過食症や鬱って 環境変えないと本当に変わらないな

もう寝起きの無茶食いになって10年が経った。
最初は受験勉強と部活がうまくいかないストレスだったと思う。
人付き合いが下手で下手で、言葉選びがもっと下手で嬉しくてもその表現の仕方すらキモかったなと何度思い返しても思う。
でも、ズレてるやつだったから気を使いたくなくなった人たちと何となく話せる雰囲気になった時に恋愛とか一軍っぽくない本当に好きな趣味の会話ができていたのかも(昔一緒にしてたゲームのこととか、マンガのこととか そういうところをきちんと認めて、何だ、自分は自分で話せる時に話せばいいんだ。普段は1人でバスの席も昼休みにつるむ、クセの強すぎない人もいなかったけど、そういう瞬間はあったんだ と思えたら良かったのに ひたすら1人でいることに自意識過剰で、でもそうならざるを得なかったような環境でもあったと思う。いとこで1人でいても友人が認めてくれていたって子もいたけど、その子は親に愛情も金もかけてもらえてて、美人だった。人に顔がよくなくて、ズレてて蔑まれたことなんてなさそうだった。静かに自分に自信ありそうだったしポテンシャルが違う。自分だって美人である程度落ち着いて冷静なら困難になってなかったんだろうな、とか思うけど、自分だから得られたものもあるって今になってやっと認められてきたしな。
でも、私は欠けたところばかり見てしまうから
その欠けたところで〇にたいほど傷を負って遠慮して変にかっこいい人に興味があることすら表に出せないで生きてきたから

そんな私が色々余裕がなくなったのを解消してくれたのは親が代わってくれたことでも、在宅ワークで収入がわずかに出来たことでもなかった

整形だった。
顔が変わること、ダウンタイムで両親から離れて好きなものを買って怯えずに暮らしたこと
これが正解だった

たまにふと空を見上げて、これは世間の不正解だろうが、自分にとって正解なのでは、、と思うことがあった
1回目は高学年あたりで女子たちから浮いて1人になった時、あ、、楽になったと思ったこと
その中でうまくやれていた子が親から反対されていた道を突き通せなくて、クラスで合わせるのに疲れて同じ学校で同じ時期に鬱になっていたこと(私も会社とか、福祉だとか一般的に正しい職には就きたくなかった

あとは、資格だといって頑張っててボロボロになっても留年して取り切ろうとしていた時
あれ、、このお金整形に使ったら楽になれるのでは、、と思った時だ あの時退学して普通のアルバイトも諦めて早々に整形して在宅ワークを探せていたらまた違ったのかと思うけど、お金なくて整形したら野菜とか栄養足りなくなっても困るしなって踏み切れなかったけど、、
軽いものでもしてみたら良かったなって思う

卒業して何年も経ってからとりあえず一番気になるところを整形してみたけど、、すごく変わったよ。
やっぱりもう一つしなきゃ人間の女にすらなれなそうだけど、、それでも鏡で見て異常なほど〇〇だと落ち込むことはなくなった。
そんなランクの人間だったのに、親の価値観に押し込められて進路も何も決められて、人生無駄にしてきた
ここがいちばんの恨みポイントなんだけど、親は散々訴えてきたことを自分は元々そんな意見でしたよーみたいな顔して優しい被り物を被っているから、やなんだよな

親戚の宗教に娘をずぶずぶに沈めて、色々制限させて爆発させた人もいるけど、自分のしたことをなかったかの様にしているんだよな
もちろん彼女自身にも問題、生きづらさは元々あったんだけど、彼女を恨みの塊にして追い込んだのはその特性によるうまくいかなさでもあり、母親であるんだよな
それを兄妹は普通なのに、、って親は自分のしたことを流そうとする
無かったことにして、躁鬱になってくるってしまった子供の行動や性格のアラだけを困った扱いしてくるんだ。
それがふとした瞬間に、憎くてならない。

働いていた時は誤魔化されていたけど、この感情に向き合って、何らかのきっかけで昇華されない限りはこの病が治るきっかけは見つからないのだと思う。
もちろん社会で普通に振る舞うスキルも身につけつつだけどね

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