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【短編】僕の自由は袋小路の中にある

いつもこの時間になると道を見ている。
袋小路に座った僕は、右から左、左から右へと流れていく人を見ながら、この時間を過ごしている。眺めているのが珍しいのか、大抵の人がこちらを見ていく。じっと観るだけの人や睨む人もいるが、それ以外が圧倒的に多い。最近は顔を布のようなもので覆っているけれどわかる。あの目の形は笑顔だ。

そんな笑顔を受けながら、僕は目を合わせることなくすました顔でそこにいる。通りすがる人は大勢で、僕はひとり。全員に声をかけるわけにも、愛想を振りまくわけにもいかない。そういうことをするのは、世話をしてくれる人だけに決めている。こちらを見ているだけの人間に、そこまでしてやる必要はない。けど、「今日も頑張ってこいよ」くらいは願ってやる。愛想を振りまくようなことはしないけど、性格が悪いわけじゃないからね。

時々近づいてくる生意気な”ヨソモノ”もいる。
その時は少し離れたところで座ってまず様子をみる。じっと見つめ合うと、案外どんな人かはわかる。ただ撫でたいのか、四角い板をこちらに向けて”シャシン”というものを撮りたいのか、それとも何かくれようとしてるのか。時々捕まえたり、蹴ろうとするヨソモノもいるから注意しないといけない。少し前に、隣の縄張りのやつが捕まえられて、それっきり帰ってこない。僕もそうならないために、見極めが肝心だ。連れていかれるのはまだしも、僕が怪我したら世話をする人が困るだろうから、ヨソモノにとは慎重に距離を詰めると決めている。


僕は飼われていないが、世話をしてくれる人がいる。
ごはんをくれたり、家の前に座っていても怒らないで撫でてくれるからそういうことにしている。寒い夜は玄関に入れてもらうこともあるけれど、そこまでの関係だ。それより奥には入らない。僕は誰のものにもなりたくない。でも、ごはんはないと困るから、それなりに人付き合いをしている。つかずはなれず、構われすぎず、忘れられず。
自由な暮らしというのは、愛されすぎちゃいけない。でないと家に閉じ込められて、道で人を眺めることもできなくなってしまう。それは少しつまらない。誰のものにもならないから、僕はここにいられるのだ。


最近、男女がよく撫でにくる。
少し前のたまたま寒い日に少し寂しくなって撫でられてあげたら、それ以来懲りずに度々くるようになった。撫でられ心地は悪くない。きっと他のヤツで練習をしてきたんだろう。
「この子をうちの子にしたいな」なんて女が言う。
またか。気に入り過ぎるとすぐこれだ。自分のものにしたくなるのは、人間の悪いクセだ。僕の方が小さくても、僕は僕の生き方があるのに。言葉が通じないからって気持ちを無視するなんて、勝手だと思う。

「毛並みが綺麗だから近所で飼われてるんじゃない?」と男が言う。僕は誰にも飼われてない。毛並みは僕が毎日欠かさず毛づくろいしているからだ。
僕を見ると飼われているかどうかを確認することにも疑問がある。飼われないで生きている生き物なんて僕以外にもたくさんいるはずだ。向こうの電線に止まるカラスは、誰かに飼われているか?きっとそんなことはないはずだ。僕がこの形だから、飼われないと生きていけないと思われている。そう思うと、少し悔しくなった。


男は名残惜しそうに見下ろしてくる女を連れ、僕の前を去っていった。
僕はほっとした。やっと自由になれた。少し疲れた僕が袋小路のど真ん中で丸くなって休んでいると、道脇に立つ家から年寄りの男が出てきた。「今日はになたぼっこ日和だな」そう言って男は屈んで僕をぽんぽんと撫でる。さっきの女よりは撫で方が雑だけれど、媚びてこない感じが安心する。目を細めているとその男はあっさりと体を起こし、俺に背を向けて庭木の手入れを始める。

パチ、パチというはさみの音を聞きながらうとうとしていると、男の家の向かいにある家からも女が出てきて僕に気づく。ドアの脇に置かれたご飯を指さして「置いとくから食べてね」とだけ言って、何処かへ行ってしまった。


なんて心地いいんだろう。


朝よりも減った右から左、左から右へ歩く人の視線を感じながら、僕は目を閉じる。近くに足音を感じたら起きれるように耳を前へ向けて眠ることにする。


僕の住む場所はこの袋小路。飼い主はいないけれど世話をする人はいて、付かず離れず過ごしている。これは飼われているのと同じだと知り合いに言われたことがある。けど僕にはそのつもりがないし、世話する方もそのつもりはなさそうだ。そこがここのいいところだ。


僕の自由はこの袋小路の中にある。

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