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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する116 夏目漱石『こころ』をどう読むか493 そこを流してしまうと

卒然Kに脅やかされる

 私の亡友に対するこうした感じはいつまでも続きました。実は私も初めからそれを恐れていたのです。年来の希望であった結婚すら、不安のうちに式を挙げたといえばいえない事もないでしょう。しかし自分で自分の先が見えない人間の事ですから、ことによるとあるいはこれが私の心持を一転して新しい生涯に入る端緒になるかも知れないとも思ったのです。ところがいよいよ夫として朝夕妻と顔を合せてみると、私の果敢い希望は手厳しい現実のために脆くも破壊されてしまいました。私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅やかされるのです。つまり妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにするのです。妻のどこにも不足を感じない私は、ただこの一点において彼女を遠ざけたがりました。すると女の胸にはすぐそれが映ります。映るけれども、理由は解らないのです。私は時々妻からなぜそんなに考えているのだとか、何か気に入らない事があるのだろうとかいう詰問を受けました。笑って済ませる時はそれで差支えないのですが、時によると、妻の癇も高じて来ます。しまいには「あなたは私を嫌っていらっしゃるんでしょう」とか、「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」とかいう怨言も聞かなくてはなりません。私はそのたびに苦しみました。

(夏目漱石『こころ』)

 先生の苦悩をホモ疑惑に押し込み、Kを愛する先生を捏造して、世紀の大発見のようなことを書いている人がいる。しかし理屈が見えていない。

・私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅やかされる
・妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにする
・この一点において彼女を遠ざけたがる

 ……つまり先生はKと離れたいわけだ。好き好き大好きではない。ではなぜ毎月墓参りをするのかというと、これが同じ理屈で、そもそも、

・私は妻と顔を合せているうちに、卒然Kに脅やかされる
・妻が中間に立って、Kと私をどこまでも結び付けて離さないようにする

 ……とは先生のトラウマのようなもので、「忘れたいけれど忘れられない」というだけのことなのだ。そしていい意味ではない。墓参りだってうきうきして行くわけではない。仮にKが先生の永遠の恋人ならば、その思い出は甘美なものに変わる筈で、むしろ妻に対して罪悪感がなくてはおかしい。
 まあ、ないものはない。それだけのことなのだが。



何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない 

 
 ここに注が付かないということは、やはり解っていないのだろう。ここは、

「妻が私を誤解するのです。それを誤解だといって聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」
「どんなに先生を誤解なさるんですか」
 先生は私のこの問いに答えようとはしなかった。
妻が考えているような人間なら、私だってこんなに苦しんでいやしない」
 先生がどんなに苦しんでいるか、これも私には想像の及ばない問題であった。

(夏目漱石『こころ』)

 この静の誤解と重ねて読まなくてはならないところ。これも一旦「先生の浮気」を誤解と仮定して、「実はホモだった」と解く人が何人かいて、そんなにホモが好きかと呆れてしまう。
 ここは既に書かれている通り、先生は静には不足を感じていないし、別の女性と浮気もしていないけれど、Kに操を立てている訳ではない。ただその遥か手前でホモ好きな人や注解者は「妻が考えているような人間なら」の二重の意味が汲み取れていないのではないか。「妻が考えているような人間」とは、

・別の女性と浮気している人
・友達思いの優しい人

 であろう。亡くなった友人の墓を建て、毎月墓に参る。その前は下宿代も面倒を見ていた。いかにも友達思いの人だ。「何でも私に隠していらっしゃる事があるに違いない」と妻が言う時には大抵浮気が疑われているものだ。亡くなった友人の墓を建て、毎月墓に参る夫が、まさかKの気持ちを知りながら出し抜くような卑怯な人間だとは思いもしないだろう。

 一応Kは先生に御嬢さんへの愛を告白しているので、先生もKに御嬢さんを愛していることを告白してからお嬢さんにアタックすればフェアになる。そうしなかったので形式的には先生がアンフェアに見えるものの、そもそもKは先生の御嬢さんへの気持ちを知りつつ出し抜いて牽制していたので先生はアンフェアでもなんでもないのだが、そこに最後まで気が付かないのが先生の尊いところである。
 奥さんも明らかにお嬢さんが先生に気があることを承知していて先生の申し出をすぐに受け入れたので本当は先生は卑怯でも何でもないのだが、まあ、ドッキリにひっかかって狡いところが出てしまったという程度にはみっともないものはある。
 そこはやはり隠したくもなるだろう。


純白なものに一雫の印気でも

 私は一層思い切って、ありのままを妻に打ち明けようとした事が何度もあります。しかしいざという間際になると自分以外のある力が不意に来て私を抑え付けるのです。私を理解してくれるあなたの事だから、説明する必要もあるまいと思いますが、話すべき筋だから話しておきます。その時分の私は妻に対して己を飾る気はまるでなかったのです。もし私が亡友に対すると同じような善良な心で、妻の前に懺悔の言葉を並べたなら、妻は嬉し涙をこぼしても私の罪を許してくれたに違いないのです。それをあえてしない私に利害の打算があるはずはありません。私はただ妻の記憶に暗黒な一点を印するに忍びなかったから打ち明けなかったのです。純白なものに一雫の印気でも容赦なく振り掛けるのは、私にとって大変な苦痛だったのだと解釈して下さい。

(夏目漱石『こころ』)

 岩波はここで類似の表現が文学論にあることを指摘する。しかしそこではなかろう。
 或いは極めてホモ好きな誰かはこの「ありのまま」、「懺悔」、「私の罪」、「暗黒な一点」さえホモの告白にしたがる。そんなものを告白されても妻は嬉し涙を流したりはしないだろう。え? と絶句されるだけだ。


私の動かなくなった原因の主なもの

 一年経ってもKを忘れる事のできなかった私の心は常に不安でした。私はこの不安を駆逐するために書物に溺れようと力めました。私は猛烈な勢いをもって勉強し始めたのです。そうしてその結果を世の中に公にする日の来るのを待ちました。けれども無理に目的を拵えて、無理にその目的の達せられる日を待つのは嘘ですから不愉快です。私はどうしても書物のなかに心を埋めていられなくなりました。私はまた腕組みをして世の中を眺めだしたのです。
 妻はそれを今日に困らないから心に弛みが出るのだと観察していたようでした。妻の家にも親子二人ぐらいは坐っていてどうかこうか暮して行ける財産がある上に、私も職業を求めないで差支えのない境遇にいたのですから、そう思われるのももっともです。私も幾分かスポイルされた気味がありましょう。しかし私の動かなくなった原因の主なものは、全くそこにはなかったのです。叔父に欺かれた当時の私は、他の頼みにならない事をつくづくと感じたには相違ありませんが、他を悪く取るだけあって、自分はまだ確かな気がしていました。世間はどうあろうともこの己は立派な人間だという信念がどこかにあったのです。それがKのために美事に破壊されてしまって、自分もあの叔父と同じ人間だと意識した時、私は急にふらふらしました。他に愛想を尽かした私は、自分にも愛想を尽かして動けなくなったのです。

(夏目漱石『こころ』)

 例のホモ好きはこの「私の動かなくなった原因の主なもの」までもホモ疑惑に押し込んでしまう。「世の中を眺めだした」を「男を物色し始めた」と読んでしまう。偉いものだ。それなら電話帳でも楽しく読めるだろう。

 しかしここに書かれていることが解っていない人は余りにも多い。「自分もあの叔父と同じ人間だ」と書いてあるのに、「愛の為に友情を裏切った」と読んでしまう。偉いものだ。

「金さ君。金を見ると、どんな君子でもすぐ悪人になるのさ」

(夏目漱石『こころ』)

 先生が金のためにKを出し抜いたことが見えていない。

 先生は御嬢さんに信仰に近い愛を抱いていた。しかし奥さんに財産を掠め取られるのが嫌で動けなかった。先生は奥さんに御嬢さんを「くれ」とは云うがそこには「愛している」の一言もない。それが「恋は罪悪ですよ」に誤魔化されて見えていない。

 いや百歩譲って先生はノンケだとしてKの方は先生にその気があり、お嬢さんと先生の関係を邪魔しようとして、ありもしない御嬢さんへの気持ちをわざと先生に告白したのだとしたら、その「恋は罪悪ですよ」とも言えよう。その可能性は完全には否定できない。

「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。

(夏目漱石『こころ』)

 しかし「私」もやはりホモではない。先生は「私」を過渡的な同性愛者ではないかと疑っている。しかし恋は罪悪とはただ同性愛者だけに与えられたテーゼではない。いくら金のためとはいえ、信仰に近い愛がなければやはり「下さい、ぜひ下さい」「私の妻としてぜひ下さい」とは言わないだろう。だから「愛の為だけに友情を裏切った」わけではないとして、愛がなければ罪悪も生まれなかっただろう。「恋は罪悪です」という先生の言葉のうちには、何としてもかなえ難い恋の本質的な不可能性の意味が込められている。

[余談]

 とはいえここに大塚保治と大塚楠緒子を代入して眺めてみると、夏目漱石の勝手な理屈が見えてくる。喉突いて死んでやるぞ、裏切り者めと、純白な大塚楠緒子を責めている。お見合いの話があり、それが流れ、小屋保治を婿に貰った後も、大塚楠緒子と夏目漱石の間には他人には解らない関係が続いていた。

 そう気が付いてみると、先生は静を嫁に貰ったとも婿に入ったとも書かれていないことに気が付く。静の苗字も先生の苗字も解らないので、ここも確かに解らない。

 しかしもしも静が先生に嫁いだのなら、韓国ドラマ的には先生の両親の墓参りくらいはするだろう。そこは書かれていない。まあ先生が静の父親の墓参りをしたとも書かれていないので、ここはイーブンか。


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