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私にとって綴ることは

なぜか大切なことらしい。
これといった理由は自分でも分からないけれど、書きたくてうずうずする時がある。
そして誰かが私の書いた文章を読んで、一体なにを思うのか。
すこし、いや、だいぶ、いやちょっとだけ、気になる。
気になるんだけれど、恥ずかしいような恥ずかしいような恥ずかしいような……

実はnoteは以前からアカウントは作ってあった。
創作の物語や、頭に思い浮かぶ言葉を思いつくまま綴った文章などを実はこっそりひっそり投稿していた。
(ほとんどはたいしてスキがつかなかったけれどもね……)

それも長くは続かず(アカウント作っていざ「書こう!」と意気込んだものの、という感じ。スキの少なさは関係ないよ!ほんとだよ!なんだか筆が乗らなかったのさ)、今日の今日まで放置していたのを立ち上げてみた。

そのきっかけがある。
後々、投稿しようと思う。
noteとかいうなんだかよく分からない(私自身よく分かってない)コンテンツ?アプリ?SNS?を使っている人はきっと私のように書くことが好きで読むことが好きだと思う。
そしてなぜ書くことや読むことが好きなのかというと、読書が好きだからだと思う。
だからきっと私の投稿が、noteのユーザーの誰かしらには響くはずだ……
多分。

響かなくとも、コメントがなくとも、スキがなくとも、全体ビューで読んでいただいた痕跡があれば、それだけで私は嬉しいし満足だ。
(でもできれば何かしらのアクションがあればもっと嬉しい。)

ちなみに私は「書く」ってすごくすごく勇気のいる行為だと思っている。勿論、人によるとは思うが、私の中ではある種の自傷行為だとも思っている。

私は読書が好きで小学生の頃から今も暇あれば本を読む生き方をしているのだけれども、そういう生活をしていたある日、ふと、「作家って怖い」と身震いしたことがあった。
高校生の頃だったと思う。中学生で現代小説を読んでいて、高校生で近代文学にはまって三島由紀夫や太宰治、夏目漱石などを読んでいたのだけれど、近代文学は私小説が多いので、自分の絶対的な思想を「書く」ことで見つけ出したり他人にぶつけたり、自分の大切にしている価値観を言葉と文字で作り上げ表現したりしていることに、「彼らは自分の身を削って書いているのだ」「芸能人よりも、我が身を売り物にしている」と感じた。
自分の腹の中を言葉に、しかも形として残ってしまう文字にしてしまうというのは、親に取り返しのつかないことを言ってしまったとか、恋人の地雷を踏んだとかよりもやってしまった感があると思う。
物語や創作は少し間接的にできるけれど、思っていることや主張をコンテンツに書いている人はダイレクトに自分の思考(思考には自分がなぜその考え方に至ったのか、なぜその価値観を持つようになったのか、その人の生き様や経験などで構成されるからよもや人生のようなものだと私は思う)を文字にしているのだから、たまらない。

そうやって、丸出しの自分を文字にしたものを他人の目に触れさせるのだから、反応は欲しい。
私は自分がそうして書いたものが誰かの頭に残ればそれでいいと思っている。だから全体ビューだけでも嬉しいのだ。読んでくれた人に私の言葉が残ればいい、あわよくば霧のようにしばらく胸底に溜まってくれたらいい。
それを当人がどうにか晴らして、その晴らした時の当人の考えが聞けたらな、と思うけれどもそれはなかなか難しいことだと思っている。
晴れた時の光は、私と読んでくれたその人の思考(人生)が混ざってできたひとつの思想や価値観や感情だと思うから。

改めまして、ハ月と申します。
どうぞよろしく。

ちなみにプリンは最近食べたものです。
おいしかったです、真夜中プリン。

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