パブロ・ラライン『エマ、愛の罠』規格化された"愛"への反抗と自由への飛翔
圧倒的大傑作。真夜中、街中の信号が一つだけ燃えている。通りの奥に光る信号が青々と光る中、赤々と燃えている信号を背に防火マスクを被った主人公エマが満足そうに歩いてくる。これまで故国チリの近過去(『NO』『トニー・マネロ』)や伝記もの(『ジャッキー』『ネルーダ』)を撮っていたチリの俊英パブロ・ララインはキャリア8本目にして初めて現代を舞台にした映画を撮った。バルパライソの街は光に溢れた魅力的な街として映像化され、躍動感溢れるダンスをバキバキにキマったショットでぶち抜いていくのは流石ララインといったところか。脚本を書きながら撮影し、俳優たちの意見を吸い上げながらキャラを一緒に生きたという本作品は、ララインの思う"映画とは空気とリズム"という信念を堅実に貫いた作品と言っても過言ではないだろう。
物語はコンテンポラリーダンサーのエマとその演出家ガストンの夫婦が養子縁組に"失敗"し、養子としてきていたコロンビア人の少年ポロくんがホームに送り返されてしまうところから始まる。ポロはエマのことが大好きだったが、エマの妹の顔を燃やしてしまったのだ。ソーシャルワーカーは責任が夫婦にあるとぶちギレ、夫婦は互いに責任を押し付けあう。ここにきて、エマとガストンの夫婦は奇妙なまでに互いに対して冷酷で、反面ありえないほど近い距離を保ち続けていることに気が付く。それはエマが離婚を申し出て他の男や女とセックスしたり、ガストンにダンス仲間とのセックスを勧めたり(結局二人のセックス現場に行ってブチギレて女を追い出した後自分でガストンとセックスしている)しても、映画の最後まで夫婦は一緒なのだ。そして、エマは出会った人とは男女問わずセックスしまくる。登場した全員と寝るモンタージュのエロチックな美しさは本作品の中でも群を抜いて幻想的で印象的なシーンだ。中でもバーで出会った消防士のアニバルとエマの実家の美容院にネイルの手入れをしに来た弁護士のラケルの二人は狙って現れたかのように映画に登場し、二人ともエマの情事に組み込まれていく。
エマたちダンサーが踊るのはヒップホップとラテン音楽が融合したレゲトンと呼ばれるジャンルの音楽であり、Nicolas Jaarのスコアは一緒に踊りだしたくなるような心地よいリズムで耳に残る。ララインによると、このレゲトンはモールや道行く車など生活のありとあらゆる場所で鳴り響き"逃げられない"と表現するほどチリではありふれた音楽らしく、エマたちが路地やトラムの駅、屋上、駐車場、バス、教会、果てはロープウェイの中(めっちゃ揺れてる)で踊るのはそういった"ありふれた"ものとしてコンテンポラリーダンスを置きたかったのかもしれない。更に、ダンスカンパニーで踊りの"練習"をするダンサーたちはガストンがストリートから最前線のトレンドをしっかり引っ張って来ていないことを指摘して出ていくという描写がある。ここで、この映画におけるダンスは"練習する芸術"から"新しさと自由"という次元に上り、通りに出て踊ることの意味を付加していく。ちなみに、ジローラモ自身ダンサーだったわけではなく、その点周りのダンサーよりも若干ズレて見えるのが逆にダンスの本当の意味での自由さ、懐の広さを見せているようにも思えた。
そう考えると、冒頭に登場した信号を火炎放射器で焼く描写、そして普段野良のダンサーとともにダンスをしているバスケットコートのゴールや浜辺のゴミ箱を燃やしていく描写も一種の自己解放と読むべきだろう。ダンス仲間と一緒に萌えているゴールを観るシーンがあるため、これが実際の風景なのか心象風景なのかは微妙なところだが、消防士出会うという奇妙な偶然というか皮肉というかも面白い。彼女は火炎放射器を担ぐ体で消防車の上で消火ホースを手にして、空に向かって放水するのだ。いや、お前焼いとったやろ!というツッコミ待ちの名シーン。
ララインは本作品の着想は養子縁組の負の側面である"失敗した養子縁組"に出会ったことであり、当初は60年代を舞台にしていたと語る。しかし、彼は主演女優となるマリアナ・ディ・ジローラモに会ったことで、彼女を中心に映画を組み合える作業を行うことにしたというのだ。こうして舞台は現代のバルパライソとなり、コンテンポラリーダンスを組み入れることになった。チリでの養子縁組は、親側に年齢や年収、他の子供の数やセックスの頻度などの質問に答えるだけで子供が"充てがわれ"て終わってしまうため、ララインは質問に対して一発で答えの出せないカップルを出すことで、理想化されてしまった"養子縁組"に対する真の理解を求めようとしたらしい。しかも、そういうシステムに適合しない里親には、虐待を受けて保護されたなど年齢の高い子供が来ることになり、より問題が複雑化する。ポロもそうなのだろう。マッチで遊んでいたら叔母さんの髪に火が付いちゃうという展開もポロの過去をある種暗示しているのかもしれない。
ポロを失い亀裂の入った夫婦は引き寄せ合いながら離別し、エマは出会った男や女を誘惑してセックスしまくる。しかし、これは決して安易な"自由に生きる女性"としての性の解放ではないのだ。そして映画は、物語が前進と後退を繰り返す中で、エマがポロのことを一秒も忘れていなかったことを示す。彼女は里親としてシステム上の欠陥があろうが、母親になりたかったのだ。そして、偶然にもポロを発見したエマは映画に衝撃的で最高に清々しい終結を与える。ガストン、ポロとともにポロの新しい里親の元に行くと、それはアニバルとラケルの夫婦だった。社会に息子を奪われたエマの復讐であり、ガストンやアニバルとのセックスはポロの兄弟を得るためのものだった。こうして真に自由だった女性エマはポロとその兄弟を手に入れ、大人四人と子供二人の共同生活を始めるのだ(ちなみに種明かしのとき同僚ダンサーはドン引きしている)。珍妙な顔をしているガストン、アニバル、ラケル、そしてポロを背に、新たな家族を抱えて満足気に微笑むエマを祝福しようじゃないか!
※現地レポート
アンゲラ・シャーネレク『I Was Home, But...』を観る予定だったが、劇場が遠かったので面倒になり、前の作品ブリュノ・デュモン『Joan of Arc』と同じ劇場でやっていた本作品に変更したのだが、これが大当たりだったのだ。全く期待せず、あらすじすら知らない状態で観たのが逆に良かったのかもしれない。あまりにも幸せになりすぎて、釜山国際映画祭が終わってもテーマ曲を聴いている状態だ。次の作品に向けてセンタムシティまで移っても幸せだったため、この平和な心が崩れてしまうのではないかと思って次の作品を観たくなくなってきていた。結果的には本作品とは別の方向に恐ろしい力を持った作品であり、私は打ちひしがれながら平和のうちに眠ることが出来た。
・作品データ
原題:Ema
上映時間:102分
監督:Pablo Larraín
公開:2019年9月26日(チリ)
・評価:100点
取り敢えず、これを観て欲しい。このブチ上がり様、最高じゃないか。
・BIFFレポート
① ペドロ・コスタ『ヴィタリナ』闇の世界、止まった時間
② ブリュノ・デュモン『Joan of Arc』天才を殺す凡夫たちへの皮肉
③ パブロ・ラライン『エマ、愛の罠』規格化された"愛"への反抗と自由への飛翔
④ ラジ・リ『レ・ミゼラブル』クリシェを嘲笑う現代の"ジョーカー"
⑤ セリーヌ・シアマ『Portrait of a Lady on Fire』あまりにも圧倒的な愛と平等の物語
⑥ Arden Rod Condez『John Denver Trending』根拠なきSNSリンチに国家権力が加担するエクストリームいじめ映画
⑦ カンテミール・バラゴフ『Beanpole』戦争は女の顔をしていない
⑧ ベルトラン・ボネロ『Zombi Child』社会復帰したゾンビを巡るお伽噺
⑨ ジュスティーヌ・トリエ『愛欲のセラピー』患者を本に書くセラピストって、おい
・ヴェネツィア国際映画祭2019 コンペ選出作品
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