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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する126 夏目漱石『道草』をどう読むか② 勘定してみれば解ることじゃないか

勘定して見れば解ることじゃないか

 彼はこの男に何年会わなかったろう。彼がこの男と縁を切ったのは、彼がまだ廿歳になるかならない昔の事であった。それから今日までに十五、六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである。

(夏目漱石『道草』)

 話者はここで「何年会わなかったろう」と再び惚ける。「東京を出てから何年目になるだろう」も、「何年会わなかったろう」も本来はきちんと勘定して見れば解ることじゃないか、とそろそろ気になってもおかしくはないところ、ここにも岩波は注を付けない。それは「注解に際しては、作品中の出来事を、漱石の年譜上に記される事項に対応させることは避けた」という方針故のことであろう。その方針は結構。しかしここで、

・廿歳になるかならない昔
・十五、六年

 として、計算上ニ三年の幅ができるように敢て年齢を曖昧にしている事実は認めてもよいだろう。この時点では健三は三十四歳から三十六歳までのいずれの年齢でもあり得る。話者はその年齢をまだ正確に知らないのだ。あるいは話者は健三の年齢を微妙に誤魔化している。

彼がこの男と縁を切ったのは、彼が廿歳の昔の事であった。それから今日までに十六年の月日が経っているが、その間彼らはついぞ一度も顔を合せた事がなかったのである。

 このように書かれているのがむしろ自然なことではなかろう。しかしこの疑問のかたちでの年のごまかしはこの後怨念のように何度も繰り返される。

隔世の感が起らないとも限らなかった

 彼の位地も境遇もその時分から見るとまるで変っていた。黒い髭を生やして山高帽を被かぶった今の姿と坊主頭の昔の面影とを比べて見ると、自分でさえ隔世の感が起らないとも限らなかった。しかしそれにしては相手の方があまりに変らな過ぎた。彼はどう勘定しても六十五、六であるべきはずのその人の髪の毛が、何故なぜ今でも元の通り黒いのだろうと思って、心のうちで怪しんだ。帽子なしで外出する昔ながらの癖を今でも押通しているその人の特色も、彼には異な気分を与える媒介となった。

(夏目漱石『道草』)



 確かにこれが同一人物とは思えない。いやこれでは少しわざとらしいか。

 これだと少しは面影があろうか。それにしてもやはり顔は変わっている。ここにも岩波は注を付けない。「隔世の感が起らないとも限らなかった」とはなんとも妙な書き方なのである。

 そしてここで健三が気が付いていないロジックがある。それは、

すっかり見かけが変わった健三に相手がすぐに気がついた

 ……ということだ。健三が怪しむほど相手は変わっていなかったので健三が相手に気が付くのは当然ながら、健三の方はすっかり見かけが変わっているのだから、相手には気がつかれなくてもおかしくはない。

 それなのに相手は気がついた。健三はそのロジックに気が付いていないけれど漱石は意図してそのように書いている。そこには養父ながらずっと健三を我が子として育てようとしてきたこの男の「親らしさ」のようなものが微かに匂わされてはいまいか。

 全集別巻でこの男が「何で金ちゃんはあんな事を書くのかねえ」とモデルとしての苦情を述べている。あんなに好き勝手させてやったのにと。金ちゃんに敬語なんか使うはずがないとも。

 漱石の日記を見るとこのモデルと漱石の関係はむしろもっと荒んだものだが、どうも『道草』では全く異なるテイストで描かれている。どうも『道草』は事実そのものではあり得ない。バレバレのモデルが出てくるという意味でこれが自伝的小説だとすると、やはり『吾輩は猫である』も自伝的小説と云うことになる。

立派な服装でもしていてくれれば好い

 彼は固よりその人に出会う事を好まなかった。万一出会ってもその人が自分より立派な服装でもしていてくれれば好いと思っていた。しかし今目前まのあたり見たその人は、あまり裕福な境遇にいるとは誰が見ても決して思えなかった。帽子を被らないのは当人の自由としても、羽織なり着物なりについて判断したところ、どうしても中流以下の活計を営んでいる町家の年寄としか受取れなかった。彼はその人の差していた洋傘が、重そうな毛繻子であった事にまで気が付いていた。

(夏目漱石『道草』)

 岩波はここで「活計」「町家」「毛繻子」に注解をつける。飽くまでも中身には立ち入らないつもりのようだ。

 ここで「その人が自分より立派な服装でもしていてくれれば好い」とはその人の幸福を願うというよりは、「自分に迷惑が掛からないように」「金でもせびられないように」という程度の意味ではあろう。しかしここでは人は暮らし向きを服装で判断されるという程度の甚だしさを指摘すべきであろうか。今でこそIT企業の社長がユニクロを着ていても不思議ではないが、昔は着るものにそこそこお金がかけられていて、見た目で判断されていたようだ。

 と思いつつも、ここには坊主頭だと囚人に見られるという遠い異国の感覚、日本以上に見た目での差別の酷い西洋の感覚が少しは混じっていないものだろうか。

決して口を利かない女であった

 その日彼は家へ帰っても途中で会った男の事を忘れ得なかった。折々は道端へ立ち止まって凝と彼を見送っていたその人の眼付に悩まされた。しかし細君には何にも打ち明けなかった。機嫌のよくない時は、いくら話したい事があっても、細君に話さないのが彼の癖であった。細君も黙っている夫に対しては、用事の外決して口を利かない女であった。

(夏目漱石『道草』)

 無口な女は珍しい。鏡子夫人の暴露本などを読めば、彼女も相当なお喋りに思えるが、漱石の日記などからはまさにこのように夫に対しては案外無口な妻というものが見えてくる。

 これは仲が悪いのかと思えばそんなことはなく、おそらく漱石の言わんとしているのは妻は夫が黙っているので機嫌が悪いことを解っていてわざとちょっかいは出さないという程度にバランスが取れているということなのだろう。

日曜日も学校に出ているのか

 次の日健三はまた同じ時刻に同じ所を通った。その次の日も通った。けれども帽子を被らない男はもうどこからも出て来なかった。彼は器械のようにまた義務のように何時もの道を往ったり来たりした。
 こうした無事の日が五日続いた後、六日目の朝になって帽子を被らない男は突然また根津権現の坂の蔭から現われて健三を脅やかした。それがこの前とほぼ同じ場所で、時間も殆どこの前と違わなかった。

(夏目漱石『道草』)

 最初私は

月曜日 あの男と会う
火曜日
水曜日
木曜日
金曜日
土曜日 あの男と会う
日曜日 お休み

 と間違って勘定していたが「無事の日が五日続いた後、六日目の朝」とあるので、

月曜日 あの男と会う
火曜日 無事①
水曜日 無事②
木曜日 無事③
金曜日 無事④
土曜日 無事⑤
日曜日 あの男と会う

 と、実際にはどの曜日からスタートしていたとしても一週間ぶっ続けで通勤していた勘定になる。ここに何も説明のないのはおかしいだろう。ちゃんとわかっているのだろうか。わかっていないんじゃないかな。どうなのかな。

 無論こういう場合、漱石は意図してこう書いている。これは、歪なパズルのまえふりということなのだろう。

 これは実は「無事の日」の意味が二種類あり、例えば、

水曜日 あの男と会う
木曜日 通勤したが会わなくて無事①
金曜日 通勤したが会わなくて無事②
土曜日 通勤したが会わなくて無事③
日曜日 家にいて無事④
月曜日 通勤したが会わなくて無事⑤
火曜日 あの男と会う

 このように考えれば筋は通る。でなければやはり一週間休みなしで通勤と云うことになる。

 ここで漱石がわざとややこしい書き方をして読者には何事か合図を送っているのは間違いない。気が付かなければ読者ではなくただの眺者である。漱石は試している。読者は試されている。

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[余談]

 

漱石全集


漱石全集

 ほかの作品同様『道草』にもこうした構想がある。記憶をたどるのではなくお話を拵えていることが解る。自伝的小説であれば骨子は記憶で、アドリブで嘘を混ぜれば用が足りる。

 おそらくどんなレベルでも一応自分で創作物を書いている人にはその違いがはっきり解ると思う。

 学者先生には解らないかもしれない。


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