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運動神経と運動能力

僕は幼少期、本当にスポーツが苦手だった。


そもそもスポーツは、そのルールの中で相手に勝つために競技へのめり込む必要があるが、幼い頃の僕は

 「いや、別に野球で三振したってどうでもいい。早く帰ってゲームしたい。」

 「いや、バスケのボールをパスされてもドリブルなんて出来ん。早く帰ってゲームしたい。」

と真剣に考えていて、体育の時間なんてさっさと終わればいいと思っていた。


だが、中学に入ると部活動を選択しなければならない。

いや厳密には部活に所属しない選択肢もあるが、僕は、

 「帰宅部はオタクっぽく見られそうやから、何か部活に入らないと。
  でも文化系の部活もオタクっぽく見られそう。
  スポーツの中でも球技は絶望的に苦手やから絶対に無理。
  陸上部やったら走ればいいだけやから出来るかも。」

という、いわば消去法のような理由で陸上部を選んでいた。

結局、中学3年間は陸上部で1,500mを専門種目として続けたものの、練習はサボりまくりで全く真剣に取り組んでいなかった。


高校に入学してからも、僕はそのままの流れで陸上部へ入部した。

しかし、ここで転機が訪れた。


僕にとって練習とは

 「顧問の先生に命令されて嫌々やらされるもの」

という認識だったが、その高校の陸上部では種目毎に分かれて3年生の生徒が自分たちで練習メニューを決めていたのだ。


しかも、その練習メニューには
 「坂ダッシュ 5~8本」
と、本数に幅があった。

どうやらこれは
 「5本で終わってもいいが、8本走ってもいい。」
ということらしいのだが、理由が全くわからない。

わからないまま練習が始まり、中学時代に真剣に取り組んでこなかった僕は坂ダッシュ5本で体力の限界に達していた。


しかし、陸上部の先輩は

 「え、KJは5本で終わっちゃうん!?
  妥協しちゃうん!?
   うわー、本当にそれでいいん!?」

と煽ってくるのだ。

当時、煽り耐性が皆無だった僕は、

 「いや、全然妥協なんてしてないですよ!」

と言い返し、結局8本ダッシュをしていた。


驚いたことに、これが楽しいと感じたのだ。

走ることは心臓もハムストリングスも悲鳴をあげる辛いものだが、やり切った後にはゲームでは得られない爽快感がある。

身体はクタクタでも、練習が終わった後の1日は達成感に満ちているのだ。

こうして、僕は高校では陸上に真剣に取り組むようになり、高校1年の最初の大会では1,500mの記録を30秒も更新することが出来た。
(もともとのタイムが遅すぎたため、結局は大した記録ではないが。)

それがとても嬉しく、3年間楽しみながら陸上へ真剣に取り組み、成績は地区予選止まりだったが体力には自信がついた。


そして、気づけば体力だけでなく、ジャンプ力や瞬発力や柔軟性等の「運動能力」全般も向上していた。

僕は「運動神経」は悪いままだったが、高校3年間で「運動能力」には自信が持てるようになっていたのだ。


こうなると、陸上以外の他のスポーツが、球技を含めて少しずつ楽しくなってきた。

バスケでもサッカーでも、不器用だがコツを掴めるまで自慢の体力で練習し続けると、少しずつ出来るようになってくる。

出来るようになると周囲から褒められるし、その競技の楽しさがわかってきてより没頭するようになるのだ。

とはいえ「運動神経」は低いため、新しい競技に手を出したときのセンスは周囲がドン引きするほど絶望的だが、練習し続けることで人並みぐらいの技術は身に着けられるようになった。

 「練習し続ければ、出来るようになるはずだし、楽しくなる。」
ということがわかり、スポーツを楽しいと思えるようになっていた。


・・・何が言いたいかというと、30歳を過ぎたオジサンですがバスケW杯を見て、とても感動したとしいうことです。

日本代表の皆様、強豪国相手に素晴らしい活躍でした。

パリ五輪出場決定、おめでとうございます。

応援しているので、胸を熱くさせる全力のプレイをパリ五輪で見せてください!!!

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