今日、クローゼットで着替えをしていたら、廊下から部屋を覗いていた息子が突然誰にも言わんでよと言って、唐突に最上級の愛の言葉を私にくれた。 覚えがある。ママが好きで好きで大好きで、ママがいなくなったら、ママがママじゃなかったら、ママがもし死んでしまったらって考えて毎日眠れなかったのは、ちょうど長男と同じくらいの年頃だったと思う。人は一番好きな人と結婚すると言うのなら、私はママと結婚する以外考えられない。ママと一緒に暮らさなくなる日なんて絶対に来ないと思うし、こんなに好きな
仕事から帰って遅いお昼を食べ、次男のオムツを替えて、ほんの少しだけ本を読んだ(石井衣良のスローグッドバイ)。お向かいに回覧板を持っていき、次男と一緒に強い風の中たくさんのシャボン玉を飛ばした。やわな筈の虹色の球体が風速のまま舞い上がる様子は思いの外力強くて、割れずに高く高くへと登ったあと青い空に透けていったのだった。9月になった途端、空はきちんと9月模様へ着替えるのだからと感心した。夕飯の支度は冷凍していた手羽中を解凍しながら「天ぷら揚げようかな」と思いつき、Spotify
夏休みが終わった。息子たちの背が、一段と伸びた気がする。特に長男は、新学期に持たせた上靴をその日また持って帰ってきて「入らなかった」と言った。19センチの上靴は、もう彼の足には小さかった。 どうも、姪っ子のようだ。そうだろうと思っていた。そうであったらいいなとも思っていた。そうでなくたって、とももちろん思っていたが。 旅行3日目の朝、夫の言動が私の逆鱗に触れた。家族の前で、増して楽しい旅行中とあって喧嘩するわけにいかないと私のなけなしの理性が叫んだために、ムシャクシ
蚊に刺されて元気をなくした長男を前に、ムヒも冷たい氷も爪でつけるバッテン印も無力だ。何度触らないように言っても「蚊に刺されがいやだあ〜〜」と苛立ちながらそこを、触り掻いてしまう長男の気をなんとか紛らわしたくて、赤く立派に膨らんできたその虫刺され跡に、思いつきボールペンで簡単な顔を描いたのだった。 てん、てん、と目を描き、ぴー、と口を描く。 ぷっくり腫れた長男の虫刺されが、私に向かってにこりとかわいく笑った。 4箇所も5箇所も刺されていたから、手足のあちこちに小さなス
【2022年4月にさらけだすZINEピクニックvol2で制作販売したZINEの本文です】 夫婦喧嘩をした。我が家は普段多少の揉め事はその場の会話で収めていたので喧嘩になることが少なくて、感情的な言い合いになったのは久しぶりのことだった。 意見の違いというよりも、お互いストレスが溜まっていた結果余裕がなかったことが原因で、どちらかというとイライラしてたのは私の方だった。夫とは関係ないことや夫と関係あること、珍しく色んなタスクが私の中で積み重なっていて、頭でぐるぐる巡っては
2023年1月1日、私は出来もしない逆上がりに挑んだ。2度、思い切って握る鉄棒を引き寄せて、足を思い切り空の方へと蹴り上げた。つもりだったが、案の定私の肘は私の49キロにあっけなく伸び、ただ地面にどべちんどべちん、と情けなく重そうな足の落ちる音が響いただけだった。夫は笑って「腕の力がなさすぎる!」とお手本交えて私を指導しようとしたが、「い、今までで一番惜しかった気がする!」と、31歳になったばかりの私は思っていた。 家の近所の小さな神社に初詣へ行った帰り道、家へと登る坂
年が明ける時の浮ついた気分の高揚、30過ぎてもあるものですね。40になっても、50になってもあるかしら。勤めている病院の病棟ロビーでおしぼりを畳みながら、テレビを見てた102歳のエツコさんに「年が明けたねえ、おめでとう」って話しかけたら「アン、ばかばかしい」って一蹴されたけど。 お夕飯にお蕎麦を湯掻いて、私の好物の天ぷらを山ほど揚げて食べ、食後間を置かず家族でドヤドヤと年内最後のお風呂に入ったら、始まったばかりの紅白歌合戦にテレビのチャンネルを合わせて大皿に山盛りにした
茶碗から湯気が立つ。ざらりと丸みを帯びて手に抱かれたそのぬくもりの温度がまるで子供の頭と同じだと思った。 少し泣きそう。 私が通りすぎてきた色々なものに会えた気がした。 遠く踏切から、止まらずに走っていく電車の窓を見るように、挨拶も出来ないどうしようもない距離で次々と私の目の前を今、通って行った気がした。 さよーなら、さよーならと私になんの未練もなく無邪気に通りすぎていく。 お茶を一口飲むたびに冷めていく茶碗が寂しい。 だけどいますぐ泡だけが残るその底を覗きたい。 なにかあ
最初は「自分は随分大人になってしまったな」なんてセンチメンタルに(そんでまさしく自己陶酔的に)懐かしさと物悲しさに酔いしれられていたのに、書けば書くほど少しずつ、いま自分の成長してなさに絶望してきている。急に先に進めなくなってしまった。 はじめの一行目から、書き直すかもしれない。 やっぱり、私才能、ない! でも書き切りたい…一回、書き切ってみたい。
手垢に曇るガラスをひらいてまず出会う風の匂い 野菜室と同じ温度の風と こたつと同じ温度の光 竹の枝が擦れる音は遠く 私の尻に地響きが鳴っている 空の色だけ勿体無いほどに綺麗 窓枠の形に切り取られている 風が強くなってきた 私の髪は乱れない 私の頬を乾かすのは 生ぬるくて少しくさい エアコンから吐き出される風 お湯を入れて3分まてば 世界の美しさにいつでも出会える ススキも柿の実も揺れている その向こうでシジュウカラがいま 私を見て笑った
次男が少し日本語らしいことを言うようになってきた。 絵本に描いてある「テンテン」もといてんとう虫を母に見せたくて、私の胸をバシバシと叩きながら「ババ、ババ」と繰り返しているが私はママです。「私ママですよ」というと私の口の動きをまね、「マンマ」と言ってニタリと笑うが、3秒するとまた胸を叩いて「ババ」と呼んでいる。わざとやってるんじゃないだろうな。 魚は「リルリル」、バナナは「バッバッバ」、新幹線は「ドゥドゥ」、車は「ブー」、あかは「アッカ」、あおは「ウォウォ」。動物は
わざわざ表明するけど、今、小説書いてる。 夫が新しいノートパソコンを買ってくれたからだ。 書き終われないかもしれないし、辿り着かないかもしれない。どこかに出すつもりもないし、誰かに読んでもらう予定もないし、いつもみたいに、急にフッと集中力もやる気も途絶えて、どっか途中でフェードアウト的にやめてしまって、無かったことにするのかもしれない。 改めて思うけど、やっぱ継続が苦手な時点で私の性格がさっぱり物書きに向いていない。 本当にいつ飽きるかと自分で自分に落ち着かなくて、だから
11月12日、待ちに待った日が来た。 3度目の、私をさらけ出してあなたのさらけ出しに出会えるあのピクニックの日が、ようやっときたのだ。快晴。あたたかな日で嬉しい。朝から家にあるもので夫とサンドイッチを作り、柿を剥いた。息子達も喜んでいた。たくさんの荷物をエルグランドに詰め込んで、高速に乗った。インター入り口までの休日の渋滞に賑わった3号線がもどかしかった。 鴻臚館広場の奥に、シートとテント、その周りに蠢く人々を見つけて胸が高鳴る。まず目についたのは、日陰のない広場にテ
実家の猫の旅立ちが近い。 21年生きてくれた。 9歳の頃私が拾った。 近所の公園に住み着いていた野良猫が産んだ子猫で 名前もないクロワッサンくらいの大きさの2匹をタオルと一緒に家から持ってきた紙袋に入れて ドキドキしながら連れ帰ったことを忘れない。 同居していた祖母は北海道旅行に出掛けていた。 帰宅して猫をみた祖母は私たちに呆れていて、もちろん怒っていた。 お土産のラベンダー味のキャラメルの不味さを忘れない。 筑紫の、私たちのあの家で 風邪をひいていて目やにと鼻水でぐち
昔から、いろんな物事に対して「批判」「批評」するのが本当に苦手。「良い」「悪い」とハッキリ判断することが苦手。読んだ本、見た映画、聞いた曲、人の話。それらに対して感想を持って語ることはできるけど、そうする私の頭にはいいとこ探しして褒めるという、小学生の読書感想文的な前提がある。 「ダメだ」とか「面白くない」「悪い」という評価ができない。なので反対にはっきりと「これは良い!」と絶賛することも心許ない。ものを評価するのは勇気がいるものだと思う。自分や自分の意見に自信がなければ
左ひじのほくろに安らいでいる ここにいるんだな、と 誰も私を見失わないこと、それがありがたかったよ 左耳のピアスの穴を親指と人差し指の腹で確かめては ああ、「お前はここにいるんだな」と私は思う 笑って何故か嬉しそうだった母の愛 呆れ返ってた担任の眼差しの奥にも愛 私に失望したあの子にも軽薄で素直な愛があったこと 白いハイソックスもブレザーの猫の毛も時間割りも 死にそうに心細かったけど 左右のスニーカーの紐を入れ替えたこと 買ってくれたノートに陳腐で素敵な文章を書いたこと 静