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岩波書店『定本漱石全集』注解を校正する127 夏目漱石『道草』をどう読むか③  太っても細君とはこれいかに

とてもこれだけでは済むまい

 その時健三は相手の自分に近付くのを意識しつつ、何時もの通り器械のようにまた義務のように歩こうとした。けれども先方の態度は正反対であった。何人をも不安にしなければやまないほどな注意を双眼に集めて彼を凝視した。隙さえあれば彼に近付こうとするその人の心が曇よりした眸のうちにありありと読まれた。出来るだけ容赦なくその傍を通り抜けた健三の胸には変な予覚が起った。
「とてもこれだけでは済むまい」

(夏目漱石『道草』)

 再読すれば明らかなとおり、『道草』はこの厄介な相手との関係を金で片付けたように思わせるという大きな粗筋を持っている。大きな縦糸としてはそういうことになる。

 この筋というものを捉えることがいかに大切なものかということを「実用文」の権化(?)のような現行日本法規と社会の制度を例にして論じてみたこんな記事があるけど

 そもそもこの記事の「粗筋」がなんなのか、理解できている人はいるのかね?

 つまり「粗筋」を捉えて正確に読もう、ということだ。島田を「厄介な相手」にしてしまうのは筋で、筋がなければ意味が生まれない。意味を捉えようとしないと藤尾が毒薬を飲んで自殺してしまうことになってしまう。筋を捉えるということは、例えば「虚栄の市」という言葉が使われたことをはっきり記憶していることでもある。「何人をも不安にしなければやまないほどな注意を双眼に集めて彼を凝視した」と書かれているのは「厄介な相手」なんだろうなと思わせたいからで、実は本当に「厄介な相手」を胡麻化す仕掛けである。

 ここ重要。

 無論『門』との対比において子供が生まれない話と子供が生まれる話として捉えることも可能だし、夏目漱石作品で唯一主人公に子供が生まれる話だと捉えても良いとは思う。それは例えば主人公が父親であるという意味で殆ど『国境の南、太陽の西』が異質なものであり続け、久々に『騎士団長殺し』で子どもは生まれてきたものの、それが妻と浮気相手の子供であるという村上春樹作品と比較してもかなり異質なことではあるかもしれない。

 しかし『道草』の縦糸はこの養父とのいざこざの解消である。そして最後にはある疑惑があり、健三はそのことに気が付かない。「とてもこれだけでは済むまい」とはそのためのふりである。


結婚地が故郷の東京でなかった

 しかしその日家へ帰った時も、彼はついに帽子を被らない男の事を細君に話さずにしまった。
 彼と細君と結婚したのは今から七、八年前で、もうその時分にはこの男との関係がとくの昔に切れていたし、その上結婚地が故郷の東京でなかったので、細君の方ではじかにその人を知るはずがなかった。しかし噂としてだけならあるいは健三自身の口から既に話していたかも知れず、また彼の親類のものから聞いて知っていないとも限らなかった。それはいずれにしても健三にとって問題にはならなかった。

(夏目漱石『道草』)

 これまで「遠い所」「遠い国」「思い懸けない人」と随分ぼんやりした書き方をするなとうすうす気が付いていた初見の人も「結婚地が故郷の東京でなかった」はいいが、それが東京でなければ何処かということくらいは書いたらどうだと思い間占めたのではなかろうか。
 この『道草』には、このようにしてわざと曖昧に書く、という方法が貫かれている。それは既に漱石について何か知っている人間にとっては一々思い当たるような書き方であり、そうでない人、夏目漱石のプロフィールについてほとんど知らない人にとってはかなりぼんやりした表現なのではなかろうか。

 それにしてもこの話者はまた「七、八年前」と暈してくるし、「かも知れず」といい加減なことを言う。ちゃんと調べていないのではないかと呆れる。この作法はずっと続く。

そこには何が書かれていたのか

 ただこの事件に関して今でも時々彼の胸に浮んでくる結婚後の事実が一つあった。五、六年前彼がまだ地方にいる頃、ある日女文字で書いた厚い封書が突然彼の勤め先の机の上へ置かれた。その時彼は変な顔をしてその手紙を読んだ。しかしいくら読んでも読んでも読み切れなかった。半紙廿枚ばかりへ隙間なく細字で書いたものの、五分の一ほど眼を通した後、彼はついにそれを細君の手に渡してしまった。

(夏目漱石『道草』)

 再読してみればよくぞここまで曖昧に書けるなと感心させられるくらい曖昧に書かれている。これでは自然と情報を補いながら読まざるを得ない。あるいは情報を補って読んでも非常に漠としている。そこに何が書いてあったのか、神の視座を持つ話者ならば知っている筈の所、実はこの話者は手紙を五分の一ほどしか読んでいないので何となくしか知らないのではなかろうか。つまりそこには何かが書かれていたが、健三も話者も良くは知らないのではなかろうか。

 なんとここでは「手紙を読まない」というレトリックが使われている!

 そんなやり方があるものかとも思うが、実際具体的には書かれていないので何のことかはわからない。『彼岸過迄』の須永市蔵の手紙や『行人』のHさんの手紙や『こころ』の先生の遺書のようにそのまま開示されないと何が書かれていたのかということは解らないものなのだ。

 そう思えばこれまで生々しくさらけ出されていた手紙の丸写しのようなものがいかに親切なものだったかということが解るし、なんならいささかリアリティに欠く拵えものでもあったことに気が付いてしまう。女文字でなくても本来書簡の文章は言文一致ですらあり得ず、なかなか読みにくいものなのだ。

拜啓、十四日にしめ切ると仰せあるが十四日には六づかしいですよ。十七日が日曜だから十七八日にはなりませう。さう急いでも詩の神が承知しませんからね(曲一句詩人調)。とにかく出來ないですよ。今日から帝文をかきかけたが詩神處ではない天神樣も見放したと見えて少しもかけない。いやになつた。是を此週中にどうあつてもかたづける。夫からあとの一週間で猫をかたづけるんです。いざとなればいや應なしにやつゝけます。何の蚊のと申すのは未だ贅澤を云ふ餘地があるからです。桂月が猫を評して稚氣を免かれず抔と申して居る。恰も自分の方が漱石先生より經驗のある老成人の樣な口調を使ひます。アハヽヽ桂月程稚氣のある安物をかく者は天下にないぢやありませんか。困つた男だ。ある人云ふ、漱石は幻影の盾や薤露行になると余程苦心をするさうだが猫は自由自在に出來るさうだ。夫だから漱石は喜劇が性に合って居るのだと。詩を作る方が手紙をかくより手間のかゝるのは無論ぢやありませんか。虛子君はさう御思ひになりませんか。薤露行抔の一頁は猫の五頁位と同じ勞力がかゝるのは當然です。適不適の論ぢやない。二階を建てるのは驚たきましたね。明治四十八年には三階を建て、五十八年に四階を建てゝ行くと死ぬ迄には餘程建ちます。新宅開きには呼んで下さい。僕先達て赤坂へ出張して寒月君と藝者をあげました。藝者がすきになるには餘程修業が入る。能よりもむづかしい。今後の文章會はひまがあれば行く。もし草稿が出來ん樣なら御免を蒙る。以上頓首。

 これも読んで読めなくはないが『こころ』の先生の遺書や『行人』のHさんの手紙が如何にも作り物であることが比較して見れば明らかだろう。
 それにしても何が書いてあったのか教えないとはすごいやり方だ。


説明する必要があった

 その時の彼には自分宛でこんな長い手紙をかいた女の素性を細君に説明する必要があった。それからその女に関聯して、是非ともこの帽子を被らない男を引合に出す必要もあった。健三はそうした必要にせまられた過去の自分を記憶している。しかし機嫌買いな彼がどの位綿密な程度で細君に説明してやったか、その点になると彼はもう忘れていた。細君は女の事だからまだ判然覚えているだろうが、今の彼にはそんな事を改めて彼女に問い訊して見る気も起らなかった。彼はこの長い手紙を書いた女と、この帽子を被らない男とを一所に並べて考えるのが大嫌いだった。それは彼の不幸な過去を遠くから呼び起す媒介となるからであった。

(夏目漱石『道草』)

 いや、説明する必要があるのに全然説明していないじゃないか。これでは流石に何のことか解らない。どうやら健三には不幸な過去があったらしい。自分の過去を不幸だと思える人は幸せだ。つまりそれはそんな過去と比べればずっとましな現在があるということだからだ。そして最後まで不幸では終わらなかったということだ。
 この遠い過去とはまず「六十五、六であるべきはずのその人」との間に起きた過去であろうことが解る。その男と縁を切ったのは「今日までに十五、六年の月日が経っている」というからそれ以前の因縁だということは解る。では単純にこの男は養父であり、手紙の主はその妻で養母なのではないかとまずは考える。

漱石全集

 しかしどうも「この長い手紙を書いた女と、この帽子を被らない男とを一所に並べて考えるのが大嫌いだった」というところに妙なねじれがある。解ることはそれだけだ。

 まだ作中では「健三」という遠い国から東京に戻ってきた三十四歳から三十六歳くらいの男がいて、六十五、六の帽子を被らない男と因縁があることしか解らない。



 こんなことになってしまう。おそらく漱石は「自分の生い立ちくらい誰でも知っているだろう」とか「自分の生い立ちを知っている読者にだけ解って貰えればいい」としてこんな書き方をしている訳ではなく、このぼんやりした語りの中から何かがぼんやりと浮かび上がり、それが次第に具体的な形になることを狙った筈だ。その証拠に後で書きつけがどんどん出て來る。次第に設定は明らかになる。

 つまりこのぼんやりとした書き方は漱石にしてみれば「なんだろう?」と読者の興味を引き付けるための謎なのだ。

 しかしそのぼんやりとしたふりの間に、既に「この長い手紙を書いた女と、この帽子を被らない男とを一所に並べて考えるのが大嫌いだった」という健三のある思いが吐露されていることも見て行かねばならない。養子でさえ養父の再婚はショックなのかとまで先走らなくともよい。しかしここに一所に並べて考えるのが大嫌いとあることに関しては説明する必要があったのは間違いない。


[余談]

 余談でもないのだけれど岩波は「細君」に注を付け

細君  さいくん。自分の妻を謙遜していう呼び方。この場合は、健三の妻をさす。

(『定本漱石全集 第十巻』岩波書店 2017年)

 としている。いやいや、話者は健三ではないのでこの注解はおかしい。

さい‐くん【細君】 (「細」は小の意。「妻君」と書くのは当て字)
①他人に対して、自分の妻をいう語。
②転じて、他人の妻をいう語。島崎藤村、家「そりやあ君―の有る人と無い人とは違ふからね」

広辞苑

さい-くん [1] 【細君】 〔「妻君」とも当てる〕
(1)ごく軽い敬意をもって,同輩以下の人の妻を指す語。「君の―は京都の人だね」
(2)自分の妻の謙称。「うちの―にも手伝わせよう」 〔もと,前漢の東方朔(トウボウサク)の妻の名。転じて自分の妻,さらに転じて他人の妻を指す〕

大辞林

さい‐くん【細君・妻君】
(1)親しい人に対し、自分の妻をいう語。
(2)同輩以下の人の妻をいう語。「友人の―」「―によろしく」

大辞泉

さいくん【細君】
(1)軽い敬意をもって,同輩または目下の人の妻をさす語。
(2)自分の妻の謙称。(「妻君」とも当てて書く)

新辞林

さい‐くん【細君・妻君】 (「細」は小、小君の意。「妻君」は当て字)
1 他人に対して、自分の妻をいう語。
2 他人の妻。

日本国語大辞典

さいくん【細君・妻君】
〔親しい人に対して〕自分の妻をさすことば。
〔同輩以下の〕他人の妻をさすことば。「A氏の細君」用例(武者小路実篤・菊村到)

学研国語大辞典

さい‐くん【細君(妻君)】  〘名〙
❶ 〔やや古い言い方で〕親しい人に対して自分の妻をいう語。妻さい。
❷ 同輩以下の人の妻をいう語。 「━によろしく」

明鏡

さいくん【細君】
 (一)自分の妻。
(二)他人の妻。〔おもに同輩以下に使う〕

新明解

 漱石の語彙としても「淳平の細君今曉死去」「菅の細君が十日程に御產をした」「〇〇〇〇の細君が金を借りに來る」「菅虎雄の細君死す」「小城の細君の所へ持つて行つて暇乞をする」「あとであの細君はどこから來たときいたら慥か伊東元帥の娘だとか云ふ話であつた」などと他人の細君の意味でも使う。無論日記でただ細君とあれば鏡子夫人のことだ。

「すると、もう細君でも貰はなくちやならないでせう。兄さんの細君が出来ても、矢っ張り今の様にしてゐる積ですか」
「其時に為なつて見なくつちや、自分でも見当が付きませんが、何しろ、どうか為なるだらうと思つてます」

(夏目漱石『それから』)

 作品でも「嫁」という程度に使われている例もある。

※今だけ無料の設定にしています。『道草』をしっとりした自伝的小説だと思っている人、ピンと来ていない人はとりあえず読んでみてください。明日迄かな?

 こういう人本当に多いね。

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