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【連載】独裁者の統治する海辺の町にて

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過疎の漁師町がある政治結社組織に統治された。否応なく組織に組み込まれた中橋康雄は少女凛子と組んで親友の神学者登坂士郎を殺害する。組織の統治支配の恐怖のなかで康雄と凛子はどうなるの…
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2023年1月の記事一覧

独裁者の統治する海辺の町にて(1)

独裁者の統治する海辺の町にて(1)

(1)
その町の小高い丘の稜線には熱病にかかったように造営された城壁が連なり、海側の先端に質素な二階建ての教会が見えた。ほんの5年ほど前まで、町民は日曜になると中世ヨーロッパを思わせる石畳の坂道を上り、この教会に集っていた。海風は急勾配の坂道を通って空へ抜けていく。そのため石畳には潮の匂いが染みついていた。わけてもその日は前日の雨のせいで坂道の匂いが濃く、生臭くさえ感じられた。その石畳の上に血が飛

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独裁者の統治する海辺の町にて(2)

独裁者の統治する海辺の町にて(2)

次の朝は、ひどい暑さだった。柱の温度計をみると、10時だというのにもう体温よりも高くなっていた。おまけに、凛子とわかれたあとに寄った「レッドヒール」でウォッカをジン割で飲んだせいで、こめかみがうずいた。それに、そこにたむろしていた護岸工事の労務者とやりあったせいで、目の下に青あざができている。

全く、昨日の始末の後味の悪さったらない。なにが、正義の粛正だ。これでおれは唯一の友人を失った。もう、心

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独裁者の統治する海辺の町にて(3)

独裁者の統治する海辺の町にて(3)

あいつらの目指しているのも・・・
 その後に登坂が言おうとしたことは、ざっといえば以下のようなことだったろう。

「あいつらの目指しているのも完全無欠な権力構造をもった支配体制以外のなにものでもない。原始共産制を目指すというのはスローガンさ、自分たちの蛮行を正当化するための方便なのだ。それに私有財産を没収するのにこれほど有効な大義はない」 

登坂によれば「原始共産制社会」は人類史上、一度も存在し

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独裁者の統治する海辺の町にて(4)

独裁者の統治する海辺の町にて(4)

凛子はおれのアパートに入るとすぐに下着だけになった。そして、
「あーおなかペコ、ペコ」
 というとそのまま冷蔵庫の所へ行き、コーラとおれが非常食用にとっていたチーズとチキンのもも肉の燻製をとりだし、ベッドの上であぐらを組んで野良猫のように食いを始めた。

「何も食ってないのか」
あまりのガッツき方に、おれはあきれて聞いた。
「うん」
凛子は食いながらうなずいた。おれはむかついた。
「金はやっただろ

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独裁者の統治する海辺の町にて(5)

独裁者の統治する海辺の町にて(5)

組織が教会を調べているということは、登坂を抹殺させたのは反組織的思想に理由があったわけではないということか。いや、それもあったかもしれないが、それよりもほかになにか。

おれは、そこまで考えて、ひとつのことを思い出した。

2年前の5月だった。登坂神父の告別式が終わり、教会を出たところで登坂に呼び止められた。そして、自分になにかあったら、澤地久枝と会ってくれと言って、薔薇畑の方に目を向けた。彼女は

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独裁者の統治する海辺の町にて(6)

独裁者の統治する海辺の町にて(6)

おれは単車を飛ばして教会に向かった。
正直、むかついていた。凛子がおれの言いつけを破ったこともあるが、それは織り込みずみのことだ。このときのおれむかつきは、母親と澤地久枝に士郎の殺害に自分が関与していることを伏せて報告した己の卑劣さに向かっていた。いや、いま思えばそれは、そうせざるをえなかった自分の状況に対してであったかもしれない。

母はおれが党に入ったことを知らない。彼女が入院したのは2年前の

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独裁者の統治する海辺の町にて(7)

独裁者の統治する海辺の町にて(7)

おれは、教会に隣接した木造洋館に入った。士郎の部屋は二階にあった。そこから見る海は碧かった。まるでエーゲ海のようだ、おれはこの部屋の開け放した窓から湾を眺めるたびにそう思ったものだ。

書架の本は思ったとおり持ち去られていた。おれは窓のそばにある机の抽斗を開けた。双眼鏡はやはりなかった。士郎はその双眼鏡でここから5月の鯨が打ち上げられた事件の一部始終を見ていた。

鯨が打ち上げられた噂は町にはひろ

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