イリヤ・フルジャノフスキー&エカテリーナ・エルテリ『DAU. Katya Tanya』二度失われた二つの初恋について
1942年、当時16歳だったエカテリーナ"カーチャ"ウスピナは疎開先モスクワの叔父を頼って、彼が館長を勤める図書館で働き始める。そこは創設間もない研究所であり、彼女はそこで多くの恋を得ることになる。彼女の最初の恋は、カレージン指導下の学生アレクサンドル・エフィモフとのものだった。彼らは夜遅くまでチェスをするなど遊んで過ごし、空襲警戒用のライトが世界を気にしない二人の散歩を優しく包み込む。しかし、その他多くの同年代と同じく戦争に志願したエフィモフが帰ってくることはなかった。彼女はその後一生この失われた恋を引きずって、誰かに"恋"していることで自分を平常に保とうとし、それこそが"幸福"であると思って傷付きながらも全力疾走する。幸福を得るには苦しみや不幸も訪れるから、と言い聞かせながら。その全てが悲惨な結末を迎えると知ってか知らずか。復元/再現不可能な初恋という意味では『Three Days』に似ているが、本作品はより悲惨で救われない。
本作品の主な舞台は、これまでの作品が結集する1952年とその翌年である。この年はDAUユニバースを通じてほぼ全員の主要人物が研究所に揃っている珍しい年でもあり、『Natasha』に登場したフランス人化学者ビジェや『Nora Mother』に登場したノラの母親、『Brave People』に登場した髭ありローセフなど多くの人物を垣間見ることが出来る。DAUユニバースは個々の映画に視点人物を用意することで、一人の共通する人物を多角的な視点から観察することを目的としているように思え、その考えは本作品を観ても変わらない。例えば『Nora Mother』で、ノラはランダウへの恋に思い悩んでいたが、『Three Days』や本作品ではランダウに近寄る女性たちに極めて冷淡かつ攻撃的になり、それでもランダウのナンバーワンを取ろうとする女性として描かれる。ランダウ本人についても『Three Days』では子供のまま成長してしまった可哀想な人として描かれ、本作品では妻を交えて同じベッドで寝ようとするなど猟奇的な側面も見せつける(本当に添い寝だけでセックスまでには至ってないようだ)。このエピソードは象徴的で、どうしても好きな女と寝たいが面倒なノラの機嫌も取りたいランダウと、ランダウのナンバーワンを常に取りに行くノラの性格が表面化し、ランダウのありえない提案をノラが一瞬で了承し、カーチャが受け入れるか賭けまでしようと言い出すのだ。ただ、ユニバースとしてではなく単品として考えた場合、103分しかないのにそこまでランダウに割いて遊んでる余裕はなかったように思える。
エフィモフとの恋が失われてから10年が経ち、知的な女性に成長したカーチャの周りには、彼女との知的な会話を求めて女好きなおっさんたちが群がり始める。しかし、ただ物珍しさ(カーチャはこの前年に研究所に復帰している)に惹かれてセックスまで辿り着こうと躍起になるクズ親父たちとの恋愛は、エフィモフとの初恋を再現するには至らないどころか、その落差の悲惨さからカーチャを傷付け始め、同時に彼との実らぬ恋を希求することを止める。彼女の10年はあっけなく崩壊した。
★以下、多少のネタバレを含む
話は別の新参者であるターニャへと移る。彼女は1952年に所内新聞の編集長に着任した人物で、カーチャと同じく知的な会話をする人でもあった。意外にもノラに気に入られたようで、カレージンとオルガのカップルなど比較的真面目な人々と交流を深めていた。ターニャには幼い娘がいたが、前の夫が新しいなにかを手に入れる度に、古いなにかである自分たち母娘に負い目を感じており、その喪失感がちょうど10年を失ったカーチャと合致したらしい。という見方も出来るが、これはカーチャの一目惚れから始める"二度目の"初恋なのだ。初めて出会えた一目惚れの人に彼女の背景なんか必要なくて、強烈に惹かれて近付いてみたら共通点が多かくて納得、という逆の流れなんだろう。言葉もいらず、我々に対する説明など尚いらず、当然のように二人は惹かれ合う。いや、多少我々に理解する時間をくれてもいいと思うが(ランダウと添い寝した話とか確実に要らないでしょ)。
ここにきて漸く、カーチャは自分を"女"としてではなく"カーチャ"として愛してくれる人間を発見した。傷付かなくても手に入る幸福、傷付いたからこそ分かるその尊さ。だからこそ、エフィモフとの恋をも越えた"初恋"になりうる。
泥に出来た足跡をトンボでならすシーンが頻繁に登場するのは、ささくれたカーチャの心情を象徴しているからだろう。関係が終わって穴だらけの心は、トンボでならしても元通りなんかにはならず、びちゃびちゃの泥水が広がるだけだ。"子供の頃は幸せになれると思ってた"と呟くカーチャの悲痛な叫びは誰にも届くこと無く、再び失われた初恋に対して為す術もなく崩れ落ちる。
・作品データ
原題:DAU. Katya Tanya
上映時間:103分
監督:Jekaterina Oertel, Ilya Khrzhanovsky
製作:2020年(ロシア)
・評価:80点
・『DAU.』ユニバース その他の作品
★ 『DAU.』主要登場人物経歴一覧
1. 『DAU. Natasha』壮大なる企画への入り口
2. 『DAU. Degeneration』自由への別れと緩やかな衰退
3. 『DAU. Nora Mother』幸せになってほしいの、少なくとも私より
4. 『DAU. Three Days』遠い過去に失われ、戻るのない恋について
5. 『DAU. Brave People』物理学者も一人の人間に過ぎない
6. 『DAU. Katya Tanya』二度失われた二つの初恋について
7. 『DAU. New Man』俺は嫌いなんだ、あの堕落した研究者どもが
8. 『DAU. String Theory』ひも理論のクズ理論への応用
9. 『DAU. Nikita Tanya』多元愛人論は妻に通用するのか?
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