きな粗筋を持っている。大きな縦糸としてはそういうことになる。
この筋というものを捉えることがいかに大切なものかということを「実用文」の権化(?)のような現行日本法規と社会の制度を例にして論じてみたこんな記事があるけど
そもそもこの記事の「粗筋」がなんなのか、理解でき
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する126 夏目漱石『道草』をどう読むか② 勘定してみれば解ることじゃないか
勘定して見れば解ることじゃないか
話者はここで「何年会わなかったろう」と再び惚ける。「東京を出てから何年目になるだろう」も、「何年会わなかったろう」も本来はきちんと勘定して見れば解ることじゃないか、とそろそろ気になってもおかしくはないところ、ここにも岩波は注を付けない。それは「注解に際しては、作品中の出来事を、漱石の年譜上に記される事項に対応させることは避けた」という方針故のことであろう。その
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する125 夏目漱石『道草』をどう読むか① 今無料にしています
これまで『道草』に関してはこの本と、そしてこの記事、
で、ある程度のことは書いて来た。まずはそちらを読んでから、今日以降の記事を読んで貰った方がいい。
私は意外と親切なので、分かりやすくかみ砕いてこんな記事も書いた。
最低でもこのレベルの話が解らないと、これ以降の記事を読んでも「この人は何を書いているのだろう?」ということになってしまうので、ともかく以上三点は読んで貰いたい。上のキンド
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する124 夏目漱石『こころ』をどう読むか501 坊ちゃんはもてる
今回も岩波の注はつかないところ、なかなか注も付けづらいところ、しかもおそらくどの解説でも書かれていないようなこと、それでも言われてみるとそうなのかなという辺りの話を二つ三つ拾ってみたい。
何故かもてる先生
これまで村上春樹と夏目漱石の関係については何度か触れて来た。同じ翻訳者による新訳で、特に英語圏では村上春樹をエバンジェリストとして夏目漱石作品が受容されるという大きな動きがある。とは
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する123 夏目漱石『こころ』をどう読むか500 結婚はいつですか?
結婚はいつですか
岩波の注のないところで、本筋とはあまり関係がないかもしれないが、案外重要であるかもしれない点、しかもこれまで殆ど書いてこなかったことを書いてみる。
例えばここ「結婚はいつですか」というKの問いに奥さんが何と答えたのか。これは書かれていないので推測するよりない。
しかし、
・Kが続けて「何かお祝いを上げたいが、私は金がないから上げる事ができません」と云っていること
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する122 夏目漱石『こころ』をどう読むか499 再読の為の注意点
夏目漱石の『こころ』という作品に関する岩波書店の注釈の根本的な陥穽と云うべきところをまとめておきたい。
・話者「私」の立ち位置が見えていない
先生と出会った当時の「私」は旧制の高等学校の生徒らしいが、その辺りはわざとぼんやり書かれている。計算してみると先生も三十代と案外若いことから、「私」がKの生まれ変わりのように仄めかされているという設定を掴めていない。「私」の全肯定がKの許しでなくては
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する121 夏目漱石『こころ』をどう読むか498 これでおわりではない
その話を誰から聞いたのだろう?
岩波は「渡辺華山」と「邯鄲」に注を付ける。しかしそこではなかろう。問題はその話を誰から聞いたのかということだ。それは静でも下女でも無かろう。近所の人がいきなり「渡辺華山」の話もすまい。
つまり、
このようにまるで世捨て人のように書かれている遺書の外側で、先生には学友らとの人並みの交際が続いていたことが疑われるのだ。そのことは確かにこう書かれていた。
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する120 夏目漱石『こころ』をどう読むか497 偽りなく
あなたの思いはどうでもいい
何か「何が何でも」という漱石論が好きではない。事実は事実、間違いは間違いとして、厳しく指摘すべきではあろうが、自説を信念をもって語るあまり、「何が何でも」になっている人がいる。「こうあるべき」という自身の理想や感覚のためにロジックが犠牲になっている。それなのに「絶対」などと書いてしまっているので恐ろしい。
平たく言えばあなたの思いも私の思いもどうでもいい。
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する119 夏目漱石『こころ』をどう読むか496 まるであれじゃないか
私に取っては容易ならんこの一点
これが何なのかきちんと説明できる人がいるだろうか。「ホモ疑惑」? もうそれはいいって。
そもそも当時の日本では同性愛は「自分で自分を殺すべきだ」といった罪悪感を持つようなタブーではない。この時代感覚を無視して自分の思いこみだけで「解説」してしまうからみっともないことになる。現に今「キム〇は何回くらいやられたのか」「し〇ごはいくらなんでもタチだよな。いや、ママ
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する118 夏目漱石『こころ』をどう読むか495 ゲイの話はもういいだろう
不幸な女だ
大抵の「現代文B」がここを掲載範囲に含めていようことから、当然この「不幸な女だ」という理由も想定問答集に書かれている筈だ。ではどうだろう。
【設問①】
ここで妻が不幸だと言われる理由は何か?
これは考えるまでもなく「夫が頼りないから」ということになるのだろうか?
いえいえ、もう少し具体的に書かないと満点にはならないだろう。
ここは、前の章のここと因縁付て、
い
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する117 夏目漱石『こころ』をどう読むか494 何のために漱石を読むのか
己れを偽っている愚物
もうホモ疑惑の話はいいだろうか。この「己れを偽っている愚物」までも「カミングアウトできない隠れホモ」として読む人がいるので剣呑だ。いやただ「彼らは彼らに自然な立場から私を解釈して掛ります」ということなのだろう。
中高生の素直な感想の中では「別にそんなに気にすることではないのではないか」という意見がKにも先生にも向けられることがある。まずKについては「ショック受けすぎ
岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する116 夏目漱石『こころ』をどう読むか493 そこを流してしまうと
卒然Kに脅やかされる
先生の苦悩をホモ疑惑に押し込み、Kを愛する先生を捏造して、世紀の大発見のようなことを書いている人がいる。しかし理屈が見えていない。
・私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅やかされる
・妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにする
・この一点において彼女を遠ざけたがる
……つまり先生はKと離れたいわけだ。好き好き大好きではない。ではなぜ毎月墓参