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シャノン・マーフィー『ベイビーティース』最初で最後の恋と家族の再生について

昨年の三大映画祭コンペ部門選出の作品たちを追う企画も終盤に差し掛かり、手に入る作品の中では観たいと思える最後の作品が本作品だった。『ストーリー・オブ・マイライフ / わたしの若草物語』で三女ベス役を演じて世界的に認知されたエリザ・スカンレンの長編&主演デビュー作である本作品は、同時に監督シャノン・マーフィーと脚本家 Rita Kalnejais のデビュー作でもある。マーフィーはオーストラリアの国立ドラマティック・アート研究所(NIDA)を卒業した有名な舞台演出家で、シドニーマガジン誌から"この10年で最も影響力のある卒業生"にも選出されているほどの人物である。後にオーストラリア映画/テレビ/ラジオ学校(AFTRS)に再度入学し、卒業制作短編『Kharisma』はカンヌ映画祭やトロント映画祭を含めた数多くの映画祭で激賞されたという経歴を持つ。長編デビュー作である本作品で世界的に認知され、ヴァラエティ誌は彼女を"2020年に注目すべき10人の監督"に選出されている。ちなみに、香港生まれの二重国籍保有者なので様々な国で仕事できるらしい。

スカンレン演じるミラは難病を抱えていて、セラピストの父親と精神不安定な元ピアニストの母親は娘を心配している。彼女は通学中に偶然であった粗野なジャンキーの青年モーゼスに恋をする、という話。映画は日記の断片を読んでいるかのように、各シーンにその時の感情や状況が一言二言の字幕で説明がなされている。ミラの病気について詳しく明かされることはないが、彼女のモーゼスに対する初恋が病気によって許容されていき、初恋の持つ純粋さや狂気に振り回されていた前半からエピソードを重ねていき、次第に疑似家族を形成しながら全員を癒やしていくのは、毒気を含みながらもコミカルで微笑ましい。この設定を与えられたら普通は別れさせる方向で話が進む、所謂ロミジュリ展開を予想するが、本作品では両親が消極的ながら娘のためを思ってモーゼスの出入りを許可するなど、クリシェを逆手に取った展開も多々見受けられる。

反面、断片的なエピソードからピアノを止めて久しい母親と、彼女の元パートナーからヴァイオリンを習うミラの間には断絶があることや、不安定な母親や娘への心配に疲れた父親が他の女性に手を出しているであろうこと、モーゼスが自身の家族と問題を抱えていることなどが分かるのだが、激しいテンポ感を重視するあまり各エピソードの掘り下げが甘くなっている感じは否めない。ベン・メンデルソーンとエッシー・デイヴィス演じる魅力的な両親、我々を一人の登場人物のように変貌させる Andrew Commis による映像によって辛うじて支えられているものの、テーマを含めた凡庸さは隠しきれていないように思える。

ミラは何度か、カメラを見る。初めてモーゼスを食卓に招き、彼を見送った後。ドレスを着ながら、脇の下にしこりがあることを確認した後。登場人物全員を招いたパーティの直前。これらのシーンは彼女のリアルと幻想の狭間にあるとも考えられ、幻想的なビーチの登場を鑑みても、本作品はミラの妄想を多分に含んでいるのかもしれないと思えてくる。そうなれば、日記的な断片が並んでいるのも正当化できる気もするが、それにしたって90分にはまとめられたはずだ。初監督作品だからこそ許されるパワープレイだったが、二作目以降も注視すべき監督であるのは間違いない。

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・作品データ

原題:Babyteeth
上映時間:120分
監督:Shannon Murphy
製作:2019年(オーストラリア)

・評価:60点

・ヴェネツィア国際映画祭2019 コンペ選出作品

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