見出し画像

イリヤ・フルジャノフスキー&エカテリーナ・エルテリ『DAU. ナターシャ』壮大なる企画への入り口

寂しげな歌を歌いながら散らかった食堂の食器を片付けるナターシャ。彼女は1952年のソ連秘密研究施設で食堂を営む女主人だった。レフ・ランダウ(愛称は"ダウ")の半生を中心に、『脳内ニューヨーク』のような巨大なセットと膨大な数のエキストラたちを実際に住まわせて撮影した狂気の実験映画プロジェクト『DAU.』ユニバースの幕開けは、従業員、軍人(警察官?)、研究者、外国からの訪問者が集う食堂で幕を開ける。バルザックやフォークナーのように、人物が再登場することは必至だろうことから、その導入として一番人が集まる場所を選んだのだろうという優しさを垣間見る。『ルーゴン家の繁栄』のような壮大な絵巻の始まりになるのかもしれない。

ナターシャは生意気な若い同僚オーリャと二人で食堂を営んでおり、そこには多くの人々が集っている。"私若いもん"と挑発的なオーリャとの仲は付きつ離れつといった感じで、片付けもせずに帰ろうとするオーリャと掴み合いのガチ喧嘩に発展することもあれば、英語が少しだけ話せるオーリャを介して海外の訪問客とぎこちない会話をすることもある。未婚のナターシャにとって娘/親友/年の離れた妹のような存在であることは想像に難くない。彼女たちの日常は、吐くほど呑みながら、ろれつの回らない罵り合いに発展する"ガールズトーク"にあり、時々刻々と変化する彼女たちのパワーバランスの中で、双方が不満をぶちまける場所を失って、互いを罵り合う他なくなっている姿を写し取る。

彼女たちを見えない形で消費/抑圧する人々は後になって秘密警察という形で登場するが、登場した尋問官は一人でアメとムチを両方担当し、"友達にならないか"と甘い言葉を投げかけながら服を引き裂くなど凶暴にも変化する。そのそれぞれが消費と抑圧に絡んでおり、対比構造も確認できる。実際に、フルジャノフスキーは秘密警察と同じ手段として、色々な場所に隠しカメラを設置していたようで、そういったエピソードも監督パワハラ説を助長している。

物語は、やたら横柄な老人や赤ちゃんを連れた母親などの印象的な客を別の物語の視点人物にもなりうるのだろうと思わせつつ、研究者ブリノフの食卓を中心的に追い始める。恐らくナターシャの想いの人ではあるのだが、彼女は既婚者である彼を遠くから見つめ、客と研究所長の目の板挟みになりながら抑圧された日々を送っている。
※Director=研究所長と訳したが、ランダウの身分である同役職をクルザノフスキーが他のスタッフに呼ばせていたという証言から、椅子を破壊してしまったナターシャがDirectorの存在に怯えているのはその二つの意味を含んでいると捉える方が自然な気がした。

彼女たちが働く研究所での研究シーンが少しだけ登場するが、これがまた滑稽なのだ。小さな鋼鉄製のピラミッドに全裸の被験者を入れ、何かを投入して数値を測っているのだが、客員研究員として登場するフランス人物理学者リュック・ビジェは"オルゴンの要素と一致してるじゃん!"と喜ぶ。オルゴンとはフロイトの一番弟子だったヴィルヘルム・ライヒが発見した"彼にしか見えない"生命エネルギーのことで、彼はこのエセ科学的なエネルギーを追い求めたことで学会を追放されるも、ヒッピー文化の興隆によって再発見され、ドゥシャン・マカヴェイエフ『WR:オルガニズムの神秘』でも紹介されていた(WRというのがヴィルヘルム・ライヒのイニシャル)。ランダウ自身も性に奔放で、一概に事実無根とも言えなそうなところも不思議な気分にさせられる。こういった意味不明な科学の研究は後の『DAU. Degeneration』における巨大な虚無の一角をなしており、崩壊の片鱗が14年前が舞台の本作品にも伺える。

また、本作品の過激な性描写について、総責任者フルジャノフスキーの"極めてソ連的"な不明瞭かつ曖昧な態度、初期に活動を共にしたスタッフの暴露、ナンパ師としての過去などから批判が集まっている。ナターシャとリュックのセックスシーン、ナターシャの拷問シーンは映画のために強要されたことなのか、十分な配慮や事後のケアがあったのか。というか、そもそも例の拷問は必要なのか。断片的な自己弁護や反証としての他スタッフの証言も、DAUという企画にのめり込みすぎた芸術家としてのフルジャノフスキーの尊大な態度を前には霞んでしまうように思える。適切に撮影とケアが行われていたことを願っているが、ソ連を描くにあたって描く側が"ソ連"的になっては本末転倒なのではないか。

今年のベルリン国際映画祭に登場した6時間の『DAU. Degeneration』以降も『DAU. Brave People』『DAU. Nora Mother』『DAU. Three Days』『DAU. New Man』『DAU. Katya Tanya』『DAU. Sasha Valera』『DAU. The Empire』『DAU. String Theory』『DAU. Nikita Tanya』『DAU. Confronmists』『DAU. Nora Son』『DAU. Regeneration』とユニバースは続いていくらしい。ランダウに出会うことはあるのだろうか。ナターシャが『デカローグ』のアルトゥル・バルチシのように、別の作品に本作品とは無関係の場面で登場する可能性を秘めているなど、これから始まる壮大なユニバースの広がりを感じさせるようで一つの映画になっているバランスの良さは感じた。しかし、逆に言えば氷山の一角であることを明示してしまっているような感じがして、少し斜に構えているような気すらした。今後の展開を気にかけつつ、取り敢えず入り口なので様子見。

画像1

・作品データ

原題:DAU. Natasha
上映時間:146分
監督:Jekaterina Oertel, Ilya Khrzhanovsky
製作:2020年(ロシア)

・評価:80点

・『DAU.』ユニバース その他の作品

★ 『DAU.』主要登場人物経歴一覧
1. DAU. Natasha壮大なる企画への入り口
2. DAU. Degeneration自由への別れと緩やかな衰退
3. DAU. Nora Mother幸せになってほしいの、少なくとも私より
4. DAU. Three Days遠い過去に失われ、戻るのない恋について
5. DAU. Brave People物理学者も一人の人間に過ぎない
6. DAU. Katya Tanya二度失われた二つの初恋について
7. DAU. New Man俺は嫌いなんだ、あの堕落した研究者どもが
8. DAU. String Theoryひも理論のクズ理論への応用
9. DAU. Nikita Tanya多元愛人論は妻に通用するのか?

・ベルリン国際映画祭2020 その他の作品

コンペティション部門選出作品
1. マルコ・ドゥトラ&カエターノ・ゴタルド『All the Dead Ones』奴隷制廃止後も生き残る旧時代の価値観
2. ダミアーノ&ファビオ・ディノチェンツォ『悪の寓話』世にも悲しいおとぎ話
3. ブルハン・クルバニ『ベルリン・アレクサンダープラッツ』フランツはまともな人間になりたかった
4. イリヤ・フルジャノフスキー&エカテリーナ・エルテリ『DAU. ナターシャ』壮大なる企画への入り口
5. ツァイ・ミンリャン『日子』流れ行く静かなる日常
6. ブノワ・ドゥレピーヌ&ギュスタヴ・ケルヴェン『デリート・ヒストリー』それではいってみよう!現代社会の闇あるある~♪♪
7. ケリー・ライヒャルト『First Cow』搾取の循環構造と静かなる西部劇
8. ジョルジョ・ディリッティ『私は隠れてしまいたかった』ある画家の生涯
10. リティ・パン『照射されたものたち』自慰行為による戦争被害者記録の蹂躙
11. ヴェロニク・レイモン&ステファニー・シュア『My Little Sister』死にゆく兄と戦う妹
12. エリザ・ヒットマン『17歳の瞳に映る世界』自己決定と選択の物語
13. サリー・ポッター『The Roads Not Taken』ごめんパパ、何言ってるか分からないよ
14. フィリップ・ガレル『The Salt of Tears』優柔不断な男の末路
15. アベル・フェラーラ『Siberia』悪夢と記憶の荒野を征く者
16. モハマド・ラスロフ『悪は存在せず』死刑制度を巡る四つの物語
17. クリスティアン・ペッツォルト『水を抱く女』現代に蘇るウンディーネ伝説
18. ホン・サンス『逃げた女』監督本人が登場しない女性たちの日常会話

エンカウンターズ部門選出作品
1. Camilo Restrepo『Encounters (Los conductos)』髭面ノ怪人、夜道ヲ疾走ス
2. ティム・サットン『Funny Face』地域開発業者、ヴィランになる
3. Victor Kossakovsky『Gunda』豚の家族を追う親密なホームビデオ
5. マリウシュ・ヴィルチンスキ『Kill It and Leave This Town』記憶の中では、全ての愛しい人が生きている
7. クリスティ・プイウ『Malmkrog』六つの場面、五人の貴族、三つの会話
8. Catarina Vasconcelos『The Metamorphosis of Birds』祖父と祖母と"ヒヤシンス"と
9. Melanie Waelde『Naked Animals』ドイツ、ピンぼけした青春劇
10. アレクサンダー・クルーゲ & ケヴィン『Orphea』性別を入れ替えたオルフェウス伝説
12. Pushpendra Singh『The Shepherdess and the Seven Songs』七つの歌で刻まれた伝統と自由への渇望
13. ジョゼフィン・デッカー『Shirley』世界は女性たちに残酷すぎる
14. サンドラ・ヴォルナー『トラブル・ウィズ・ビーイング・ボーン』小児性犯罪擁護的では…
15. C.W.ウィンター&アンダース・エドストローム『仕事と日(塩谷の谷間で)』ある集落の日常と自然の表情

よろしければサポートお願いします!新しく海外版DVDを買う資金にさせていただきます!