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イリヤ・フルジャノフスキー&イリヤ・ペルミャコフ『DAU. 退行』自由との別れと緩やかな衰退

大傑作。DAUユニバース作品は、ベルリン国際映画祭のコンペティション部門に登場した150分の入門編『ナターシャ』の他に、スペシャルスクリーニングとして6時間の本作品もベルリンに上陸していた。しかし、あまりの長さから批評家は嫌煙したようで、現状ほとんど目撃例がない作品になっていた。本作品は1952年を描いた『ナターシャ』とは異なり、その14-16年後である1966-68年の研究所周辺を描いている。あの後、ナターシャは敵対スパイ行為の疑いで逮捕されており、オリガがその後を継いでいたのだが、当時の研究所長カレージンと結婚して引退し、それ以降はヴィクトリアという元バレエ教師が店主になっている。ブリノフは離婚し、自身のアシスタントであるアリーナと同棲している。そして、再び尋問官アジッポが登場する。これが大まかな『ナターシャ』との連続性である。また、抑鬱としていたスターリン時代後期を描いた同作と比べると、フルシチョフ時代を経て西欧文化が流入したソ連を描いており、音楽や家具や服装などに西欧的な自由さを見て取ることができる。しかし、それらもブレジネフ時代によって再び冷え込むように、スターリン時代の体育会系遺物が狂乱する科学者たちを飲み込んでいく。

現実世界のオープンワールドゲームに対する公式の出した正史のような感覚を覚える6時間という超大作は、既に起き上がる気力すら失われたレフ・ランダウの下にコソコソと集う権力者たちと、彼の栄光を夢見て集う若者たちの哀しい対比によって成立している。現在の所長は秘書を愛人にしようと苦心したり、それに留まらず昔好きだったランダウ夫人ノラに言い寄ってみたりとランダウが動けないのをいいことにやりたい放題である。無類の女好きたちは各所に配置され、シニア研究員の老人たち(ブリノフも含む)やコックたちはこぞってパーティの度に何かしらやらかす。まともな大人はオリガの夫で数理物理学者のカレージンくらいしか思い付かない。それに対して学生たちは、ハッパに音楽に長い髪にダンスパーティと西欧文化を積極的に取り入れ、女性職員たちとも遊ぶが決して一線は越え(られ)ない。セクハラ所長は置いといて、それ以外の人々はランダウに守られた研究所の中で自由を謳歌し、全く国家に貢献しないであろう実験(目的はしっかりしているが)に明け暮れている。個々まで来ると楽しそうだ。冒頭で登場したラビによるナレーションでは、この一見意味無さげな実験に対して"数多くの成功は失敗から生まれている"として肯定し、その後の"国益に直結する兵器開発"に科学が悪用されることと対比させている。

しかし、フルシチョフ時代の規制緩和を思わせる自由さにも暗雲が垂れ込め始める。『ナターシャ』でも登場した尋問官アジッポが仲間のエージェントを連れて乗り込んできたのだ。彼らは"ソ連的"でない若者たちを再教育し、ユーベルメンシュ改め"スーパーソルジャー"を作ろうと、ナヨナヨした学生たちの中に愛国マッチョを多数送り込み、酒やパーティを禁止し、違反者に自己批判を迫って追い出していく。こうしてアジッポによる恐怖政治は研究所の小さな世界を少しずつ飲み込んでいき、暴力的な混沌へと様変わりしていく。老人たちは反抗する気力も失われて飼いならされた犬のようになってしまい、学生たちの影も薄くなっていく。題名の『Degeneration』とは、そういった意味での"衰退"を表している。

そして、もう一つの主軸と言えるのがエセ科学である。そもそも冒頭から、犬が吠え立てる真夜中の中庭で、大量の被験者たちがテスラコイルを囲んだベッドに並べられているのだ。彼らの最終的な目的はユーベルメンシュを作り上げることであり、そのために怪しげな人体実験が繰り返される。ある時は透明な箱に入れられたチンパンジーの行動を被験者に繰り返させたり、ある時は大勢で寝転がってフリーセックスまがいの"精神解放"をしてみたりと、暗中模索を繰り返している。そこへやって来るのが愛国マッチョ集団であり、彼らの暴力性とマッチョイズムは、それぞれの自由が重んじられていた研究所地域に不可逆な変化をもたらしていく。

本作品の共同監督イリヤ・ペルミャコフは哲学者という経歴の持ち主らしく、話者の人となりを示す問答が多く含まれる。裏を返せば、関連しない挿話がゴロゴロ転がっているとも取れる。しかも、大量の登場人物がいるのに個々の人物描写は『ナターシャ』よりも薄いので、画面に映っている人物が何者であるかすらよく分からない(私も二回目でようやく全容を掴めた)。ただ、DAUシリーズが一人の共通する人物を多角的な視点で観察することを目的としていることを前提に考えると、本作品はそれらのユニバースを貫く支柱のような作品であり、研究所そのものを主人公として、そこに暮らす人々の行き場を失った巨大な虚無が崩壊していく様を垣間見るという、全体の総括的な作品になっていると言えるだろう。そして、恐らくインスタレーションとして最も映えるであろう企画を映画にするにあたって、我々と彼らが共有する"時間"というものは最も重要な要素となり得るため、本作品の吐くほど長い"6時間"という時間にこそ意味があるのだろうと私は思っている。あの時間だけ我々は研究所にいたことになるのだ。

"共産主義は基本的に宗教と同じだ"とするナレーションはカタコトの英語でその恐ろしい狂信ぶりを描き出していく。そのコンセプトは大好きだが、これ以上同じような映画を量産されても困るのも事実だ。『The Empire』は8時間半あるらしいが、自分が一部の狂信者だけをあてにする宗教になってどうすると。

★以下、結末のネタバレを含む

公式サイトに掲載された経歴を見ると、そのほとんどが1968年11月8日以降の記録を持っていない。そして、ランダウは同年に亡くなる。その二点からも本作品の結末は見ることなく導き出すことができる。"衰退"とは0への漸近ではなく、0とのクロスポイントへ近付いて行く過程だったのだ。私はこの手の人物再登場系と人物アセンブル系に激弱なので、個人史を横断する出来事が発生するのとかは悶えるくらい好きなんだが、正直映画の評価というより私の性癖からの評価という感じで、華麗なる全員殺害エンドの一本締めにやられてしまった。

こうして一つの帝国は拭い去られた。二作目にしていきなりDAUユニバースの終幕である。本来終幕となるはずの物語が、6時間もの長さを以て先頭にくる歪さが、DAUという魔的空間を端的に表しているのかもしれない。

・作品データ

原題:DAU. Degeneratsiya
上映時間:369分
監督:Ilya Khrzhanovsky, Ilya Permyakov
製作:2020年(ロシア)

・評価:90点

・『DAU.』ユニバース その他の作品

★ 『DAU.』主要登場人物経歴一覧
1. DAU. Natasha壮大なる企画への入り口
2. DAU. Degeneration自由への別れと緩やかな衰退
3. DAU. Nora Mother幸せになってほしいの、少なくとも私より
4. DAU. Three Days遠い過去に失われ、戻るのない恋について
5. DAU. Brave People物理学者も一人の人間に過ぎない
6. DAU. Katya Tanya二度失われた二つの初恋について
7. DAU. New Man俺は嫌いなんだ、あの堕落した研究者どもが
8. DAU. String Theoryひも理論のクズ理論への応用
9. DAU.  Nikita Tanya多元愛人論は妻に通用するのか?


本作品は2020年新作ベスト10で8位に選んだ作品です。

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