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「プラーンのマーケット」と3/19〜3/25の日記

お知らせ

2023年2月よりオーストラリア メルボルンへ移住。現在はMBA取得に向けて大学院に通いつつ、Absolute MMAというジムでグラップリング/ブラジリアン柔術の練習に励んでいます。
noteには、メルボルン生活をより充実したものにするため、日々をより意識的に過ごすために毎週ちょっとした文章と数枚の写真とその週の日記を投稿しています。
文章と写真の一部は無料部分、写真の残りと日記を有料部分に設定しています。有料部分は1回200円、1か月の定期購読は600円で設定しています。少しでも面白いものを載せられるように頑張っていきますので、記事が面白いなと思ったり、メルボルンの生活はどんなか気になったと言う方はぜひ、サポートよろしくお願いします。もちろんハートマーク押してもらえるだけでも嬉しいです。

今週は文章と写真を同じテーマでまとめました。
「プラーンのマーケット」
です。

今週の文章「プラーンのマーケット」

Prahran(プラーン)

自分の住んでいるサウスヤラという地域からChapel Streetという通りを15分ほど南下するとPrahranという地域に出る。この地名はプラーランと読みそうで実際にそう読む人もいるようなのだが、トラムなどの放送では「プラーン」と呼んでいる。オーストラリアの地名は難しい読みが多い。

マーケット

Chapel StreetからCommercial Roadという道を曲がって少し歩くとプラーンのマーケットに当たる。メルボルンのマーケットはビクトリア・マーケットやサウスメルボルン・マーケットが有名で、実際それらのマーケットは規模も大きくて観光地のようになっている。プラーンのマーケットはそれらにはとても及ばないこじんまりした規模で10分もあれば全体を歩いて回ることができる。

マーケットの歴史

そんなプラーンのマーケットだが、実はメルボルンで一番古くに成立したマーケットであると言われている。1850年代にゴールドラッシュでメルボルンの人口が一気に増えたころ、プラーン周辺には農家が多く、そこの作物を取引してメルボルンに運ぶための拠点として1864年にマーケットが始まったらしい。ちなみに1864年の日本は幕末の真っ只中で、薩英戦争や下関砲撃事件などが起こっているころ。オーストラリアの歴史の短さと濃さがわかるし、その頃から歴史がスタートしていることが、歴史ある建物が多く残っている理由の一つなのではないかと思う。

その後第二次世界大戦などを経て1960年代にギリシア、イタリアなどからの移民が増えると、プラーン地区はその中心的な地域になり、マーケットにもギリシア系、イタリア系の出店が増えた。これらのお店は今でも営業しており当時の名残を感じることができる。

マーケットにあるお店

マーケットには果物や野菜のほか、各種の肉を売るお店が並んでおり、また海産物も充実している。そのほかにも花屋やキノコが充実したお店、卵が色々売っているお店など一味違ったお店もある。また、食材を売るお店だけでなくケーキやお惣菜、パンなどを売るお店もたくさんある。メルボルンらしくマーケットレーンという有名なカフェも出店しており、並んでいる机で買った料理やコーヒーを楽しむこともできるようになっている。

今週の写真

マーケットの紹介は以上です!以下ではマーケットで撮ってきた写真を掲載しています。今週はたくさん写真を撮ってきたのでいつもより多めに載せています。有料部分にも一部の写真と、今週分の日記を載せています。1回200円でご購入いただけるほか定期購読も可能です!
日記の方にも行ったカフェの写真なども載せてますので興味のある方はサポートよろしくお願いします◎

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