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イリヤ・フルジャノフスキー『DAU.』主要登場人物経歴一覧

Ilya Khrzhanovsky(イリヤ・フルジャノフスキー)による狂気の『トゥルーマン・ショー』企画『DAU.』にはのべ1万人を超える演者が実際にレフ・ランダウがいた研究所周辺を完全再現したセットの中に暮らしていたという。公式サイトにはユニバースに重要な人物の経歴が掲載されていたので紹介していこう。名前順に並べており、今後の展開によっては増減があるだろう。全体的に書き方の統一感がないのも、フルジャノフスキー的には"極めてソ連的"という文言を当てはめるのかもしれない。

★Marina Abramović

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・Marina Abramović
解剖学の客員教授。
研究所勤務歴:1956年
→『Degeneration』に登場。

1892年、セルビアのベオグラードに生まれる。
1909年、ベオグラード大学で生物学の研究を始める。
1914年、同大学を卒業し、クロアチアのザグレブ大学で生物学を教え始める。
1920年、Neša Paripovićと結婚する。
1922年、アムステルダム自由大学で生物学の教授職を得る。
1925年、ドイツの物理学者Uwe Laysiepenと出会い、夫と離婚する。この年から9年間に渡って、Uwe Laysiepenと共に9本の論文を発表する。
1934年、アムステルダム自由大学の教授職を退任。中国へ移り住み、北京大学で人間解剖学の講義をする。イデオロギーの相違からUwe Laysiepenとの合同研究を解消する。チベットへの研究旅行に参加し、地元民への神経生理学的特徴を調査する。
1936年、ニューヨーク大学で解剖学の教授職を得る。
1937年、生理学部門で表彰される。
1943年、血液の呼吸機能についての研究でコプリ・メダルを受賞する。
1950年、国際生理学会議の委員となる。
1956年、Dmitry Kaledinの招待で研究所を訪れ、神経生理学関係の実験を行う。

★Alina Alexeeva

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・Alina Alexeeva
実験部門長付きアシスタント。
研究所勤務歴:1966-1968年
→『New Man』『Confornmists』『Degeneration』に登場。

1941年、モスクワで生まれる。父親はモスクワ大学のマルクス・レーニン主義科長、母親はモスクワのオクチャブリスキ地区の一等秘書。学校ではピオネールの代表で、K.V. Molchanova音楽学校を卒業。
1957年、コムソモールに入団。
1958年、レーニン・モスクワ州立教育研究所に入る。
1961年、同研究所の心理学部教授A.N. Leontievのアシスタントに就任。
1964年、研究所実験部門長Alexey Blinovのアシスタントとして研究所に送られる。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Valery Andreev

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・Valery Andreev
用務員。結婚して二人の娘がいる。
研究所勤務歴:1942-1956年
→『Sasha Valera』のみに登場。

1904年、トゥーラに生まれ、セラフィム孤児院で育つ。
1916年、Vanykinskoy病院でチフスの治療をする。回復治療中、戦傷者の医務室で用務員兼アシスタントとして働く。
1925年、左官としての訓練を始める。
1927年、親戚を探してハルキウへ行き、ハルキウ国立医科大学へ入学するもモスクワへ送られる。
1929年、一般人と結婚する。
1942年、研究所で用務員として働き始める。
1956年、窃盗容疑で逮捕される。

★Ekaterina Andreeva

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・Ekaterina Andreeva
ランダウ家のメイド候補。乗馬と読書が趣味。
研究所勤務歴:1956年
→『Three Days』のみに登場。

1934年、モスクワ州クリンの軍人一家に生まれる。
1939年、父親の仕事の関係でハルキウに移り住む。
1941年、母親とともにタシュケントに疎開。子供演劇学校に通い始める。
1951年、モスクワ国際関係大学国際経済学部に入学し、スペイン語と英語を専攻。
1953年、大学を放校処分になり、シュチェプキン高等劇場学校に入学。
1955年、演劇学校を放校処分となり、ピオネールの円舞教師になる。
1956年、ランダウ家の家政婦候補となって研究所にやって来る。

★Vladimir Azhippo

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・Vladimir Azhippo
MGB/KGBのエージェント。後に研究所所長。
研究所勤務歴:1942-1956年
→『New Man』『Regeneration』『The Empire』『Natasha』『Degeneration』に登場。

1898年、Ekaterinoslavsky県で小作農の家に生まれる。
その後、チェーカーの一員として働き、国家安全省の少将となる。
1952年、KGBの尋問官として研究所へとやって来る。
1968年、研究所の所長となる。

★Kristina Babich

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・Kristina Babich
図書館司書。英語を話せる。
研究所勤務歴:1968年
→『Degeneration』のみに登場。

1943年、キエフに生まれる。父親は駐ソ連カナダ大使館のカウンセラー、母親は経済研究所所属。
1958年、コムソモールに入団。
1961年、キエフ土木工学研究所に入学。
1966年、キエフ土木工学研究所を卒業。
1968年、モスクワに到着し、研究所で働き始める。11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Natasha Berezhnaya

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・Natasha Berezhnaya
カフェの店主。
研究所勤務歴:1942-1952年
→『Natasha』のみに登場。

1907年、ハルキウのVolchansky県Rubezhnoye村で誕生。母親はお菓子職人、義父は溶接工。1909年に弟、1917年と1918年にそれぞれ妹が生まれる。
1925年、CETETISのオーディションを受けるためにモスクワへ上京。不合格だったものの、そのままバーテンとして劇場で働くことに。スタニスラフという息子を産む。
1942年、研究所のカフェで働き始める。
1949年、カフェでOlga Shkabarnyaを雇い始める。
1952年、フランスの生物物理学者Luc Bigéと性的関係を結び、秘密警察と協力することになる。同年、敵対スパイ行為の容疑で逮捕。

★Darya Berzhitskaya

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・Darya Berzhitskaya
生化学研究室のジュニア研究員。
研究所勤務歴:1952-1953年
→『Brave People』『String Theory』に登場。

1919年、モスクワで生まれる。
1933年、コムソモールに入団。
1936年、音楽学校をピアノ専攻で卒業。V.M. Molotovモスクワ電力工学研究所の電気部門に入る。
1937年、教師といざこざがあって研修を中断。Andrey Losevと結婚する。
1938年、全ロシア物理学研究所のアシスタントとして雇われる。
1942年、研究所の生化学部門長Y.G. Kotのアシスタントに勧誘される。
1949年、モスクワ大学の物理学科に入学。
1952年、生化学研究室のジュニア研究員に昇進。
1953年、夫とともに研究所を退職。

★Luc Bigé

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・Luc Bigé
生化学者。
研究所勤務歴:1952年
→『Natasha』のみ登場。

1900年、フランスはトゥールに生まれる。
1918年、クレルモンフェランの大学で生物学を学ぶ。
1920年、生物学で学士号を取り、同じ大学の分子生物学、構造生物学などの修士課程へ進む。
1922年、修士課程を卒業し、リヨン・キリスト教大学自然科学学科の修士課程で数理生物学を学ぶ。
1923年、リール農業協会から栄養学について修士号を受け取る。
1924年、リール農業協会で栄養学の博士課程へ進む。システインプロテアーゼ阻害剤について研究を進める。
1927年、生化学の博士号を取得。
1929年、カリフォルニア大学でシステインプロテアーゼ阻害剤の研究に参加する。
1930年、クレルモンフェラン大学の農業-食糧政策部門長に就任。
1932年、占星術とお金にまつわるシンボリズムの研究を開始。
1933年、クレルモンフェラン大学を退職。
1952年、ソ連に到着。研究所の生化学研究室で雇われるも、帝国主義者のスパイとして逮捕される。

★Alexey Blinov

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・Alexey Blinov
実験部門長。
研究所勤務歴:1937-1968
→『New Man』『Brave People』『Confornmists』『Regeneration』『Natasha』『Degeneration』『Katya Tanya』『String Theory』に登場。

1907年、モスクワのエンジニアの家で生まれる。
1925年、医学学校へ進む。同年、Tamara Goponovoyと結婚し、ピョートルという息子が産まれる。
1928年、オランダへ旅行する。Utrehstky大学自然科学科に入学。出した論文のタイトルは"測定と制御技術の機器と設備"。
1931年、Tamara Goponovoyと離婚し、イギリスへ移住する。シェフィールド大学で研究を始める。出した論文のタイトルは"電気的機器の適用法"。
1934年、バーミンガム大学で研究を始める。出した論文のタイトルは"通信と制御技術の現代エレクトロニクスの応用"。
1935年、Elizabeth Titkombと結婚。
1938年、Elizabeth Titkombと離婚。モスクワへ戻る。研究者Anatoly Krupitsaの招待で研究所の実験部門長に就任。
1939年、空間変動研究室のシニアアシスタントIrina Titovaと結婚。
1942年、エネルギーのワイヤレス通信に必要な機器を開発し始め、オルゴンに着目する。
1943年、"エネルギーのワイヤレス通信のある側面"という博士論文を発表。
1952年、一等スターリン賞を受賞。
1956年、Irina Titovaと離婚。
1966年、自身のアシスタントであるAlina Alexeevaと同棲を始める。
1968年11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Alexander Bozhik

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・Alexander Bozhik
用務員。
研究所勤務歴:1952-1956年
→『Sasha Valera』のみに登場。

1933年、ブコヴィナのLukachany村に暮らす農民一家に生まれる。
1940年、北部ブロヴィナがソ連の一部となり、学校へ入学する。
1943年、ナチスドイツによる占領によって学業を中断。
1945年、地区の中央に移り住む。
1949年、学校を卒業し、軍隊へ入隊。モスクワ地区に派遣される。
1952年、研究所で用務員として働き始める。
1956年、窃盗容疑で逮捕される。

★Romeo Castellucci

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・Romeo Castellucci
ボローニャ大学の人類学教授。
研究所勤務歴:1966年
→『Degeneration』のみに登場。

1915年、イタリアのチェゼーナで生まれる。
1933年、ボローニャ大学人類学部に入学。
1937年、卒業後、同大学で文化人類学と民俗学の教鞭を執る。
1945年、イタリア共産党員になる。
1949年、ボローニャ大学で文化人類学と民俗学の教授になる。
1962年、同分野でアヴィニョン大学の教授になる。
1965年、アヴィニョン大学を退職。
1966年、教授として研究所を訪れる。チンパンジーと女性被験者に対して実験を試みる。

★Andrey Chuenkov

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・Andrey Chuenkov
KGB及び閣僚評議会によって送り込まれた特殊実験グループの被験者。17年のウェイトリフティング経験、22年のマーシャルアーツ経験がある。
研究所勤務歴:1968年
→『New Man』『Degeneration』に登場。

1944年、モスクワで生まれる。
1959年、モスクワ経済工学学校に入学。
1964年、同学校を卒業し、KGBに勤務し始める。
1966年、予備役編入を期にモスクワへ移動し、ダイナモ・スポーツ協会でボクシングを教え始める。
1967年、KGBが集めた特殊実験のメンバーに選出される。
1968年、研究所へ送り込まれる。11月8日以降のデータは機密扱い。

★DAU

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・DAU
理論物理部門長(1940-1962年)。
研究所勤務歴:1938-1968年
→『Katya Tanya』『Three Days』『The Empire』『Nora Mother』『Degeneration』『String Theory』に登場。

1905年、コンスタンティノープルの教師と音楽家の家庭に生まれる。
1922年、希土戦争を避けてペトログラードに移り住む。
1923年、Abram Ioffe指導下で、物理技術研究所を卒業。
1925年、論文を発表。
1932年、ベルリン、ロンドン、パリ、プラハ、コペンハーゲンでニールス・ボーアと研究をする。ハルキウの研究所で教授職を得る。
1933年、ノラと知り合う。
1937年、ノラとモスクワへ移り住む。Anatoly Krupitsaと出会い、研究に協力する。
1938年、逮捕される。
1939年、Anatoly Krupitsaの要請で釈放される。
1940年、研究所の理論物理部門長に就任。
1949年、ノラと結婚し、その年の年末に息子デニスが生まれる。
1951年、デンマーク王立科学協会のメンバーに選出される。
1952年、モロトフの極秘プロジェクトの責任者となる。
1953年、ノヴォシビルスクで極秘プロジェクトに参加。
1962年、自動車事故で重傷を負い、長いリハビリ生活に入る。学者生命は事実上終わる。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Denis DAU

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・Denis DAU
ノラとランダウの息子。
研究所勤務歴:1949-1968年
→『Nora Son』『Degeneration』に登場。

1949年、モスクワでノラとランダウの息子として生まれる。子供時代を研究所で過ごし、クリミアの祖母宅にも滞在する。
1966年、モスクワ音楽学校の作曲コースに入学。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Nora DAU

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・Nora DAU
ランダウのパートナー、後に妻(1949-1968年)。
研究所勤務歴:1947-1968年
→『Nora Mother』『Katya Tanya』『Three Days』『Nora Son』『The Empire』『Degeneration』に登場。

1908年、タイピストの母親と音楽学校で働く父親の下に生まれる。
1925年、高校を卒業。ハルキウの国家経済研究所に不合格となり、チョコレート工場で働き始める。
1928年、チョコレート工場のマネージャーであるAlexander Lysenkoと結婚。ハルキウ工業研究所で化学工学を研究し始める。
1930年、Alexander Lysenkoと離婚。
1933年、同研究所を卒業し、パーティでランダウに出会う。
1941年、研究所でランダウと暮らすためにモスクワへ移る。
1949年、ランダウと結婚し、その年の年末に息子デニスが誕生する。
1962年、ランダウが交通事故にあって長いリハビリ生活となり、事実上彼のキャリアが終わる。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Svetlana Dragaeva

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・Svetlana Dragaeva
研究所"A"部門の部門長。
研究所勤務歴:1949-1966年
→『String Theory』のみに登場。

1922年、コムソモールに入団。
1935年、家族とともにポーランドへ移り住む。ポズナン大学の歴史学部に入学。
1939年、ポズナン大学を卒業し、アメリカはオハイオ州コロンビアに家族と移り住む。オハイオ州立大学で英語の勉強を始める。
1942年、オハイオ州立大学で歴史学専攻に切り替える。
1944年、モスクワに戻り、Krzysztof Turowskiと結婚する。
1945年、モスクワ大学で英語を教え始める。
1949年、Krzysztof Turowskiと離婚する。同年、研究所の"A"部門の部門長として採用される。
1952年、"A"部門の士官になる。
1953年、共産党に入党。
1955年、理論部門の学者Nikita Nekrasovを伴ってソルボンヌ大学の国際会議に出席する。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Alexander Efimov

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・Alexander Efimov
数理物理学研究室のジュニア研究員。
研究所勤務歴:1942年
→『Katya Tanya』のみに登場。

1920年、モスクワの公務員一家に生まれる。幼少期から数学の才能を見せる。
1940年、モスクワ大学物理工学科を卒業し、大学院に入学。国立数学研究所のジュニア研究員として働き始める。
1942年、Dmitry Kaledinの指導の下、修士論文を書くために研究所の数理物理学研究室に送られる。同年秋、前線に送られる。
1943年、亡くなる。

★Pavel Gordienko

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・Pavel Gordienko
研究所特別運営部門の部門長。KGBのエージェント。
研究所勤務歴:1952-1968
→『Brave People』のみに登場。

1903年、ハルキウはジェルノフカ村の農民一家に生まれる。
1915年、ハルキウの中学校に入学。
1917年、ハルキウ機関車工場のアシスタントキャスターとして働く。
1920年、コムソモールに入団。ハルキウ国立経済大学の法学部に入学。
1924年、共産党に入党志願。
1925年、共産党に入党。ハルキウ国立経済大学を卒業し、内務人民委員部で働き始める。職務は犯罪捜査。
1941年、前線に招集され、軍事諜報部員として第一ウクライナ戦線で活躍。
1945年、ドイツのロシア占領地へ派遣される。
1947年、ソ連に戻る。女性受刑者のハルキウへの移送を担当する。
1952年、健康上の理由で研究所特別運営部門の部門長に就任。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Dmitry Kaledin

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・Dmitry Kaledin
数理物理学研究室の長。研究所の副所長(1953-1956年)、後に所長(1956-1960年)。
研究所勤務歴:1941-1968年
→『New Man』『Regeneration』『Degeneration』『Katya Tanya』『String Theory』に登場。

1911年、モスクワに生まれる。父親は医者、母親は主婦、妹が一人いる。
1928年、モスクワ大学の物理数学科に入学。
1933年、同学科から卒業。3年間、同大学で純粋数学の研究を進める。
1936年、物理/数学科学科の教授候補になり、Lebedev物理研究所の研究員になる。
1938年、"シンプレクティック多様体におけるジオメトリとトポロジー"で博士論文を提出。
1939年、共産党員になる。
1941年、研究所理論部門の数理物理学研究室の長に就任。
1942年、兵器実験のためにルネッサンス島に三ヶ月滞在する。
1943年、ソ連科学協会の客員メンバーとなる。
1946年、ソ連科学協会のメンバーに昇進。
1953年、研究所副所長となる。一等スターリン賞を受賞。
1954年、カフェの店主Olga Shkabarnyaと結婚。
1956年、研究所所長に昇進。
1960年、ソ連閣僚評議会から所長職を解かれる。数理物理学研究室の長の職は残留。
1965年、レーニン賞を受賞。
1968年11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Anatoly Krupitsa

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・Anatoly Krupitsa
研究所長(1938-1952)。
研究所勤務歴:1938-1952年
→『Regeneration』『The Empire』『Natasha』に登場。

1894年、クロンシュタットに生まれる。
1938年、科学的研究開発のために研究所を設立、初代所長に就任する。
1948年、当局から原子関係のプロジェクトに参加要請を受ける。
1952年、研究所長退職を無理強いされる。

★Andrey Losev

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・Andrey Losev
量子論研究室長。60以上の論文を発表し、海外でも多くの会議に出席。
研究所勤務歴:1942-1953年
→『Brave People』『Katya Tanya』『String Theory』に登場。

1900年、モスクワで生まれる。
1923年、理論物理学専攻で卒業し、量子論と数学の研究を大学院でも続ける。
1926年、博士論文を発表し、レベデフ研究所の研究員となる。
1927年、コペンハーゲンのニールス・ボーア研究所で研究し、レベデフ研究所でシニア研究員の職を得る。
1932年、イェール大学の研究アシスタントとなる。
1942年、研究所の量子論研究室長に就任。
1953年、生化学研究室のジュニア研究員で妻のDarya Berzhitskayaと共に研究所を離れる。

★Maxim Martsinkevich

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・Maxim Martsinkevich
KGB及び閣僚評議会によって送り込まれた特殊実験グループの被験者。
研究所勤務歴:1968年
→『New Man』『Degeneration』に登場。

1941年、モスクワに生まれる。
1955年、建築学と土木工学を研究する。
1959年、クイビシェフ国家建築大学に入学。
1964年、大学を卒業。オスタンキノ・タワーの建設に関わる。
1965年、優生学についての発禁図書を配布したことで反ソビエト扇動の罪で起訴される。
1967年、KGBによる特殊実験のメンバーになり、実験に参加する。
1968年、研究所へ送り込まれる。11月8日以降のデータは機密扱い。

★Maria Nafpliotou

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・Maria Nafpliotou
ランダウの友人。
→『Three Days』のみに登場。

1914年、ギリシャのアテネで生まれる。
1926年、アテネにあるKoula Pratsikaのダンス学校に入学。
1932年、ギリシャ・ダンスカンパニーに入りプロダンサーとして活動を始める。
1936年、オイリュトミー専門の別のダンスカンパニーに入り直す。
1938年、短編映画で銀幕デビュー。
1940年、長編映画で脇役を演じる。ギリシャ国立劇場の演劇クラスで演技の勉強を始める。
1942年、演技クラスを修了し、テレビドラマに出演する。
1943年、ギリシャ国立劇場の演目に出演。
1952年、Rallou ManouのHelleniko Chorodramaに参加。
1956年、ランダウに会うために研究所へとやって来る。

★Nikita Nekrasov

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・Nikita Nekrasov
研究所のシニア研究員。100以上の論文を執筆。妻は化学プラント"アゾト"の責任者Tatiana Pyatinaで、ボリスとリリアという子供がいる。英語とフランス語に堪能。
研究所勤務歴:1947-1968年
→『Brave People』『Katya Tanya』『Nikita Tanya』『String Theory』『Degeneration』に登場。

1915年、モスクワの科学者一家に生まれる。
1932年、学校を第四席で卒業。数学教師B.M. Davidovichの推薦でモスクワ州立大学の数理工学科に試験なしで入学。
1937年、論文"トポロジカル/帯状球体関数の関する理論"を発表。
1938年、採鉱/冶金研究所で非鉄金属に関する研究を開始。
1939年、活動は機密扱い。プリンストン大学物理学科大学院に入学し、デヴィッド・グロスの下で四次元正則関数についての論文を発表。
1941年、活動は機密扱い。プリンストン大学で研究者となる。
1946年、ソ連へ戻る。
1947年、研究者のシニア研究員となる。
1955年、ソルボンヌ大学で開催された国際会議に参加。
1956年、研究所で開催された国際会議に参加。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Tatiana Polozhy

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・Tatiana Polozhy
所内新聞の編集者/ジャーナリスト。
研究所勤務歴:1952-1953年
→『Three Days』のみに登場。

1927年、モスクワの技術者一家に生まれる。
1942年、モスクワ第71高校を卒業し、コムソモールに入団。看護コースを選択し、短期間だけモスクワ病院で看護師として働く。
1945年、娘を生む。
1946年、モスクワ大学の歴史学哲学科に入学。
1951年、優秀な成績で卒業し、大学院でロシア文学史を研究を始める。
1952年、研究所の所内新聞の編集者として採用される。
1953年、4月22日に自殺。

★Zoya Popova

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・Zoya Popova
客員研究員アシスタント(1941-1949年)、実験記録員(1949-1968年)。
研究所勤務歴:1941-1968年
→『String Theory』『Degeneration』に登場。

1921年、サンクトペテルブルクの物理学者の家に生まれる。
1938年、レニングラード州立大学言語学科に入学。
1941年、モスクワの親戚の家に滞在。研究所長Anatoly Krupitsaに客員研究員アシスタントとして招待される。
1943年、モスクワ州立大学で哲学の勉強を続ける。
1945年、共産党員になる。
1947年、モスクワ州立大学哲学部数理論理学科を卒業。
1949年、論文"科学的知識の論理"を発表。同年、研究所の学術評議会の秘書として再雇用される。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Tatiana Pyatina

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・Tatiana Pyatina
Nikita Nekrasovの妻で化学プラント"アゾト"の責任者。ボリスとリリアという子供がいる。
研究所勤務歴:1956年
→『Nikita Tanya』のみに登場。

1911年、モスクワの公務員一家に生まれる。
1928年、メンデレーエフ記念化学工科大学化学科に入学。
1934年、ロシア化学レビュー誌の主任編集者となる。
1941年、モスクワ大学分析化学科を卒業。戦時中はソビエト連邦科学アカデミーの軍需産業部門で研究を進める。
1945年、ノボモスコフスクの化学プラント"アゾト"の責任者に任命される。
1956年、息子ボリスと娘リリアを伴って夫Nikita Nekrasovのいる研究所に移り住む。

★Lydia Shchegoleva

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・Lydia Shchegoleva
ノラの母親。
→『Nora Mother』のみに登場。

1952年、娘ノラと孫デニスに会うために研究所へとやって来る。

★Olga Shkabarnya

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・Olga Shkabarnya
カフェのウェイトレス、後に店主。
研究所勤務歴:1949-1968年
→『Confornmists』『Regeneration』『Natasha』『Degeneration』『Katya Tanya』『String Theory』に登場。

1926年、オムスクの医者の一家に産まれる。
1942年、オムスクの高校(看護学科)を卒業し、戦争終結までモスクワ近郊の軍事病院で働く。
1945年、モスクワの医学学校(1st MOLMI)に入学。
1948年、医学学校を放校処分となる。研究所で兵器開発者M.B.Fichtenholtzに付き添って出席した新年を祝うパーティで、ランダウに出会う。
1949年、カフェにウェイトレスとして雇われる。
1952年、前任者Natasha Berezhnayaの逮捕に伴ってカフェの店主となる。
1954年、研究者Dmitry Kaledinと結婚する。
1960年、カフェを退職して主婦になる。
1968年、研究所の他のスタッフと同様に失踪宣言が出される。11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Maria Shtilmark

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・Maria Shtilmark
通訳。
研究所勤務歴:1952-1968年
→『Confornmists』のみに登場。

1922年、モスクワに生まれる。父はジャーナリスト、母は外国語教師。
1938年、モスクワ第四高校を卒業し、コムソモールに入団。内務人民委員部の特別学校で"西側"言語コースを専攻。
1940年、コースを修了し、翻訳家として働き始める。
1941年、戦時中の記録は機密扱い。
1949年、モスクワ大学哲学科を卒業。
1951年、哲学科で博士論文を提出し、同大学で教鞭を執る。
1952年、研究所の通訳としても働き始める。必要があれば派遣されるという形を採っていた。
1958年、研究所の音響研究室の室長Fyodor Sofronovと結婚し、所内に移り住む。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Viktoria Skitskaya

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・Viktoria Skitskaya
ウェイトレス。英語を流暢に話せる。
研究所勤務歴:1956-1968年
→『New Man』『Degeneration』に登場。

1934年、ノギンスクで生まれる。父親はエンジニア、母親は教師。
1948年、コムソモールに参加。
1949年、コムソモールを終え、国家サーカス学校に入学。
1952年、卒業後、バレエ教師として働き始める。
1954年、レストラン"プラハ"でウェイトレスとして働き始める。
1956年、研究所のバーテンとして働き始める。
1960年、シニア・バーテンに昇進し、カフェの店主となる。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Fyodor Sofronov

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・Fyodor Sofronov
研究所音響研究室の室長。
研究所勤務歴:1949-1968年
→『Confornmists』『Degeneration』『Katya Tanya』に登場。

1913年、サンクトペテルブルクで生まれる。
1930年、高校を卒業しサンクトペテルブルク音楽院に入学。
1934年、サンクトペテルブルク大学の物理学科に入学。
1939年、ソ連化学協会物理学技術研究所の研究者になる。
1941年、戦時中はカザンに疎開。
1949年、ソ連化学協会の提案で研究所に送られる。実験部門の音響研究室の室長となる。
1958年、通訳Maria Shtilmarkと結婚する。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Rabbi Adin Steinsaltz

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・Rabbi Adin Steinsaltz
ラビ。『タルムード』をヘブライ語、英語、ロシア語、スペイン語に翻訳したことで知られる。
研究所勤務歴:1966年
→『Degeneration』『String Theory』に登場。

1892年、エルサレムで生まれる。
1960年、ベエルシェバに実験学校を設立し、プログラムと方法論を教える。
1965年、タルムード出版研究所を設立し、『タルムード』をアラビア語から現代ヘブライ語への翻訳や宗教テクストの解読を始める。
1966年、8月に研究所に招かれて宗教シンポジウムに参加。

★Irina Titova

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・Irina Titova
研究所空間変動研究室のシニア研究員。Alexey Blinovの妻。
研究所勤務歴:1942-1956年
→『Brave People』『Confornmists』に登場。

1912年、サンクトペテルブルクの医者一家に生まれる。
1926年、コムソモールに入団。
1937年、モスクワ大学を卒業。
1938年、研究所空間変動研究室のシニア研究員になる。
1939年、研究所実験部門長Alexey Blinovと結婚する。
1956年、家庭の都合で退職する。

★Alexey Trifonov

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・Alexey Trifonov
総務部長(1952-1960年)、研究所長(1960-1966年)。
研究所勤務歴:1942-1968年
→『Three Days』『Katya Tanya』『Degeneration』に登場。

1910年、サンクトペテルブルクで生まれる。父親はサンクトペテルブルク大学の教授。
1922年、父親とともにチェコスロヴァキアに移り住む。母親はペトログラードに残る。
1928年、プラハのカレル大学法学部に入学。
1929年、プラハのロシア人民大学に入学。
1931年、ロシア人民大学歴史哲学科を卒業。ソ連秘密警察と協力し始める。西欧諸国に関するソ連国家機密プロジェクトに1年参加する。
1934年、"規範化法理論の価値論的理解"という題名の論文をカレル大学から提出し、法学の博士号を取得。
1935年、ベルリン芸術大学で研究を開始。
1936年、研究旅行でフランスを訪れる。スペインで内戦について報告書を作成し、スペイン人の子供たちをソ連に逃がす作戦を計画する。
1938年、ソ連に戻り、Ukhtomskiiが率いていたレニングラード大学の研究所で働き始める。資本主義国での労働者の生活についてのエッセイをいくつか出版する。
1940年、作家協会の一員となる。
1941年、レニングラード包囲戦時に街に残る。戦争のトラウマについての研究に参加。論文"人工エネルギーと優越原理についての変容"を発表。
1942年、総括者Ukhtomskiiの死によってモスクワへ移り、共産党員になる。研究所で働き始め、ノヴォシビルスクにあるランダウの秘密実験室の管理官となる。同年、結婚する。
1943年、息子ヴァシリー誕生。
1944年、娘エレーナ誕生。
1948年、妻を亡くす。
1951年、ノヴォシビルスクでの役目を終える。
1952年、研究所の総務部長に就任し、モロトフの秘密実験に参加する。
1958年、Supreme Deputyに昇進。
1960年、研究所所長に昇進。
1968年、9月9日に所長の座を追い出され、それ以降のデータは見つかっていない。

★Ekaterina Uspina

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・Ekaterina Uspina
図書館司書(1942-1947)、後に図書館長(1951-1953)
研究所勤務歴:1942-1953年。
→『Katya Tanya』『String Theory』に登場。

1926年、クルスクの労働者一家に生まれる。姉が一人いる。
1941年、母親とともにモスクワの親戚の家に逃れる。
1942年、研究所図書館のアシスタントとして伯父Mikhail Naumovich Volfsonの下で働き始める。彼は短い従軍経験の後、図書館長をしていた。
1943年、父Mihkail Yurievich Uspinがクルスクの戦いで亡くなる。
1947年、モスクワ歴史大学の図書館学科に入学。
1951年、大学を修了し、研究所図書館の館長になる。
1953年以降のデータはない。

★Anna Volkova

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・Anna Volkova
ランダウ家の家政婦。
研究所勤務歴:1956-1968年
→『Three Days』『Nora Son』『Degeneration』に登場。

1932年、モスクワのツシノで生まれる。
1946年、コムソモールに入団。
1949年、高校を卒業し、モスクワ森林工学研究所に入る。
1954年、卒業後、生物学科と植物生理学科の掃除婦として勤務。
1956年、Alexey Trifonovの誕生パーティに招待され、ランダウ家で家政婦として働き始める。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Kristina Voloshina

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・Kristina Voloshina
研究所長付秘書。
研究所勤務歴:1966-1968年
→『Degeneration』に登場。

1945年、クレメンチュグで生まれる。父親は民間航空会社パイロット、母親はソ連国家銀行執行役員会の企画/経済部門で働いていた。
1960年、コムソモール入団。
1962年、モスクワの高校を卒業。モスクワ大学法学部に入学。
1966年、所長Alexey Trifonovの秘書として研究所に雇われる。
1967年、商法の大学院に通い始める。
1968年、所長がVladimir Azhippoになっても引き続き所長付秘書を担当する。11月8日以降のデータは見つかっていない。

★Vladimir Yermolenko

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・Vladimir Yermolenko
研究所保安部の副部長。
研究所勤務歴:1952-1968年
→『Brave People』『Katya Tanya』『New Man』に登場。

1898年、ヤルタの漁師一家に生まれる。
1911年、教区の学校を卒業。父が亡くなり、漁師になる。
1917年、内線に巻き込まれる。
1919年、コトフスキーの南方軍集団第12連隊に配属される。
1924年、共産党に入党。ハルキウに移り住み、ハルキウ国立経済大学の法学部に入学。
1927年、合同国家政治保安部の捜査官になる。
1934年、内務人民委員部の刑務所管轄部に雇われる。
1941年、軍に志願する。
1942年、第1ウクライナ戦線の懲罰部隊長となる。
1943年、スメルシに異動。
1945年、ハルキウ捕虜収容所で働き始める。
1952年、モスクワに移り住み、研究所保安部の副部長となる。
1968年、11月8日以降のデータは見つかっていない。

・『DAU.』ユニバース 時間軸と作品群

Ilya Khrzhanovsky『DAU.』主要登場人物経歴一覧
1938-1952年 『DAU. The Empire』
1952年 DAU. Natasha壮大なる企画への入り口
1952年 『DAU. Nora Mother』幸せになってほしいの、少なくとも私より
1952-1953年 DAU. Brave People物理学者も一人の人間に過ぎない
1952-1953年 DAU. Katya Tanya二度失われた初恋について
1953年 DAU. String Theoryひも理論のクズ理論への応用
1956年 DAU. Three Days遠い過去に失われ、戻るのない恋について
1956年 『DAU. Nikita Tanya』多元愛人論は妻に通用するのか?
1966-1968年 『DAU. Degeneration』自由への別れと緩やかな衰退
1968年 DAU. New Man俺は嫌いなんだ、あの堕落した研究者どもが
1968年 DAU. String Theoryひも理論のクズ理論への応用

『DAU. Sasha Valera』
『DAU. Confronmists』
『DAU. Nora Son』
『DAU. Regeneration』


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